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   「六芒小隊」 サンプル    

『お前ら、逃げ出したいなら俺が連れて行ってやろうか?』

 

 地獄から逃げ出そうとした僕たちに投げかけられたのは、そんな言葉と粗雑だけど太陽のように明るい笑顔だった。

 

 

 序話「差した光と沈む太陽」

 

 

 命を道具のように扱い、使い捨てる箱庭。それが少年たちの“世界≠セった。父や母という存在は後に親から引き離され連れて来られた同類≠スちの話でしか知らない。

 空とは四角く区切られた天井のこと。草木とは人工的に整備された作り物のこと。動物とは折に閉じ込められ自分の番を待つだけの実験体たちのこと。彼らにとってそれら(、、、)はそれ以外の何ものでもなかった。

 しかし、少年たちはいつしか知った。自らに許されたはずの命≠ニいう権利を自由≠ニいう意思を。そして彼らは疑問を抱き、夢物語でしかなかったそれらを渇望するようになる。

 そんなある日、「F―18995」とナンバーのつけられた少年は、同じ願いを抱く五人にこう言った。

 

「みんなで逃げよう。俺たちは、絶対こんな所で死ぬために生まれてきたんじゃない」

 

 少年の言葉に頷いた五人――二人の少年と三人の少女――は、彼と共にその日の夜逃亡を図った。明りのない静かな人口の芝生を進むと、一歩進むごとに外への希望が抑えきれなかった。あと少し。あと少し。いらなくなった失敗作≠ェ持ち出される小さな扉がある場所まであと少し。

 知らずに浮かんだ笑みをそのままに、僅かな距離すらもどかしく、少年たちの足取りは自然と焦れていく。その時だ。暗闇に紛れた彼らをライトの光が照らし出す。

「誰だ! そこで何をしている?」

 厳しい誰何。迫ってくる足音と気配。網膜を焼くようなライトの光。希望から絶望へと思いが転じ、少年たちの意識は暗闇へと落ちかける。

 だが、突如ライトは地に落ちた。それに先んじて聞こえたのは、肉を打つ音と男の低いうめき声。迫ってきていた職員が倒れた――いや、倒された(、、、、)のだと、少年たちは遅れて理解する。少年たちが呆然としていると、草を踏み、暗闇から一人の男が現れた。地面に落ちたライトのささやかな光でも分かる、大きな傷が走り、無精髭が生えた顎をさすりながら少年たちを眺めている。腰に大きな宝石がはまった大剣を差しているざんばら髪の壮年の男性は、少年たちの目の前まで近付くとおもむろに膝を折った。

「お前ら、逃げ出したいなら俺が連れて行ってやろうか?」

 いとも簡単に告げられた誘いの言葉を受け、「F―18995」の少年は答えに窮する。是非とも飛びつきたい話であるが、この男が何者か分からない。戸惑っていると、「D―33521」とナンバリングされたプレートを下げた最年長の少年が「F―18995 」の少年の前に出て両手を広げた。

「お前誰だ? 何で俺たちを助ける?」

 秘めることのない疑いの眼差し。自分の後ろで残りの少年と少女二人も同じ顔をしていることを「F―18995」の少年は知らない。男性が答えず沈黙が落ちる中、不意に彼は背中を向けた。

「理由なんてねぇよ。ただ俺も今からここをおさらばするところだから声かけただけだ。お前らだけで行きたいなら行けばいい。ただ、そっちはただの焼却炉だからな」

 先の誘いと同じほど軽口で告げられた事実に少年たちは揃って驚愕を浮かべる。信じるべきか、信じないべきか。少年たちは当惑した表情を見合わせた。

 そして、そこにもう一対の視線が足りないことに気付く。姿の見えない最年少の少女の姿を探そうと、焦り視線を巡らせる必要もなかった。その声はすぐ近くからしたのだから。

「おじちゃんまって。『V―22315』もいっしょー」

 幼女とは思えない軽やかな足取りで男性に近付いた「V―22315」の少女は甘えるように男性の片足にしがみつく。それに存外優しい笑みを浮かべると、男性は慣れた様子で少女を抱き上げた。

