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第七話


 屋敷に戻ると、何故か父と母、そしてクーガルに迎えられる。疑問を抱いたが、すぐに答えはクラウド自身から出された。風の精霊の特性を使って帰ってきたのだ。父が気付かないはずがない。
 初にして激しい親子喧嘩を途中放棄して出てきた身としては少々気まずいところだが、さすがに頭は冷静になっていた。足音高く近付いてくる両親に、クラウドは話は後にするよう口を開く。しかしそれが音になる前に。
「ごめんねぇぇぇぇ」
「ごめんよぉぉぉぉ」
 手が届く範囲まで近付いてきた両親に左右から抱きつかれた。ぎょっとして硬直するクラウド本人のことはお構いなしに、リンダとヴェーチルは周囲の他人も気にせず泣き声交じりに叫びだす。
「そんなに寂しい思いしてるなんて知らなかったのよぉぉ、本家が気付くまでずっとひとりだったなんて思わなかったのぉぉ」
「そんなにディエイラちゃんのこと大切にしてたなんて思わなかったんだよぉぉ、ディエイラちゃんが傷付いてたなんて思ってなかったんだぁぁ」
 声を合わせて謝罪を繰り返す両親から目を逸らし、硬直したままのクラウドはいつの間にか姿を消している執事を思い浮かべた。彼の右目に埋められているのは「真実の目」。文字通りその目が写した真実を記録し、目にしたものに隠された真実を暴くという魔道具である。付随する能力のひとつに得た真実を人に見せるというものもあるので、恐らくかの老執事は彼が四十余年の間に見てきた真実を両親に見せたのだろう。
 すっかり反省した様子の両親に毒気が抜かれたクラウドはひとつ息を吐き出し、ふたりを引き剥がした。傷付いたように名前を呼ばれるが、さすがにこの年になって人前で親子喧嘩をしていたということが分かるようなやり取りを続けるのは気恥ずかしい。
「父上、母上、話はまた後ほど。今は怪我人の治療が先です」
 ショックを受けた様子だったヴェーチルとリンダは父と母という呼びかけにぱっと笑顔を咲かせる。ご機嫌な様子でヴェーチルはそれならと浮き上がった。
「僕が近くの町から医者を呼んでくるよ。ちょっと待ってておくれ」
 言下その姿は掻き消える。風の精霊そのものと気付いた風の精霊術士の少女が感激の声を上げた。
「じゃあ、お母さんは怪我人運ぶわね〜」
 同じく鼻歌でも歌いだしそうなリンダが手を振ると、地面に転がっている怪我人達が浮かび上がる。応じるように玄関が開くが、こちらは使用人の女性が手で開けたものだ。
「クラウド様、奥様、一階の広間に簡易の寝床を作っておりますので少々お待ちください」
 クーガルの指示だろう。クラウドは手を上げることでそれに答えると、まだ動ける面々を振り返った。
「すまない、我が家は人手が少ない。動ける者は準備の手伝いをしてくれ」
 ばらばらだが内容は同じ答えがあちこちから返って来ると、ミッツアとディエイラの案内で戦闘に参加しなかった者たちが率先して動き出す。リンダが怪我人を運ぶので、クラウドも寝床の準備に向かおうとした。
「まさか旦那の親がヴェーチルとリンダだとはねぇ」
 小走りのクラウドの横を普通の歩調のナリステアが歩く。名乗っていないはずの両親の名を聞き、クラウドは思わず彼女を見上げた。落ちてきたのは面白がるよう視線だ。
「旅先で会ったことがあるんだ。ムーンスティアって聞いた時におやと思ったんだけど、さすがに旦那と親子とは思わなかったよ。……あんまり似てないねぇ」
 似てない、と言われクラウドは「よく言われる」と苦笑を返す。能力や性質的には両親から間違いなく引き継いでいるが、ヴェーチルが仮初の体のため見た目にはあまり彼の影響を受けていない。かといってリンダのように幼い顔立ちでもないので、そう言われるのも理解出来た。クラウドはリンダの父――クラウドの祖父似だ。
