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Mr.Me
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「こんにちはぁ」

 声をかけられたのは学校の帰り道。イライラしている時には聞きたくないくらいに明るくて上調子のそれのせいで
不機嫌に歪みそうになった顔を必死に堪えて、私は隣に立った声の主に視線を向ける。

「……何ですか? っていうかどちら様?」

 そこにいたのは声から予想出来るくらいに笑顔な男。黒い髪は髪は首の後ろまでで、着ているのはどこにでもありそうな普通の服。どこぞのファッションセンターで一式揃えられそうだ。そして浮かべている笑顔は底抜けに明るくて、平時ならこっちも幸せになれそうなものだ。

 だけど、心が小波立っている今、それは不愉快でしかない。

「私ですか? わたしですよ」

 返答とは認められない返答をして男は頬に指を当てて柔らかく微笑む。

 新手の俺俺詐欺か。私はすぐに男から視線をそらして歩き出した。一応携帯を手にし、いつでも警察にコール出来るように準備をする。すると、男はその反応に慣れているのかすぐに私の後を追ってきた。

「あ、あ。待ってくださいよぉ。俺俺詐欺でも頭の残念な人でもありませんってばぁ。私は本当に"わたし"なんですよぉ」
「意味が分かりません。ついて来ないでください。警察呼びますよ」

 早足で振り切ろうとするけれど男はまだ言い訳しつつついてくる。いい加減腹が立ってきて我慢が消えた。いつもだったらもっと余裕だけど、今は無理だ。変質者まがいだし、正当防衛もなりたつだろう。私は思い切り持っていた鞄を振り回す。

 鞄は男の顔を打つ。だけど、それと同時に近くなってしまった手を取られてしまった。大声を出そうとしたのも束の間。男はすぐにその手を放す。ぶつかったままだった鞄がずるりと男の顔からずれた。そうすると、その下から現れたのは笑顔を取り払った真顔。

 怒らせてしまったかとも思ったがそうでもないらしい。真面目な顔をしているが、怒りを思わせるものでもない。

「……怒り」

 心の中で思っていた単語を口に出されてびくりとする。男はそのまま続けた。

「"どうして自分が"という、混乱に似た。"何故分かってくれない"という悲しみ、責められることへの不条理、信じてくれない周りへの不審、そんな思いを抱く自分への嫌悪……」

 ぽつりぽつりと重ねられていく言葉を聞いて私はざわりとした。

 何だこの男は。何がしたいんだこの男は。


 ――――何で、私の心を暴いていくんだ。


 私は男を黙らせるために持っていた携帯を投げつける。安全も、保身も、もうそんなの考えられない。今はただこの不愉快な男を黙らせたかった。鬱陶しくて、それ以上に、怖くって。

 男は携帯を額で受ける。さっき鞄を受けた部分が赤くなっているのに、額がそれよりも赤くなった。携帯が音を立てて落ちると、男はしゃがんでそれを拾い上げ、たった1歩近付くだけでまた私の手を取りその中にそっと置いていく。

 今度は手を放されない。携帯ごと手を包まれる。振り払いたいのに動けなくて、私はきつい眼差しで男を睨む。そうすると、男と目が合った。

 息を呑む羽目になったのは、男の目から涙がこぼれていたから。

 痛かった? 泣くほど?

 混乱しながら、目を見開く私に、男はまた言葉を紡ぐ。

「……まるでナイフで抉られるようです。あなたの心の傷は、何て痛いんだろう……」

 ぼろぼろと涙をこぼしていく。いい年こいた男が、見ず知らずの人間のために。

 ああこんなの嘘だ。こいつはきっと新しい宗教勧誘だ。そうじゃなければ誰かの兄貴だ。誰かが私をはめようとしてこんな茶番を仕組んだに違いない。信じるな信じるな。こいつは何も分かってない。弱みを見せれば付け込まれる。

 自分にそう言い聞かせていく。だけど、目の前を通過していく涙の粒が、見るたびに心を撫でて行く。まるで泣きじゃくる小さな子供が頭をなでられるたびに落ち着いていくように、ささくれがひとつひとつ撫で付けられていく。

 そのたびに目の奥のダムが刺激される。私は顔を歪めて男を見上げた。睨みつけたいはずなのに、自分でもその表情が
縋るものだと分かってしまう。

「………………あんた、誰?」

 もう一度誰何する。男は涙をこぼしたまま答える。さっきまでの笑顔が嘘のような、ひどい泣き顔のままで。

「私は、"わたし"ですよ。名前はありませんが、ニックネームは以前の"私"にいただきました。私は――――」

 耳に音が届く。目を見開くと、男はぐしゃぐしゃの顔で笑った。みっともなくて、かっこ悪くて、惨めで、ダサくて、見るに耐えない。

 だけど今の私はきっと同じ顔をしている。私は男と同じように、泣いた。

 私が男よりひどく泣けば男はもっと泣いた。声を上げれば声を上げて。たくさんたくさん、泣いた。



 ふと正気に戻る。回りを見回せば誰もいない。コンパクトで目元を見てもあれだけ泣いた後とは思えないくらいいつも通り。夢だったのかな、とも思うけど、心はひどく落ち着いている。

 胸に手を当てて立ち尽くしていると、ふと携帯が鳴った。慌てて目をやれば新着メールのお知らせが表示されている。名前も見たくなかった友人からのメールなのに心は騒がない。タイトルは「今どこにいる?」、中を開けば謝罪と言い訳と今から会おうと言う"お願い"の羅列。

 一瞬前なら会いたくなかった。だけど、私の手は自然に"可"を唱えるメールを作成し、送ってしまう。
だけど後悔はしていない。私は携帯をポケットにしまうと来た道を引き返していく。


 そして5歩ほど進んで気が付き、後ろを向く。

 誰もいない。誰もいない。だけど私は笑って言葉を紡ぐ。きっと夢じゃない、私のために泣いてくれた"私"に向かって。


「ありがとう、Mr.Me」


★ あとがき ★


誰でもあって誰でもない不思議な存在。
他にも同じ人物が登場するやつが頭の中にあるのでいつかアウトプットしたいです。

2012/03/17


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