「おう。お前は一緒に行くか。お前らは? 俺が止まるのはこれで最後だぞ」

 「V―22315」の少女を抱き上げたまま、男性がもう一度振り向く。恐らく脅しではないであろう言葉を聞き、「F―18995」の少年は皆の目を強く見つめた。

「行こう。俺たちは自由になるんだ。よく分からないし、やっぱり少し怖いけど、今はあの人を信じてみよう」

 本音を、正負隔てず「F―18995」の少年が口にすれば、後押しされたのか残りの少年少女は皆真剣な面持ちを見返し合い、同じように頷く。そして、立ち止まったままの男性の元へと駆けた。

「おじさん、お願いします。俺たちを連れて行ってください」

 まっすぐに男性を見上げ「F―18995」の少年が頼み込むと、後ろの四人もそれに倣い、男性の腕の中の「V―22315」の少女も「ください」と無邪気に笑う。男性はまたふっと相好を崩すと少年たちの頭を撫でた。

「おじさんなんて呼ぶなよ。そうだな、先生とでも呼びな」

 予想外の返しに、子供たちはぐっと唇を引き伸ばし顔を男性を見上げる。生まれて初めての優しい手に、区切られた空でしか知らないがそれでも十分すぎる輝きを教えてくれた太陽のような笑顔に、自然とその顔は赤らみ目には涙が浮かんだ。

 それにもう一度笑いかけてから、男性は短く「行くぞ」と声をかけて踵を返す。少年たちはそれに続いた。彼らが施設から出たのは、それから十数分後のことである。

 

     ○     ○     ○

 

 本物の草原と小さな林を抜け闇夜の中歩き通した一同は、施設の巨大な建物が半分ほどの大きさに見える場所にある荒野まで来てようやく足を止めた。小さな丘陵になっている陰に身を隠した瞬間、子供たちは倒れるように地面に両手と両膝をつく。

 体力のない「C―45766」の少年と「S―53324」の少女は“先生”に担がれぐったりとしており、比較的に体力があるため自身の足で歩いてきた「F―18995」、「D―33521」の少年と「T―28814」、「V―22315」の少女も全身が汗だくで息も切れ切れだ。

「よし、お前ら根性あるな。偉いぞ。お前らも頑張れたな」

 自身の足で歩いてきた四人と途中まで自身の足で歩いた二人を先生≠ヘ分け隔てなく褒める。それは子供への気遣いではなく本音の言葉であった。施設からこの場所までの距離は非常に長く、先生≠ノは余裕であるが体力のない者なら大人でも音を上げる距離である。彼らの様子を見つつ休憩を考えていたのだが、存外に体力は持ち、「V―22315」の少女の足取りが危なくなってきたのでここで止まった。途中で足を止めてしまった二人も半分以上は自身で歩いてきている。少年たちの自由への渇望が本物であると先生≠ェ改めて感じたのはこの時であった。

「ほら、飲みな。量がないから少しずつな」

 先生≠ヘ「C―45766」の少年と「S―53324」の少女を下ろして背中に負っていた荷物から細い水筒を取り出す。人工的に光は点けていないが、月や星の明りは強く、さらに長い間暗闇を歩いてきたため、先生≠燻q供たちもやり取りに支障はきたさない。差し出された「T―28814」の少女は律儀に礼を述べて両手でそれを受け取ると、軽く水筒を揺らしてから近くで寝転がっている「V―22315」の少女を起こして先に飲ませた。二、三度喉を鳴らすと、「V―22315」はすぐに水筒から口を離す。

「ありがと、『T―28814』ちゃ」

「もういいか『V―22315』? じゃあ『D―33521』、そっちのふたりに」

 「V―22315」が笑顔で返してきた水筒を受け取ると、「T―28814」はまた口をつけずに隣にいた「D―33521」にそれを渡した。渡された「D―33521」も、隣で倒れている二人のうち手前にいた「C―45766」の少年を起こす。

