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 どうせ俺なんて。そんなことを呟きながら部屋の隅で丸まっている兄を、リーナは心配そうに見つめている。
 今日は世間が浮足立つ日、クリスマス。去年のような遅刻者は出ず、今年は皆が同時に揃い、開幕から全員がはしゃいでいた。マリアンヌは色々な服を用意しているし、ロドリグは自作の料理をどんどん持ち込んでいるし、去年の遅刻組はワインを飲みながら笑顔で何やら難しい話をしている。トマス、ロベッタ、ジュリア、今回初参加のエイミー、皆もそれぞれ思い思いにパーティを楽しんでいた。
 ただその中で、唯一暗い雰囲気を放つ者がいる。リーナの兄・レオンだ。折角用意したパーティ用の服やセットした髪が完全に床についてしまっているのが気になった。ちなみに、気にかけられているのはドレスを纏いながらも兄の横にしゃがみこんでいるリーナも同じなのだが、本人はまるで気にしていない。彼女の全神経は完全に兄に向いている。
「兄上、そうお気落ちなさらないでください。少将もきっとお忙しいのですよ」
 何度目とも知れない慰めを口にするが、当の本人は「そんなこと分かっている」と涙声だ。どうにもならない状況にリーナは困ったようにため息をつく。それが聞こえた様子もなかったが、レオンはようやく次の行動に出た。
「何故、何故ですか少将、何故俺の手紙は忘れあの女中佐には返すのですかぁぁぁ……」
 壁にひっつきながらすすり泣く、というあまり変わらない行動に。どうしたらいいのか、リーナは頬を両手で挟む。
 事の元々の発端は昨日のことらしい。年末の休みに入る直前に舞い込む大量の仕事を終わらせたレオンは、珍しく第二都市・カルディアに来ていたロドリグの兄にして憧れの上司、セザリスに会いに行った。もちろん、数日前にはちゃんと断りの手紙を送り、当日も電話をかけて向かっても大丈夫かを確認していた。その結果、大丈夫だ、と言われ向かったはずだったのだが、その間にセザリスは急に忙しくなってしまったらしく、レオンの相手をする暇がなかったのだ。
 セザリスに心労に思わせてはいけない、と、レオンは手紙をしたため場を辞した。残念がるレオンの気持ちが一変したのは門を出る直前。使いの者に「後ほど弟に返事を渡す」とのセザリスからの伝言を聞いた時だ。舞い上がる気持ちを、帰ってきてからレオンは嬉しそうにリーナに語ってくれていた。今日も、ここに来るまでずっと楽しみな様子を隠しもしなかった。
 しかし、いざやって来てみれば、
「え……あの、預かって、ませんが……?」
 とのロドリグの返答。そんな馬鹿な、嘘つくなよ、隠してんだろ、と大荒れのレオンに追い打ちをかけたのは、とうとう観念したロドリグが青ざめながら出した1枚の封筒。その宛先が――。
「艦長――ナディカさん宛て、です……」
 まさかのエリザベス・ナディカ。士官学校時代からの知り合いであったらしいが、元々あまり仲は良くなかったはずの彼女。何故自分ではなく彼女に手紙を渡したのか。
 ショックを受けたレオンが固まっていると、自分の名前を聞きつけたエリザベスがひょいとロドリグの手の中の封筒を持っていく。ちゃりちゃりと音が鳴る封筒に首を傾げつつ、封を開けて中に入っている紙を取り出した。ざっと目で追うと、エリザベスは「ああ。あの時のか」と言いつつ封筒を逆さにする。そうすると、中で踊っていた硬貨がすっかり白く滑らかになった手に落ちてきた。
「別にここで返してくれなくても構わなかったんだがな」
「艦長、兄とお金のやり取りが?」
 小銭とはいえ、兄が誰かに――ましてエリザベスに金を借りた事実にロドリグが驚いた顔をする。慣れ親しんだ昔日の呼び方で呼ばれたエリザベスは、そちらをちらりと見上げ、紙の方をロドリグに示した。
『先日のカフェで借りた分だ。これで貸しはなしだ』
 カフェ、という単語にますますロドリグはぽかんとする。兄と元上司が一緒にカフェでお茶をしたというのだろうか。ロドリグがあまりにも理解不能といった様子を見せるので、エリザベスは苦笑を浮かべた。
「先日王都の方で寄ったカフェが盛況でな。並ぶほどでもないと思ったんだが、先に座ってるあいつを見つけたんで、何か奢らせようと相席したんだよ」
