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   「ヴァインシュトックの英雄」 サンプル    

  序話 「あべこべ姉妹」

 

 住民をはじめ、固定の店を持つ商人や流れの商人、旅人に吟遊詩人に大道芸人、それらを目的とした来訪客たち。その町・ハーゼは数え切れないほどに人が集まることで有名だ。町の正に中心には大通りがある。まるで町を二分するように北西から南東まで走るそこにはたくさんの店が並び、よほど目がよくなければ対面にある店の看板すら見えないほどに広い。

 人々が所狭しと行き交うそんな大通りの一角、地面に置いたリュックを椅子代わりにしている流れ者であろう男の簡易な店が注目を集めていた。

「うわあ、この髪飾り可愛いー」

 ――正確には、その店の前でしゃがみこんでいる愛らしい顔立ちの少女が、だ。

 晴れの日差しを弾く金色の髪はふんわりと緩いウェーブがかかっており、その毛先は首元の辺りで彼女が動くのと同時に揺れる。白く細い手が持ち上げている、花をモチーフにした髪飾りを宝物のように見つめる双眸は大きな碧眼で、まるでそれ自体が宝石かのように錯覚するほどだ。

 それだけでも道行く人々の足を縫いとめるに十分だというのに、彼女にはまだ、特に男性を釘付けにする理由があった。それはしゃがんでいても分かるほどに抜群なそのスタイルだ。肩の辺りが膨らみウエストを絞ったドレスタイプの白いワンピーススカートと濃い青のベストに包まれた少女の体の凹凸は、あどけない顔立ちとは真逆にとてもはっきりとしている。特に店の主人である中年の男は、なるべく見ないように気をつけているようだが、気が付くとその視線がしゃがんでいるため眼下に来る胸に注がれていた。しかし周りの視線に気付かない少女は惚れ惚れとした表情を髪飾りに向けたままだ。

 そんな彼女の様子に、その後ろにいた人物は辟易とした様子で眉を寄せている。店の主人が少女から眼をそらすのは大抵この人物に睨みつけられてだ。

「ねえねえ、これ可愛いよね」

 少女が明るい笑顔で振り向く。そうすると額の少し上辺りで結ばれたうさぎの耳のようなカチューシャがぴょこんと揺れた。鮮やかな赤が踊る様子に背後の人物は目を細めるが、一瞬後には何事もなかったかのように少女が差し出した髪飾りを同じく持ち上げ眺め眇める。

 姉弟(きょうだい)従兄妹(いとこ)か。何にしろ少女との血縁関係があることが一目で分かるその人物は、柔らかな印象の少女とは真逆に凛とした顔立ちをしている。ゆとりのある白縁の黄緑帽子に隠された髪は短いが、少女に負けないほどの輝きを放つ金。髪飾りを検分する双眸はツリ目気味だが少女と同じ澄んだ碧眼をしていた。百五十センチもなさそうな痩身を包んでいるのは深緑のハイネックに白のワイシャツ、膝が隠れるか否かの長さのベージュのズボンだ。胸元には赤いリボンが結ばれ、上には腹の辺りにあるひとつのボタンで留めるタイプの黒に近い赤のベストを羽織っている。腰の裏にはベルトと一体型のポーチ、そして横にはやや物騒だが鞘に入ったナイフを差していた。

 将来は少女に負けないほど人目を引く美青年(、、、)になりそうだ、などと店の主人が思っていると、少年(、、)は呆れた息を吐き出す。

「何これ。質(わっる)。ファニー、こんなの買うよりマルクスに作らせた方が千倍マシだよ」

 やめておきな、と年に合わない大人びた口ぶりできっぱりと言い切ると、少年は髪飾りを露店に戻し、後ろ髪を引かれる様子を見せる少女の腕を引いて立ち上がらせた。黙っていないのは店の主だ。

「おいおい、ひどいこと言うなぁ。これは南の地方の特産だよ。ほら、ここ見てごらん。細工が綺麗だろう? この細かさはこの辺りじゃそう作れるものじゃないよ。それに何と言っても――」

 売り物をこうもはっきり「粗悪」と切り捨てられて慌てたのか、店の主は熱弁をはじめる。それが進むたびに少女は「やっぱり欲しいなぁ」と少年をちらちらと見、少年は呆れた顔をしたままだ。周囲には主の張りのある声に引かれた人々が足を止め集まりだしていた。

「――ということだ。どうだ? まだ質が悪いなんて言うかい?」

 自信満々に少年に笑顔を向ける主の背後には、「ぐうの音も出まい」と言いたげな空気が漂っている。しかし少年は肩を竦めてそれに応じた。

「悪いね。ピンの部分には傷が入ってるし、装飾の輝きも悪い。細工の奥には土もついてるし、本当に仕入れた物? そうじゃないにしても確実に一度は落としてるね? ほら、この端なんてちょっと曲がってるし。こんなのに三千ゴルトとかふざけてるでしょ」

 淡々とひとつひとつ指摘していく少年の言葉に、主は手に持った髪飾りを軽く握りぐっと黙り込んだ。どうやら多少の自覚はあったらしい。変わりつつある雲行きに主はこれ以上は自身に得がないと早々に判断して引き下がることを選択した。

 このような事態における判断、この町に来る行商たちには共通した感覚がある。騒ぎを起こしてもすぐに退けば三百メートル先で同じように店を出せるが、いくらハーゼの大通りでも下手に大きな騒ぎにしてしまうと次の場で人が寄り付かなくなる可能性が無くはないのだ。

「あ、あはは。まいったなぁ、坊やの眼力にオジサン完敗だよ。これは勉強代ってことでお姉ちゃんにあげよう。じゃあ、これで――」

 頭を掻きへらへらと笑いながら主は店をまとめはじめた。だが、その動きを急に止められる。文字通り目にも止まらぬ速さで、その痩身からは考え難い力を込めて胸倉を掴まれたために。そして、この地方では特に意味を持つカードを入れたパスケースを眼前に突きつけられたために。

 少年(、、)は眉を歪ませて恐ろしい笑顔を店の主に向けた。

「アニカ・ハインツマン二十二歳女。あの子のお姉ちゃんがあたしなんだけど、どこをどう見て坊や≠チて言ったのか明確に説明してみてくれる?」

 ぎりぎりと怒りを撒き散らす笑顔で首を絞められていく中、店の主はただただ驚愕に包まれた。

 この十四・十五ぐらいにしか見えない、少年にしか見えない相手が実は二十二歳。実は女。実はあの美少女の姉。

 しかし真に主の心中をざわつかせているのはそれらではなく、眼前に突きつけられたこのカードである。上下には藍のライン。向かって左には少年――ではなくアニカの顔写真、向かって右には彼――女の名前や性別、生年月日などの情報が書かれている。

 そのうちのひとつが、燦然と輝くその一文字が、何より如実に彼女の立場を語っていた。店の主は引きつる声を絞り出す。

「え、ええええ、A級猟師(ハンター)……!」

 この地域の平和を守り、この地域で一番怒らせてはいけない職に就く人物を、完膚なきまでに怒らせてしまった。店の主は心中で十字を切り、己の未来を案じるのであった。




備考


2012年9月2日 発行