「『C―45766』、ほら、次飲め」

 「C―45766」は少し迷った様子を見せた。視線がちらりと覗いたのは隣で倒れていた「S―53324」の少女。だが、彼女が「いいよ」と笑うと小さく頷いて水を煽る。そして「V―22315」と同様数口喉を鳴らすだけで水筒から口を離した。

「もーいい。『S―53324』にあげて」

「おう、分かった。『S―53324』、ほら」

 「C―45766」をまた地面に寝かせ、「D―33521」は「S―53324」の少女を抱き起こし同じように水を飲ませる。

 その様子を眺めていた先生≠ヘ、感心したように顎をさすった。

「どうしました?」

 隣で周囲を見回していた「F―18995」の少年が先生≠フ様子に気付いて見上げる。先生≠ヘ問いかけに笑みを落とした。

「いや、大したもんだと思ってな。こんな状況でもちゃんと下の奴を気遣ってやれるんだもんな。お前はお前で周囲への警戒を怠ってないし」

 先生≠ェ感心したことを言葉に出すと、「F―18995」は前半に嬉しそうな笑みを、後半に微苦笑を浮かべる。

「俺たち正確な歳は知らないんですけど、あの二人は年上だって分かってるから俺たちに優しいんです。俺は……戦闘訓練で気を抜くな≠ニいうのは叩き込まれてるから」

 戦闘訓練≠ニやらで受けた痛みを思い出しているように、「F―18995」は腕をさすった。先生≠ヘまた顎に手を当てると、もう片方の手で「F―18995」の頭を撫でる。ただそれだけがよほど嬉しいのか、彼の顔はまた赤くなっているようだった。

「『F―18995』、ほら、お前も」

「あ、先にいいよ」

「私たちは後でいい。先に飲め」

 遠慮をするものの年長二人から目と雰囲気で押され、「F―18995」は結局素直に頷き水を煽る。前の三人よりも喉の鳴りが少ないが、気付いた先生≠ヘ彼の意思を尊重し口は挟まずに済ませた。気にせず咎めそうな残りの二人は、次にどちらが飲むかを目で争っているため気付いていない様子だ。先を急ぎたい事柄で後を争うなど珍しい話だと先生≠ヘ苦笑する。

「ジャンケンでもしろお前ら」

 妥協のための案を口にすれば、素直に従った「D―33521」と「T―28814」は合図もなく手を出し合った。そしてその一回で結果は出る。

「俺の勝ち。ほら、飲め」

「……不覚だ」

 まだ十に届くか届かぬかという歳の少女が放ったにしては難しい言葉が飛び出したかと思うと、「T―28814」は水筒に口をつけた。「F―18995」同様飲んだ量はあまり多くないが、渡された「D―33521」は素直に受け取り同じ程度喉を鳴らす。

「ありがとうございます先生」

 頭を下げて「D―33521」は両手で先生≠ノ水筒を返した。それを受け取って荷袋に入れ直してから、先生≠ヘ腰の小さな袋から別の何かを取り出して視線を手元に落とす。

「――なあお前ら、名前ないのか?」

 続けて視線を少年たちに移すと、反射のように少年たちは首元に手をやった。今はないが、施設を出るまでそこには彼らのナンバーが振られたプレートが下げられていたのだ。判断のついた先生≠ヘ肩を竦めて笑う。

「それじゃねぇって。ないなら、俺がやろうか?」

 そう言って先生≠ェ掲げたのは一冊の古い手帳だった。それが何を意味するのかは分からなかったが、少年たちは彼が口にした言葉に揃って目と口を大きく開けて顔を赤くする。そして