「ま、断言出来るとしたら、旦那の真面目そうな性格で親があのふたりってのは苦労しそうだってことね」
 笑いながらナリステアが告げると、追いついたため聞こえる位置になった周りの者たちが揃いも揃って同意するように頷いてくる。とどめを刺すようにジルヴェスターに「でも親子喧嘩もほどほどにねクラウドさん」と背中を叩かれ、耐え切れなくなったクラウドは顔を片手で覆った。その下で顔が赤く染まると、周囲からは軽い笑い声が漏れる。
 その後の時間はまるで矢が飛び去るようにあっという間に過ぎ去った。
 父に連れられて来た医者たちは各種の術や自らの技術で怪我人たちの治療にあたり、その最中には地元の自警団もやって来た。話を聞いたところ、件の現場を確認した騎士団から連絡が入ったのだという。地域の騎士団はすぐには動けなかったのでひとまず自警団が話を聞き、翌日以降に正式に騎士団が聴取に来るそうだ。それまで捕らわれていた者たちは帰さないようにと言われたので、ナリステアたちはしばらくの間ムーンスティア邸に留まることになる。町に宿を用意することも出来ると言われたが、クラウドが許可したのとその両親が勧めたので結局ここになった。使用人たちは大変かと思ったのだが、特にコックを筆頭に張り切って見せてくれたのでそのまま任せることにした。
 コックの張り切り具合は夕飯に顕著に現れる。治療には一切関わらなかった彼は、ヴェーチルに買い出しを手伝ってもらい、使用人の女性の手を借りながらも屋敷にいた全員分の食事を作り上げたのだ。解放を祝したい気持ちもあったのか、その夜はささやかな宴会のような状況になった。
 皆がそれぞれ解散すると、クラウドも書斎にこもる。両親が話したがっていたが、「お疲れでしょうから」とクーガルがそれを留めてくれた。それに素直に応じているところを見るに、どうやら両親はすっかり彼に反発する気を無くしているようだ。
 ひとりソファに腰かけ何をするでもなくぼんやりしていると、不意に戸を叩く音が聞こえる。返事をすれば、控えめに扉が開いた。そこに立っていたのは寝巻きに着替えたディエイラだ。
「……邪魔をする。眠れないので少しいさせて欲しいのだが、いいだろうか?」
 いつもより落とした声量で問いかけてくるディエイラを手招くことで返答とする。ほっとした様子を見せると、ディエイラはぽてぽてと近付いてきてクラウドの隣に座った。床を見たまま沈黙する彼女を見下ろし、クラウドも何と言ったものかと悩んで口を閉ざす。いっそ黙っていさせてやる方がいいだろうかとクラウドの頭が結論を出しかけた時、ディエイラがぽつりと喋り出した。
「……奴らは自警団に引き取られたと聞いた」
 奴らが示すのがドーロ一家――ゴルヴァ、アビゲイル、トリストだと判断し、クラウドは肯定を口にして頷く。虫の息だったゴルヴァは、神術という回復の本元とも呼ばれる術を使う医者のおかげで一命を取りとめた。その後は自警団に引き取られるまで一家は大人しくしており、回復後一度だけ顔を合わせたもののクラウドも特に会話はしなかった。ただ、部屋から出て行く際追いかけてきたトリストに礼は言われた。
「後日、自警団に……騎士団かもしれんが、とにかくあれらの事情を聞きに行くつもりだ。もしかしたら処分に関しては不満が残るかもしれないが――」
 許してやれ、とは言えない。言うつもりもないのだが、続ける言葉が見つけられない自分にクラウドは内心でため息をつく。あれほど憎らしいと思っていたはずの誘拐の実行犯たち。しかし、彼らを取り巻いたのであろう状況を思うと、憎しみがどこかからさらさらと崩れて行く気がした。息子を庇って負傷したのだというゴルヴァ、家族の負傷に怒りを爆発させたのであろうアビゲイル、自分のために負傷した父を思って涙を流し、助けてくれた相手に礼を言ったトリスト。彼らが行ったことは悪行だが、彼らは普通の家族で、普通の人間だ。彼らがこの世界に来た時に出会ったのがあの奴隷商人たちでなければ、きっと彼らの今もクラウドたちの今もまた違ったのだろう。それが良いか悪いかの判断はクラウドには未だに出来ていない。
