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「ディスプレイに零れた雫」
 風呂場に携帯など持ち込むものではない。まして、かかってきた電話を取るべきではなかった。芽衣は今更な後悔を込めて、浴槽の底に沈む古式ゆかしいガラケーを見下ろしている。

 事の起こりはほんの1、2分前。風呂が溜まったことを知らせるアラームが鳴り、リビングでテレビを見ていた芽衣は母に命じられて風呂場にやってきた。湯を止めようと蛇口に手をやったその瞬間に、ポケットに入れていた携帯が震えたのだ。着信音は友人を知らせるもの。もしかしたら今度行こうと計画しているライブについて何か進展があったのかもしれない。意気揚々とポケットに手を突っ込み、携帯を引きずり出した。

 その時、つけていた小さなストラップの突起がポケットの端にひっかかってしまったのが運の尽き。引き出した勢いの良さの分携帯は吹き飛び、見事に浴槽にダイブしてしまった。

「嘘でしょぉぉ……」

 浴室の床に両手と両膝をつけ、芽衣はがっくりと肩を落とす。




 翌日、学校帰りに父と共に新しい携帯ショップに行った芽衣は、新しい物好きの両親の勧めでスマホを購入した。充電も終わり、今は慣れるためにベッドに寝転がりながら適当にいじくっている真っ最中である。とはいえ、元々タブレット型のPCを使っている芽衣にはそれほど難しい操作のようには感じられなかった。

 で、あるにも関わらず、その表情は暗いままである。

「あーあ、データ全部おじゃんかぁ……」

 水没した携帯はすぐに引き上げ乾かしていたのだが、やはり電源が入らず、ショップの店員にもデータの復旧は難しいと申し訳ない顔をされた。そうなって相手を責めるほど子供ではない芽衣は「大丈夫ですよ」と笑顔で答えたものの、今になってどっと負の感情が押し寄せている。

 長い間使っていたので、色々と入っていた。みんなで撮ったり、ふと気に入ったものを収めた写真。友人たちと交わしたメール。ダウンロードした音楽やアプリ。たくさん入っていた電話帳。お気に入り登録していたURL。諦めようとすればするほど、なくしてしまったのが惜しいものが頭の中に溢れ返ってくる。

 もしかしたら直るかもしれないじゃん。笑い話のように携帯を水没させたことを告げた芽衣に友人たちは励ますようにそう言ってくれた。駄目だった、と明日報告するのが怖い。きっと、彼女たちは同情してくれる。一緒に悲しんでくれる。けれど怖いのは、芽衣だけが「過去の記録」を共有出来ないこと。普段からデータフォルダを漁って「この時は〜」などと話しているので、気を遣って近々になくともいつかはそんな話が出てくる。芽衣はその時が怖い。

 目の前が滲み、芽衣はスマホを投げ出し枕に顔を埋めた。泣いたってどうしようもない。自分が悪いんだ。自分が迂闊だったからこうなったのだ。何度も何度も自分に言い聞かせ、芽衣は何とか落ち着こうと試みる。

 その時だ。不意にスマホが鳴った。まだ設定をしていないので初期の音声。電話番号やメールアドレスは変わっていないので、芽衣のアドレスを持っている誰かが鳴らしているのだろう。慌ててスマホを手に取ると、長いメールアドレスが表示されていた。誰だろう、そう思いながらメールを開くと、タイトルに書かれている友人の名前が目に入る。そういえば、と思い出したのは、夜の9時までに連絡がない場合は駄目だった時だからメールして、とふざけて話していたこと。芽衣は少し頬を緩めて本文に目を走らせた。

『連絡なかったってことは……駄目だったの!?
 とりあえずあたしのプロフ送るから登録してね♪』

 以下に続くプロフィールを、芽衣はすぐさまアドレス帳に登録する。メール画面に戻ると、本文はまだ続いていた。

『それと、みんなで芽衣との思いで写真送ろうぜ!ってことに
 なったから、あたしも送るね! みんなからのももう届いてる?』

「――え」

 どういうことか、と言葉を取りこぼした次の瞬間、芽衣のスマホは連続で振るえ小うるさいほどの着信音を奏ではじめる。受信箱に次から次へと溜まっていくメールはあっという間に10件を超え、20件を越え、芽衣は慌てながら名前がタイトルのメールを順に開き、まずはアドレスの登録を行った。

 一通りの登録が終わってから、芽衣は改めて他のメールを開いていく。

 何枚も連なり添付されている写真は、学校での日常、文化祭などのイベントごと、休日に遊んだ日のもの、以前にも貰ったが消えてしまった友人たちのペット、様々なものが写っているものだった。リンクになっているURLに跳べば、気に入っており、友人たちに教えていたサイトが次々に開いていく。

 あっという間に増えた、あっという間に取り戻せた「思い出」たち。最後のメールを開いた時、桜の木の下で笑顔を寄せ合っている芽衣たちの写真に、ぽつりと水滴が落ちる。その水滴は次から次に増え、ディスプレイはどんどんと濡れていった。また壊れたら嫌だ、そう思いながらも水滴の元を止められそうにない芽衣は、ぎゅっとスマホを胸に抱きしめる。その奥で燃え上がるのは喜び。言葉に出来ないほどの嬉しさが、芽衣をこれでもかと言うほどに泣かせてきた。

「……みんな……」

 優しい優しい友人たちを思い、芽衣は思わず叫んだ。母に怒られるかもしれないけれど、関係ない。

「大好きだぁぁぁぁぁ!!」




 この夜、予想通り母に怒られた芽衣は友人たちにお礼のメールを返した流れで延々とやり取りを続け、付き合ってくれた友人たちと共に盛大に寝不足になるのであった。


〜あとがき〜

創作向けお題botさん(https://twitter.com/utislove)のお題、
「ディスプレイにこぼれた雫」より。

悲しいよりは嬉しいで締めたかったのでこのような感じに。
思い出が手軽に持ち運べる半面、壊れた時が怖いですよね携帯は。


作成 : 2015/01/21
掲載 : 2015/02/21

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