「名前!?  名前くれるの先生?」

「ほんと? ほんとうにくれる?」

「いいんですか? 私たちに?」

「欲しい! 名前欲しいです」

「どんなの? どんなの!? 番号じゃない普通のですか?」

「ください先生!」

 先ほどまでの疲れが一気に吹っ飛んだように、こぞって先生≠ノ飛びついた。恥も外聞もなく飛びつく様子に少し面を食らった様子を見せるが、先生≠ヘにこりと笑うと手帳を取り出した袋からガラス球を取り出す。それをメモ帳の上にかざすと、月や星の光が集められ、人工的なそれよりもずっと柔らかな光のライトとなった。

 先生≠ヘぱらりぱらりとメモ帳をめくっていく。

「じゃあ俺が昔世話になった人たちからもらってくるか。立派な人たちだったからなぁ」

 一枚一枚めくっていき、先生≠ヘ見つかった順に少年たちの頭に手を置いて名前を告げた。

「お前はエクトルだ。俺が最初に入った傭兵団で一番逞しかった人でな、いつもみんなを守ってくれたよ」

 とは「D―33521」の少年。

「お前はアガットだ。昔世話になった町の女性町長でな、凛とした態度で町をまとめていた人だったよ」

 とは「T―28814」の少女。

「お前はロイクだ。俺が生まれた村の警備隊の隊長でな、いつもみんなを引っ張ってくれる人だったぞ」

 とは「F―18995」の少年。

「お前はカリーヌだ。俺がここに来る前に住んでた町のシスターでな、とても優しい人だったよ」

 とは「S―53324」の少女。

「お前はジョスランだ。若い頃から付き合いのある学者でな、とにかく頭のいい人だったよ」

 とは「C―45766」の少年。

「お前はフェリシーだ。俺が子供の頃に面倒見てくれてた保育士でな、いつも明るくて素直な人だったよ」

 とは「V―22315」の少女。

 こうして全ての名前をつけ終わると、子供たちは与えられた名前を何度も何度も口の中で繰り返している。嬉しいのをそのまま表に出したり、我慢してるがにやけが止まらなかったり、感動しすぎて涙ぐんでいたり、反応は様々だ。

「苗字は……そうだな、ファミーユ。ファミーユだ。お前らはファミーユ兄弟だぞ。いいな?」

 少し考えてからいいことを思いついたというような笑みを浮かべて先生≠ェそう言えば、姓までつけられ完全に「人」となれたことを喜ぶように子供たちの反応はますます深まった。すると、思い出したように「F―18995」――否、ロイクが先生≠フ服の袖を引く。

「あの、じゃあ先生の名前は何て言うんですか?」

 最初に訊いていてもおかしくない質問であるが、ここに至るまではまだ警戒心と緊張、そして逃げ切れるだろうかという不安があったため、気にはなっていてもロイクたちはそれを訊けずにいた。さらに理由を挙げるなら、ナンバーで呼ばれ慣れていた彼らには欲しいという願いがあっても名前≠ニいう概念が薄かったこともあるのだが。

 だが、これだけの距離を離れ、さらに名前を与えられるという奇跡に近い事態を受けてようやくその質問に至ったのだ。

「俺か? 俺はテランス・……ファミーユだ」

 反射のように答えかけ、少し迷ってから先生≠ヘ笑顔で「ファミーユ」を名乗る。アガットとジョスランは少し訝しむ様子を見せたが、他のメンバーは怪しむよりも先に嬉しさを満面に浮かべた笑顔を咲かせた。

「先生もファミーユなの? じゃあ、私たち先生の子供?」

「せんせーはおとーさん?」

 カリーヌとフェリシーが先生≠フ膝の上に乗って彼が身につけている軽装鎧の胸をぺちぺちと叩く。先生≠ェ「そうだな」と笑顔を見せれば、エクトルとロイクは笑顔を見合わせた。