「……ああ」
 沈黙に落としたクラウドの迷いを拾い上げたのかそれとも別の意味で捉えたのか、ディエイラは短く返事をする。再び沈黙が落ちると、ディエイラは顔を上げてクラウドを見上げてきた。その顔に貼り付けられた笑顔にクラウドは僅かに訝しみを抱く。
「ご両親と仲直り出来たのだな。此が出て行った後に喧嘩になったと聞いたからびっくりしたのだぞ。これからは一緒にいられるのだろう?」
「本人たちはいる気になっているが、期待はしていない。どうせ一週間もしたらいなくなっているだろうよ」
 肩を竦めて溜め息を吐き出した。これは反発ではなく純粋な確信だ。思い出してみれば彼らの放浪癖は昔からである。家にいようと思っても恐らく外に出たい気持ちは抑えられないだろう。だが、責める気はもうない。はじめて自分だけで風の精霊の『本質』を使った時、クラウドですら「留まりたくない」、「次の場所へ」と異常なほどの欲求が湧き上がってきた。あれが生来であるならば、父はこの場には留まれない。むしろ、幼い頃よくあれだけ長いこと家にいられたのだと逆に感心する。母は留まることを本能で嫌う風の精霊が望んで得た楔なだけあって、性質がそれに似ているのだろう。彼女も一所に留まることは無理のはずだ。
「好きに飛び回り、好きに帰ってくればいいさ」
 不思議なほどすんなりとその言葉は出てきた。父を、そして母を多少なりとも理解出来たためだろう。
「そうか。……うん、その言葉はきっとご両親も喜ばれるだろう」
 数度小さく頷くと、ディエイラはまた黙り込む。次の言葉は思いのほか早く口にされたが、そのどれもが特別意味を持つものではなかった。今日は大変だった、料理が美味しかった、皆が楽しそうで良かった。そんなことを途切れ途切れに話しかけてきては、クラウドが返事をする。その繰り返しが何度か続いた後、ついに話すことが無くなったのか、ディエイラは次の話題を探すように視線を動かして意味のない言葉を繰り返した。クラウドはその彼女の顔を覗き込む。
「ディエイラ、無理に話そうとしなくていい。無言が耐え難いのなら本を読んでいてもいいし、何か話して欲しいなら話す。何か言いたいなら遠慮しないでいい。動物と触れ合いたいなら狼たちを庭に呼ぶ。暴れるのはまずいが、叫びたいぐらいなら空に連れて行くぞ?」
 先の契約時にはお互いの干渉力が強まったせいか言わずとも心が知れた。だが、今は通常状態に落ち着いている。残念極まりないが、今のクラウドには彼女の望みが分からないのだ。いくつかの方向から気遣いを見せると、ディエイラは貼り付けていた笑みを剥がして立ち上がった。その動きを目で追っていると、彼女はクラウドの目の前で立ち止まる。赤い眼差しは床に向いているため、座っていても水色の視線と相対することはない。
 少しの沈黙の後、ディエイラは控えめに両手をクラウドに差し出してきた。
「………………抱っこ」
 ぼそりと呟かれた要求は年相応、もしくはそれよりも幼い子供のよう。しかし、あからさまに不慣れな調子な上に、甘える顔でなければ照れたそれでもない。まるで悪夢を見た後に誰かのぬくもりを求めるような表情だ。
 クラウドは微笑み、ねだるディエイラの脇の下に手を差し入れる。そのまま抱き上げると、自身の膝の上に彼女を置いた。途端に、少女はクラウドの胸に顔を埋めて強く抱き締めてくる。少々力加減を間違っているが、魔力が上がり耐久値も上がったクラウドには普通の子供の強めな抱擁程度だった。