 奢らせるつもりが、何故奢る側に? ロドリグだけではなく、聞こえていた面々の視線も自然とエリザベスに集まる。固まっていたレオンも、ぎぎぎ、と壊れたブリキ人形のように重い動きで首を動かしていた。
 集まる視線の中、エリザベスはふっと意地悪な笑みを浮かべる。
「奴め付き合ってられるかと出ようとしたんだがな、どうやらその日財布を忘れたらしい。帰るに帰れずの状態だったから、慈悲をくれてやったんだよ」
 いやー、あれは愉快だった、と呵々大笑かかたいしょうするエリザベスに、彼女をよく知る新旧部下たちや友人は「相当からかったんだろうなぁ」と同じことを考えた。
「折角だからこの貸しは取っておきたかったんだがなぁ」
 ぺらぺらと紙を揺らしていたかと思うと、エリザベスは何も惜しくない様子でそれを握りつぶす。
「そう簡単にはいかんか。トマス、これを財布にしまっておけ。マリアンヌ、どこに座っていていい?」
 トマスに手の中の小銭を渡すと、エリザベスはマリアンヌに案内させて颯爽と部屋の奥のソファに向かった。そうして残された面々も移動しようとした時、ついにレオンはその場に四肢をついて崩れ落ちたのである。
 それから早くも2時間が経過しようとしているのに、いまだにレオンに復活の兆しはなかった。その間もずっとリーナは彼の傍らにいる。マリアンヌやエイミーに何度も誘われたのだが、兄を放っておけないため、申し訳なく思いながらも断っていた。
 兄のため耐えてきたリーナだが、そろそろ限界だ。少しでもいいから立ち直って欲しい、折角兄上と過ごせるクリスマスなのに。励ますのを諦めかけてリーナまでもしょんぼりとし始める。その時だ。
「ベルモンドさーん、エリオットさんのお兄さんから手紙来たよー! さっきから言ってる手紙ってこれじゃなーい?」
 部屋の入り口からマリアンヌが声を張り上げた。その手には手紙があり、彼女の向こうにはそれを持ってきたと思われる金髪のメイド――ミリーが控えている。
「来たみたいですよ! 良かったですね兄う」
 え、と続くはずの言葉は真横で起こった風に持ち去られた。つい直前まで落ち込んでいたはずのレオンが凄まじい勢いで立ち上がりドアの近くに駆けて行く。
「おい本当か!? 本当に少将から俺宛ての手紙か!?」
 レオンがドアまでたどり着くと、そのあまりの勢いに反射的に警戒したミリーに抱き上げられたマリアンヌが、彼女の腕に腰掛けながら手紙を差し出した。
「ほら、宛て名がベルモンドさんになってる」
 恐らくロドリグが今日このメンバーでクリスマスパーティだとでも伝えていたのだろう。マリアンヌはそう予想するが、手紙を受け取ったレオンはその辺りはどうでもいいらしい。天啓を受けた信者のように感動に打ち震え膝をつくと、両手で持った手紙を掲げ歓喜で顔を紅潮させる。
「読み終わったら戻っておいでねー」
 それだけ言い残すと、再び床に下ろされたマリアンヌはミリーに礼を述べてからその場を去り、ミリーも再び扉の向こうに消えた。それを見計らいリーナがレオンに近付こうとすると、立ち上がったレオンの方からリーナの元に戻ってくる。
「見ろリー、少将から手紙だぞ」
 まるで宝物を自慢する子供のように顔を輝かせながら、レオンは封も開けていない手紙をリーナに見せつけた。リーナはそれと兄の顔を交互に見て、にこりと笑う。
「はい、よかったですね兄上」
 すっかり機嫌が良くなった兄に落ちかけていたリーナの心も再浮上していた。わくわくしながら慎重に手紙の封を開けたレオンは、一行一行を一喜一憂しながら読み進めていく。やがて読み終わったのか、手紙を胸に抱きレオンはじーんと感動に打ち震えた。一生ついていきます少将、そんな言葉を噛みしめがら呟くのが聞こえる。
「ベルモンドさん、気が済んだんならちゃんとリーナさんの相手してあげてくださいよ」
「そーよー。リーちゃんずーーーっと気にしててくれたんだから」
「まあまあ皆さん、レオンさんだってちゃんと分かってるっスよ。ね?」