「……ねえ先生。僕たちが兄弟って言ってたけど、順番は? 兄弟って順番があるんだよね?」

 無関心を装いながらも頬が緩むのを隠しきれていないジョスランが問いかければ、顎をさすりながら先生≠ヘ視線を上に彷徨わせる。

「そうだなぁ、さっき名前をつけた順でよくないか? エクトル、アガット、ロイク、カリーヌ、ジョスラン、フェリシーだ」

「えっ、僕が『S―533』じゃない、えっと、カリーヌの弟なの? 僕の方が頭いいんだから僕がお兄ちゃんだよ」

 返答がよほど心外だったのか、ジョスランはぎりぎり被っていたポーカーフェイスを剥いで大きな声を出す。エクトル、アガット、ロイクに関しては、背や正確には定かでない年齢が上だと納得しているので反論には上がらない。悪気はないであろうがカリーヌを馬鹿扱いしていることをアガットが叱るよりも早く、当の本人が振り向いてジョスランに笑いかけた。

「うん、私はジョスランがお兄ちゃんでいいよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんいっぱいで嬉しいね、えっとフェリシー?」

「うん、カ……ねえちゃ!」

 元気よく返事をするものの名前を覚えきれないフェリシーは頭文字だけを口にする。笑顔で答えてから、カリーヌは根気よく自身の名前をフェリシーに教え始めた。その様子を見て、他のメンバーもすぐには覚えきれないらしくちらちらと兄弟たちを見ては名前を確認するような動作を見せる。

 眺めていた先生≠ヘそれもそうかと頭を掻くと、少女ふたりを下ろして荷袋を引き寄せ、中から服を一枚と、長方形の薄い箱を取り出した。そして足に装備していたナイフを鞘から抜くと服を適当に切り始め、数枚同じほどの大きさの布を切り出す。

 一体何をしているのだろう。子供たちが興味深そうに眺めていると、先生≠ヘライト代わりのガラス球をエクトルに渡した。手元を照らしておけ、と言われたエクトルは自身が陰にならないように気をつけつつ言いつけ通り先生≠フ手元を照らす。

 その柔らかな光の中で、箱から取り出された針と糸がざっくりと布を上下左右斜めと走った。そして、針が布から離れると、布の上には「Hector」という文字が決して綺麗ではない刺繍で並んだ。

「エクトル……」

「俺の名前? あ、名札」

 先生≠ェ何をしようとしているのか分かったエクトルがつい大きな声で答えを声に出すと、先生≠ヘ「正解」と歯を見せて笑う。

「ちょっと待ってろな、すぐに全員分作ってやるから」

 上調子で鼻歌を歌いながら先生≠ヘ布に次々と残りの名前を刺繍していった。そして全員分が終わると、今度はひとりひとりの服の胸に名札を縫い付けていく。数分後には明かりをロイクと交換したエクトルの分が終わり、全員の胸には与えられた名前が刻まれた。

「よし、これでいいな。名前はゆっくり覚えてけ。時間はたっぷりあるからな」

 針と糸をしまい、先生≠ヘ裁縫道具の箱を荷袋にしまい直す。楽しそうに名前を読み合っていた子供たちは、続く「明日」を思い描いて笑顔で大きな返事をした。

「先生、これからどうするのですか?」

 アガットが尋ねると、先生≠ヘ大きな傷の走った顎をさすり「そうだなぁ」とひとりごちる。

「うん、ひとまずは俺の友達を頼ってみるとするか。お空をぷかぷか浮いてる奴らだしどこの国にも干渉可能な団体だから、この施設もどーにか出来るだろう。国際倫理的に見てもアウトの場所だしな」