 そういえば、と思考が巡る。ひと月以上共に過ごしたが、クラウドがこんな風に彼女を抱き上げたのはこれがはじめてだ。もう少し言うと、彼女に触れるのは彼女と出会った日以来だった。これは特に意識していたわけではない。長年ひとりで過ごしていたため、クラウドの人と触れ合うという感覚が欠如していることが原因だ。まして彼にとって関わりある子供とは一族の子供たちであり、自分から構うことを要求してくる存在。クラウドから何かしてやる必要がなかった。
 子供とはこうも違うものか。そう思いながらも、クラウドはディエイラを抱き締め返して背中を軽く叩いてやる。これは一族の子供たちをあやす時に覚えてものだ。喧嘩をして癇癪を起こし暴れていた子供たちを宥めるのに借り出されたのは今となってはいい思い出だろう。
 記憶に浸っていると、腕の中の現実に嗚咽が混じり始めた。
「……すまない、すまないクラウド、すまない……っ。此は、そなたを救いたかっただけなのだ。そなたの魂を縛り付けるようなこと、本当はしたくなかったのだ……っ。全ては黒角であることを驕りつけ上がった此が悪い。だから、責めは受ける。咎は負おう。だが、どうか……どうか此を、嫌わないでくれ――っ!」
 何度も何度も声を絞り出すように謝るディエイラ。彼女の涙で胸元が濡れて行く。苦笑すると、クラウドは赤子にするように体を揺すった。
「そう謝るなディエイラ、そこまで大したことではない。それに、私とてそなたを眷属化してしまっている。謝るのなら私こそだろう。――すまないな」
 言葉と共に、クラウドとディエイラの間につながれた鎖がぼんやりと浮かび上がる。
 口にすると心に重くのしかかる事実。黒角の鬼族も寿命は長いはずだが、確実に長く生きるのはクラウドだ。そうすると、長くてもクラウドの彼女への隷属は彼女の生がある間となる。一方、ディエイラはそれこそクラウドの寿命が短いかそれを迎えるまでに不幸がなければ一生クラウドの眷属だ。眷属化は契約前であれば拒めるが、契約が成った以上魔力の多少は関わりない。結果として見ると、損をしているのはどちらかと言えばディエイラの方だろう。
「そんなことはない! 元々此が悪いのだ! クラウドが謝ることなど何もない!!」
 涙に濡れたままの顔を勢いよく跳ね上げ、ディエイラはクラウドの服の胸の辺りを両手で握り締めた。少々驚いたクラウドだが、必死な眼差しを注ぐディエイラに優しく微笑みかけると、彼女の頬を軽く撫でる。同時に身の内の奥、物体では表せない場所が熱くなった。心の片隅に浮かんだのは隷属の魔法陣。
「そう泣くな、我が愛し子。頼れる眷属と敬愛すべき主を同時に得ただけだ。その上に魔力は上がり、捨てかけた命もこの手に留まっている。いいこと尽くめではないか。そなたを嫌う理由がまるでない」
 心から思っていることを口にすれば、視線の先のディエイラは軽く目を見開き呆けた様子を見せた。心に不意にわきあがった驚きと、追って湧いた喜びがクラウドではなく彼女のものであるなら、恐らく彼女にもクラウドの思いが通じていることだろう。
「……其は、此の父か?」
「そのつもりでいた」
 妻もいない身で、とクーガル辺りに聞かれたら呆れられそうな気もするが、そう思っていたのは事実である。
 ディエイラは今度は顔を横に向けた状態でクラウドの胸に頭を寄せた。
「――どちらかというと、穏やかでおおらかだが少し間の抜けた兄のように感じていた」
「はは、私もそなたをしっかりしているが頑固者の妹のように思うことが多々あるな」
 くすりと微笑むと、ディエイラは頭を押し付ける力を少し強くする。
「……此の父はこうも優しくなかった。教えられたのは里に関することだけで、撫でてくれたことも抱きしめてくれたこともない。褒めてもらったのも、里が襲撃を受けた時敵を撃退した時くらいだ」
 なんと辛いことを。クラウドは眉を寄せてディエイラを見下ろす。すると、急にディエイラが顔を上げた。そこにあるのは、過日の日常の中で彼女が見せていたものと同じ――いや、それ以上に幸せそうな笑み。
「優しい父と頼れる従者と敬える主か。此も良いこと尽くめだ」