 ルイスから冷めた視線を向けられ、マリアンヌから軽い非難を浴び、トマスから無自覚の釘を刺され、レオンはちらりとリーナに視線を向けた。周囲の面々の言葉と下ろされた視線に、リーナは胸の前で手を組み双眸に輝きを映す。構ってくれるのですか? 構ってくれるのですか? 視線から溢れんばかりに注がれる期待に、レオンはそっと手紙を胸ポケットにしまう。
「あー……ほれ」
 きょろきょろと視線を彷徨わせ、手近なテーブルの上にあった一口大のケーキを指で摘まむと、レオンはそれをリーナの口許に寄せた。「兄上からのあーん!?」と目をくわっと見開くと、リーナはすぐさま口を開く。行儀が悪いなどとこの際気にしていられない。
 開けられた口にケーキが放り込まれた。一口大とはいえリーナには少々大きく、頬を膨らませる形になってしまう。しかし、両手で口元を隠して咀嚼そしゃくするリーナはこの上なく幸せそうで、どこかハムスターのような雰囲気を醸す様子に周囲の面々はすっかりレオンへの険を払った。
 それからしばらく、レオンは経過した2時間を取り戻すかのようにばくばくと料理を腹に運び、時折分け与えられるリーナも今度こそ行儀よく食事を進める。
「……リー」
 チョコレートのケーキをんでいたレオンが不意に口を開いた。隣のリーナは明るくそれに返事をする。純粋に自分を慕う眩しい視線に、レオンは珍しく申し訳なさそうに目を細めた。
「なんというか、すまなかったな。長いこと付き合わせて。情けないとは思うんだが――少将関連の話で自分を制御出来る気がこれっぽっちもせん」
 後半部分で腕を組みきっぱりと言い切る兄を一瞬ぽかんと見上げ、リーナはくすりと笑いをこぼす。
「兄上」
 呼びかければ、レオンの視線が再び降りてきた。リーナはそれに穏やかに微笑みかける。
「リーはベルモンドの娘であることを誇りに思っておりますが、同じくらい、兄上の妹であることを誇りに思っております。それがどんな兄上であっても、です」
 だから気にしないでください。ぐっと両手を胸の前で握りしめ、元気づけるような表情をする視線は、純粋で底なしな尊敬と、信頼と、親しみを映していた。正面から受け止めたそれに、レオンはふっと微笑み、妹の頭をそっと撫でる。気持ち的にはがしがしと撫でたいところであったが、髪を崩すとまたうるさいのマリアンヌに怒られるので自重した。もっとも、どちらの選択肢を選んでいようがリーナが驚愕と高揚で震えるのに違いはないのだが。
「いい妹だ、お前は」
 歓喜に打ち震えるリーナをさらに追い打つような褒め言葉。許容度を一気にオーバーしてふらりとしかけるリーナだが、扉近くから聞こえたマリアンヌの声に正気に戻る。
「はーい、みんな脇に寄ってー! 恒例のダンスタイムよー。ちょっと早いけど、なんだかそろそろリズさんが酔いつぶれそうだから今のうちにやっちゃうわ! ゲームももちろん後からやるわよ、あ、プレゼント交換もね! それと」
 マリアンヌが各種の予定を伝える間にも、優秀なロダー家の使用人たちは場を整え始めていた。私は酔ってないぞ、と確かに素面しらふにも見えるエリザベスはどかりと腰を下ろしたソファごと運ばれていて一種の支配者のような様相になっている。トマスやロベッタはそれを笑って、ルイスたちは呆れと驚愕をごちゃまぜにした様子で見守っていた。
 その様子をくすくす笑って見ていると、不意に隣から手が差し出される。
「兄上? え、これはつまり――!」
 手と兄の顔を交互に見やっていると、珍しく照れた様子のレオンはこほんと咳払いした。
「礼もかねて踊ってやる」
 大層上からの申し出だが、リーナには十分すぎる言葉だったらしい。ふにゃりと頬を緩めると、武人らしい硬い手に自分の手をそっと重ねる。
「はい。ありがとうございます、兄上」
 ベルモンド兄妹が部屋の中央に向かう頃には、音楽隊の準備も完璧で、部屋には集まった面々と去年同様のエキストラたちが勢ぞろいしていた。
「はーい、じゃあミュージックスタートー!」
 マリアンヌの合図とともに演奏が始まる。くるくると部屋を回るように踊る組。少しふざけて全く違うステップを踏む組。それに紛れて全く分かっていないステップを踏む組。時折相手を変える組もいて、そのたびに文句や笑いがこぼれた。
 賑やかな笑い声に包まれたまま、聖夜は愉快に更けていく。



2016/11/23