 後半の言葉はぼそりと呟かれたもので、近くにいたため聞こえたアガットは首を傾げた。先生≠ヘ彼女に笑顔を返すとその頭を撫でてはぐらかす。

「さ、そろそろ寝ろよお前ら。日が出る頃には起きるから五時間くらいしかないからな。明日はもっと歩くぞ」

「はーい」

「フェリシーはせんせーのとなりがいー」

「じゃあ男は先生のこっち側で女は先生のこっち側な。ジョスラン、お前先生の横」

「べ、別に僕は隣がいいなんて言ってないよ」

「いいじゃないジョスラン。順番順番で先生の隣ってことで」

「え、じゃあ明日は俺とカリーヌが隣で、明後日はエクトルとアガット?」

「わ、私も別に」

「なーにこんなおっさん取り合ってんだかね、この可愛いがきんちょ共は」

 エクトルが指示すると特に反論は上がらずに男女が分かれ、先生≠フ右手側にフェリシー、カリーヌ、アガットが、左側にジョスラン、ロイク、エクトルが横になる。自身を間に挟んで飛び交う会話に先生≠ヘ苦笑をこぼした。言葉通り彼らが可愛くて仕方ない、というのがありありと浮かんでいる。

 そのままいくらかの会話をこなしてから、彼らはようやく就寝した。火はつけないのか、というロイクの質問は「目印になる」という先生≠フ一言で返され、周囲は暗いままである。だが、区切りのない月や星々の光があったため子供たちは不安を覚えることなく、疲れも助けて少ししたら寝息を立て始めた。

 それを確認してから先生≠ヘ子供たちの中心から抜け出し少し離れた場所までやって来る。腰の袋から取り出したのは使い古した感の漂う携帯通信機だ。いまだ軍や政府でしか使用されない代物であるが、太い指は器用に画面をいじり、コール音が鳴り出したら耳に当てた。通信がつながったのは六回目のコールが始まる直前。懐かしい声の主に呼びかけると、先生≠ヘ旧交を温めるよりも先に現状の説明と迎えを頼んだ。

『――デルヴィア地区だな。分かった、足の速い飛翔(ひしょう)(てい)を、最悪明日の七時にはそっちに着くように飛ばす。虹≠フマークがでっかく入ってるのなら向こうも手出し出来ないだろ』

 通信の主は快諾するどころかさらに上を行く気遣いを見せる。先生≠ヘくっと喉を鳴らして相手に礼を述べた。それに短く答えると、通信の主は声のトーンを少し落とす。

『ところで、お前がそこにいるってことは、噂は本当だったんだな。……その六人の中に、ビセンテはいないんだな……』

 質問ではなく、確信の言葉。先生≠ヘ寂しげな笑みを浮かべて無言を返した。決して表情は見えないが、その無言の返答を確かに受け取った通信の主は小さく「そうか」と呟く。

『じゃあ、次はちゃんと守ってやらないとな。任せろ、ちゃんと生活は支えてやる』

 また声のトーンを上げると、通信の主は笑って「老後も任せろ」と茶化した。先生≠烽オんみりとした空気を払うように手を動かして笑い返す。

「そこまでお前に借りは作らねーよ。ああ、ただ、もう一個頼まれてくれ。多分あいつら全員ナテュール(、、、、、)だ。一応能力(タラン)は制御出来てるみたいだが、まだガキだからな。何の拍子に暴走するか分からん。制御装置は持ってきておいてくれ。どれだか分からんから護、技、力、知、療、速の全部だ」

 この数時間で確信した事実を、先生≠ヘそのまま口にした。もし間違っていたなら笑い話にすればいい。だがもし()を暴走させてしまったら目も当てられない。先生≠フ真剣な声に通信の相手も真面目な声で応じる。

『ん、そうか。そりゃ連中にとっても逃がすのは惜しい実験体だろうな。分かった、どうやら俺の優秀な右腕がすでに出発準備の命令は出してくれてるみたいだし、緊急灯つけて直行させる。それまで死ぬなよ』

「分かってる。頼んだぞ、リオネル」

 通信を切ると、先生≠ヘ空を仰いで長く息を吐き出した。通信の相手は優秀な人物だ。きっと彼が告げた時間よりももっと早くに迎えは来るだろう。それまで耐え抜けば、今度こそ守りぬける。今度こそ(、、、、)――。

「……明日は早いって言っただろう、ロイク」



備考


2013年2月3日 発行