 鎖と魔法陣がささやかだが柔らかで温かな光を放って沁み込むように消えて行く。お互いに向けられた優しい感情に、クラウドとディエイラは自然と笑い合った。その笑みのまま、ディエイラは再度クラウドにもたれかかる。クラウドは何も言わず、ただ先ほどと同じように彼女の背中をぽんぽんと優しく叩いた。
 ほどなくして、腕の中でディエイラが寝息を立て始め、その傍らでクラウドも船を漕ぎ出す。彼がクーガルに小声で起こされたのはそれから時間が経った深夜。寝ているディエイラを彼女の部屋に送り届け、クラウドも自室に戻った。夜を生きる身とはいえ、さすがに疲れがたまっている。この日は翌日の夕方まで一度も目を覚ますことなく眠りについた。



 自室の扉がノックされる。不機嫌な顔をしたのは七年前に旅先でナリステアと出会った時の話をクラウドにしていたヴェーチルとリンダだ。クラウドが起きるや否や部屋に押しかけてきたヴェーチルとリンダは「今日は僕らの時間!」と主張を崩さず、言葉通り太陽が姿を消してしばらく経つこの時間まで居座っていた。
「何だいクーガル。僕らは食事は必要ないって言っただろう?」
 風の精霊に食事は不要であり、吸血鬼も特に魔力を使ったりしなければ五日は保つ。だが、入って来たクーガルは冷静に否定を返した。
「いえ、騎士団の方から文が届きましたのでお届けにあがりました。明後日こちらにお越しになり皆様から話を聞きたいそうです。つきましては、部屋を三室ほど借りたいと申し出が」
 いかがいたしましょう。クーガルが視線を向けて尋ねたのは完全に人事顔をしているヴェーチルとリンダではなく当事者であるクラウドだ。手紙を受け取り視線を流したクラウドは、少し考えてからそれをクーガルに返す。
「連続してない方が都合がいいようだから、一階の応接間と食堂、二階の広間を提供しよう。掃除を頼む。手が足りなければ作るから言ってくれ」
 元々土塊の人形を作り出すことは得意だったが、ディエイラとの契約で魔力が上がった今はさらに高度なものを作れるはずだ。主の申し出にクーガルは口ひげを揺らし、「その時はぜひ」と返した。果たして頼んでくれるかは分からないので、クラウドは明日はこの老人の動向に気をつけておこうと心に決める。放っておくと無茶――本人はいたってさらりとこなすのだが――をしかねない。
「では私はこれで」
 丁寧に一礼し、クーガルは部屋を退出しようと踵を返す。
「終わったかいクラウド? じゃあ続きを話そうか」
「あ、さっき思い出したんだけどね、その時食べた美味しい――」
「旦那様、奥様」
 夫婦ふたりで話していた両親が明るい顔で話を続けようと脱線しかけたその瞬間、再びこちらを向いたクーガルが声をかけてくる。ぎくりとヴェーチルとリンダは口を閉ざし動きを止めた。彼らは見ようとしないが、クーガルはにこにことどこか威圧感の漂う笑みを彼らに向けている。
「もう時間も遅くなってまいりました。どうぞ明日以降改めてお話くださいませ」
「え、でもほら、私とクラウドは吸血鬼だし、ダーリンは精霊だから眠る必要ないし――」
 リンダが何とか説得しようとするが、再び「奥様」と呼びかけられ肩を落とした。
「……は〜い……。行きましょうダーリン。おやすみなさい、クラウド、クーガル」
「そうだねハニー。おやすみクラウド、クーガル」
 クラウドとクーガルが挨拶を返すと、ふたりは名残惜しそうに手を振りながら部屋から出て行く。その足音が小さくなってから、クラウドはちらりとクーガルに視線を向けた。
「……何をした?」
「特に何もしてはございませんよ? ただ、真実をお見せし、少々お話させていただいただけです」
 ああ、それか。クラウドは確信する。真実を見せたのが効いたのかと思ったが、本当に効果があったのはどうやら彼の「少々のお話」の方だ。「少々のお話」に覚えのあるクラウドはつい苦い顔をしてしまう。それに気付いたクーガルはふぉっふぉっと髭を揺らして笑った。



 約束の日を迎える。クラウドが吸血鬼ということを考慮してか、来訪の時間は夕方に入る直前の時刻に設定されていた。その直前、騎士団からの手紙に書かれていた通りクラウドは脱出を共にした者たちを全て食堂に集め始める。ただし、怪我が酷い者もいるため、その者たちは寝泊りしてもらっている広間に留め置いていた。その旨はすでに伝令の蝙蝠を飛ばし、同じ蝙蝠によって許可の返事が来ている。
「お待たせ〜」
 緩い口調で食堂に入ってきたのはふくれっ面のジルヴェスターの首根っこを掴んで引きずって来たファラムンドだ。
「ジルヴェスター殿はどうしたのだ?」
 ミッツアたちの手伝いをして客人たちに茶を出していたディエイラが首を傾げた。問われた対象を食堂の床に転がしたファラムンドはミッツアから茶を貰いながら呆れた様子を見せる。
「持ってた機械の改造中だったんだって。無理やり連れて来たから拗ねてるだけ」
 音を立てて茶を飲むファラムンドも機嫌が悪そうだ。その理由をディエイラはすぐに察した。彼はこれから騎士団によって行われる事情聴取が気に食わないらしい。昨日はクラウドから全員に話があってからずっと文句を言っていた。ひと月以上も放っておいたくせに今更偉そうに管理するのが気に食わない、と。
 ひと月以上放置。その言葉にディエイラは忘れかけてしまっていた罪悪感がのそりと胸の奥で起き上がる感覚を覚える。空のお盆を持ったまま視線を落とすと、突然後頭部を何かに叩かれた。ゆっくりと首を巡らせながら上向くと、半眼のファラムンドと目が合う。
「約束守ったんだからお前はもういいの。うざいからいつまでも引きずんなって」
「あっ! ファラムンドさんってばまたディエイラ様に乱暴して。やめてくださいって言ってるじゃないですか」
 見咎めたミッツアがつかつかと靴音高く近付いてきた。それを笑顔で迎えたファラムンドはのらりくらりとかわしながらミッツアをからかい始める。機嫌が一気に良くなったのが目に見えてわかった。それを見上げながら、ディエイラは叩かれた頭を撫でて視線を落とす。
「……ありがとう」
 ぽそりと呟くと、自然と笑みがこぼれた。胸に現れた罪悪感がすっと薄くなり消えていく。
「ちぇー、ファラムンド君ひとりだけ機嫌よくなってー。いいもん、僕はナリステアさんの尻尾で癒されてくるからー」
 這いながら隣に来ていたジルヴェスターが更に這いながら壁際のナリステアに近付いていった。少々呆れを抱いて見守っていると、目的地に辿り着いたジルヴェスターは何事かナリステアに話しかける。最初ぎょっとしていたナリステアだが、ため息をついた様子を見せると尻尾をジルヴェスターに向けてやった。途端に満面の笑顔になったジルヴェスターはもふもふの彼女の尻尾に顔を埋め始める。イメージはしていたが実際にその光景を見ると予想以上にそわそわとしてしまう自分に、ディエイラは後で自分もモフらせて貰おうと心で誓った。
「皆集まっているか?」
 食堂にやってきたクラウドが開口一番に集合具合を尋ねる。はっとしたディエイラが全員揃っていることを伝えた。
「そうか。あと少しすれば騎士団が到着するだろう。皆すまないがもう少しそのまま――」
「クラウドー、庭まであと少しの所まで騎士近付いてきてるよー」
 廊下を歩いていたヴェーチルが通り過ぎざま背後から声をかける。ここに残るつもりはないらしく、さっさと姿を消してしまった。風の精霊が風に聞いたことであるなら正しいだろう。クラウドはもう一度待つよう伝えてから、自身は玄関に向かった。
「クラウド、此も」
 ディエイラが後ろからついてくる。止めようかと思ったが、どうせ気付かれるのだから今更いつ会おうが関係ないだろうとクラウドは彼女を伴った。玄関にはすでにクーガルが待機している。彼の隣に立ち庭を眺めていると、父の予告通り、屋敷の入り口の向こうから騎士団の姿見えた。
 更に少し待つと、全員が騎馬状態の騎士たちが二十人ほど連なってクラウド邸の門をくぐる。一同が整然と並び馬の足を止めると、先頭にいた群青の髪を後ろに撫で付けた中年の騎士が馬を降り丁寧に頭を下げた。再び上がった髪と同色の双眸は真っ直ぐにクラウドを射抜く。貫禄のせいか威圧感はあるが、脅すような空気はなかった。
「お待たせいたしました。ラレンフ騎士団第三部隊隊長、フリッツ・バッハです。そちらがクラウド・B・ムーンスティア殿でよろしいでしょうか?」
 手の平で示され、クラウドはこくりと頷き手を差し出す。
「クラウド・B・ムーンスティアだ。お忙しい中ご足労いただき感謝する」
「いえ、仕事ですので。こちらこそ慌しい中屋敷を提供いただき感謝いたします」
 フリッツが握手に応じ常識的な力で握り返してきた。腰に佩いた剣は伊達ではないようだ。その掌は得物を手に戦う者らしい硬さがある。身長はクラウドと同じほどだが、ガタイがいいので並んで立つと彼の方が大きく見えた。
 お互いに手を離すと、クラウドは居並ぶ騎士たちを見回して改めてフリッツに視線を向ける。
「申し訳ないが当家は厩がない。魔術で囲わせて貰って構わないだろうか?」
「ええ、大丈夫で――」
「隊長! 犯罪者とはいえ人間を皆殺しにした凶暴な奴ですよ? 馬を囲わせたりしてそのまま中で殺されたらどうするんですか!」
 フリッツが応じようとする言下、後ろに並んでいた騎士が声を上げた。不躾な内容に隊長が振り返り何か怒鳴ろうとするが、それにディエイラが先んじる。
「失敬だぞそこの騎士殿! クラウドは此らを助けるべく戦っただけであり、ほとんど気絶させただけだ。そもそもあの場で奴らを皆殺しにしたのは奴らが放った魔獣であってクラウドではない! 憶測でものを言うのはやめていただこう」
 声こそ幼いが落ち着きたどたどしさのない物言いをするディエイラに視線が一気に集中した。それまでは「今回の重要参考人」あるいは「大虐殺の犯人」とそれぞれ認識していたクラウドに視線が向いていたため、彼女の存在は彼らにとって唐突だったようだ。ゆえに、子供がいたのかと視線を向けた者たちの視線は重大なことに気が付くのに遅れる。最初に気付いたのは誰であっただろう。騎士の内の一人が強張った声で叫んだ。
「黒角……! 黒角の娘だ!」
「何故こんな所に黒角の娘がいるんだ!?」
「黒角の一族は里に籠もってる連中ばかりじゃないのか?」
「この領に来ているなんて報告聞いてないぞ」
「こんなことを隠してるなんてやっぱりこの吸血鬼やっぱり後ろ暗いことをしてるんじゃ――!」
 騎士たちの驚愕と戸惑いが波のように伝播していく。これまでにないほど黒角であることを騒がれたディエイラはこれはまずいことをしただろうかとクラウドの袖を掴んだ。クラウドは彼女を自分の背に下がらせた。直後、空気をびりびりと震わせ大音声が響き渡る。
「静まれぇ!」
 怒鳴ったのはフリッツだ。その声の響きがやまぬ内に騎士たちは静まり返り、場に奇妙な沈黙が落ちた。フリッツは部下たちを厳しい目つきで睨みつけた。
「我々は何をしにここに来た?」
 問えば騎士たちは背筋を伸ばす。
「先日起こった騒動の事情聴取です」
「そうだ。我々は話をしに来たのだ。決して新たな騒動を起こしに来たのではない」
 静かに、低く、フリッツが言い聞かせるように告げる。騎士たちは不満げな顔をしたり浅慮を恥じた様子で視線を下げたり真摯な表情で頷いたりとそれぞれの反応を示した。最後の面々は騒がなかった者たちだな、と一瞬で本来の目的を取り戻した一団を見ながらクラウドは騎士たちを冷静に見分ける。彼らの顔を覚えておくに越したことはない。どうやらディエイラとクーガルも同じことを思ったらしく、ふたりとも視線がクラウドと同じ方向に向いていた。
「クラウド殿、大変申し訳ないことをいたしました。部下たちには後ほど私からよく言い聞かせておきますので、馬はお任せしてよろしいでしょうか?」
 腰の後ろで手を組み綺麗な直立を見せるフリッツにクラウドはこくりと頷く。それに頷き返すと、フリッツは部下たちに手で合図を送った。応じて騎士たちが一斉に下馬する。クラウドは玄関横に手をつくと、魔力を流し巨大な檻を作り上げた。土人形の基礎となる土の魔術だ。風の精霊の子にかかわらず土の魔術にも十分明るいのは祖母が優秀な土の魔術師であったからだろう。
「使ってくれ」
 人馬が通れるほどの大きさに格子の一部を広げると、まず率先してフリッツが中に入り、続けて他の騎士たちがそれに続き、格子部分に馬をつないだ者から出てきた。先ほどクラウドを疑ってかかってきた騎士はまだ若いのか、クラウドの横を通り過ぎる時ぼそりと「万が一馬が傷付いたら絶対捕まえるからな」と呟いて行く。
 ままならないな。ため息をつきたい衝動を必死に耐え、クラウドは騎士たちが全員外に出るのを待って格子を閉じた。
「ではこちらに」
 クーガルが先導して歩き始める。そうして騎士団を通したのは食堂だ。中では脱出者たちが揃っており、ファラムンドなど一部の面々は騎士団を値踏みするように横柄な視線を向けていた。何人かの騎士たちは不快そうな顔をしたり戸惑ったりしていたが、フリッツは一切動じず、一同を見渡すとすぐにクラウドに向き直る。
「それではクラウド殿、残り二つの部屋に案内していただけますかな? 出来れば使用人の方に」
 頷き、クラウドは使用人の女性二人に命じて応接間と広間に案内させた。それについて騎士たちが出て行く。残ったのはフリッツに命じられ残った三人の騎士たちだ。
 しばらくそのまま待たされてから、先ほど出て行った騎士が一人目を呼びに来る。二人目が呼ばれたのは十分ほど経過してからだが、一人目は帰ってこず、三人目が呼ばれても二人目は帰ってこなかった。
「前の奴らはどうしたの?」
 ナリステアが四人目を呼びに来た騎士に尋ねる。ナリステアの巨体に一瞬動じた騎士だが、すぐに胸に拳を当て丁寧に返答した。
「二階の広間に行っていただいております。話の辻褄合わせや情報の隠蔽、改ざんがないかを確認するためですのでご理解ください」
 誠意なのかそれとも考えなしなのか。こうもはっきり「疑っています」と言われナリステアは怒りを覚えるより力を抜かれてしまう。仕方なく納得を示してナリステアは引いた。その背後では騎士がほっとした様子を見せていたのだが、彼女は気付かなかったようである。
 その後も次々に脱出者たちが呼ばれ、ナリステア、ファラムンド、ジルヴェスター、ミッツアも部屋から出て行った。現在残っているのはディエイラとクラウドのみだ。
「何を訊かれるのだろうな?」
 残っていた茶を飲み干し、ディエイラは若干不安そうに呟く。それを眺めていたクラウドはさて、と視線を入り口の騎士に向けた。緊張気味の彼はなるべくこちらを見ないようにしている。
「何を訊かれるにしても素直に答えるのだぞ? 下手に嘘をついて後で分かると面倒だからな」
「分かった」
 好んで嘘をつく娘ではないが、変な気を回して誤魔化してしまうことがあるかもしれない。そんな予測を潰すべくクラウドが釘を刺すと、ディエイラは素直に頷いた。その直後、騎士がディエイラを呼びに来る。
「では行って来るクラウド」
「ああ」
 騎士に連れられディエイラが出て行くのを見送っていると、見張りの騎士が戻した視線とぶつかった。ぎくりとした彼はすぐにまた視線を戻してしまう。一人になって手持ち無沙汰だが、ああも怖がられていると話しかけるのもまずい気がした。仕方なく、クラウドは目を瞑り呼ばれるのを待つことにする。そのせいで「物音を立てられない」と余計若い騎士が緊張することになるのだが、クラウドには知る由もないことだ。