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 中学の卒業式。一般の学校であれば、ほとんどが持ち上がりとなる小学校の卒業式よりも卒業生たちの感情は盛り上がる。なにせ、この日を最後に今後の人生で関わらなくなる者もいるだろうから。だが、この影咲学園はその「別れ」という感覚に縁遠い。この学校は中高大の一貫校であり、基本的に中学を卒業してもそのまま高校に持ち上がりだ。彼らからしたら、通う校舎が変わる、という程度の話なのだろう。
「……ま、俺はそれ以上に変わらないわけだけどな」
 いつも通りの顔で下校していく卒業生たちを開け放した教室の窓から見下ろし、ベスティアは軽く笑いを浮かべて呟いた。23回目の中学3年生が終わり、一週間そこらしたら彼はまた中学3年生だ。24回目のクラスメイトたちも、また「3‐1の主」という誰が呼んだか分からない名前でベスティアを呼ぶのだろうか。
 次のクラスのことを考えていると、不意に教室の後ろのドアが開けられる。すっかり慣れた気配だ。ベスティアは誰だと問うこともなく首だけでそちらを向いた。
「よお沖島。来ると思った」
 入ってきたのは前も後ろも長い髪で顔が隠されている少年――陽介だ。今日までクラスメイトで、休みが終われば先輩となる。そんな不思議な関係となる彼は、前髪の下で僅かに眉を上げたようだった。
「よく分かったね。別に何も言わなかったのに」
「熱い視線がぶつかってたからな〜」
 軽口で言うと、陽介は「馬鹿言ってる」と肩を竦める。はははと軽く笑いを返してから、ベスティアは改めて陽介に向き直った。いつも誰かがいた教室。彼らがふたりだけになるのは、初めて言葉を交わしたあの日以来だろうか。
「で? 用事は? 言っておくが男からの告白は受け付けてねーぞ」
「心配しなくてもそんな予定は一生ないよ」
 そりゃ安心した、とまた茶化す中、陽介はてくてくと近付いてくる。それを視線で追っている間に、彼はベスティアの隣までやって来た。10センチほど下から、長い前髪の間から、この容姿からは想像も出来ないほど真っ直ぐな視線が向けられる。
「最後のつもりはないけど、一応けじめとしてお礼を言っとこうと思ってね」
「お礼?」
 何か言いたがっている、というのは分かっていたが、まさかその方向とは。ベスティアは少し驚いて軽く目を瞠った。「これからも友達でいよう」とか、そんな青春爆発な感じのことを言われると思っていた予想は、あっさり裏切られる。
 珍しい驚きを映すベスティアを見上げたまま、陽介はふっと笑みを浮かべた。彼にしては、珍しい笑み。
 その瞬間、空けたままの窓から桜の花びらを纏った風が吹き込み、カーテンが膨らむように広がる。同時に、茶に近い黒髪が煽られ、その下に浮かべられていたはっきりとした笑みを明らかにした。
「僕に関わってくれてありがとう、ベスティアさん。最初は面倒だったし嫌だったけど、あなたが踏み込んできてくれたから、僕はこの1年で、今までの14年以上にたくさんの人たちと友達になれた。僕の世界を広げてくれて、ありがとう」
 言葉の終わりに合わせて差し出された右手。意図に気付き、ベスティアは流石に気恥ずかしさから眉根を歪める。それでも、口元は自然と緩んだ。
「……お前ってこういう時ホント照れがねーよなぁ」
 右手を差し出し返し握手を交わすこと数秒。すっと力を抜き手を離――そうとして、陽介はベスティアが力を緩めないことに、いや、力をこめてきていることに気付き怪訝けげんな顔をした。
「……ちょっとベスティアさん?」
 何のつもり、と言外に込めて見上げると、ベスティアはいつも通りのにやーとした笑みを浮かべる。嫌な予感が全身を駆け巡った陽介は即座に逃げようとするが、囚われたままの手は解けない。
「ちょっと何? 今度は何企んでるの?」
 流石に1年付き合いがあれば彼が何かを企んでいるのかすぐ分かる。ただ、陽介の固い頭ではベスティアの縦横無尽な思考には追いつけない。とりあえず厄介なことを企んでいる、ということだけ、経験から察していた。
「何だよ心外だぞ〜」
 はっはっはっ、とわざとらしい笑い声を立てるベスティアは、おもむろにズボンのポケットに手を突っ込む。そして次の瞬間彼が取り出したそれに――ハサミに、陽介は絶句した。まさか、いや、やりかねない。
 確信した刹那再度逃げ出そうとするが、それより先に腕を強く引かれる。たたらを踏み姿勢が不安定になると、今度は後ろから首に腕を回され捕らえられ、さらに足を後ろから前に払われた。床に尻餅をつく、と思ったのだが、陽介が腰かける形になったのはいつの間にか用意されていた椅子だ。それを認識するや否や、首にケープがかけられる。散髪の時に使用される、あれだ。
「何でこんな用意周到なの!?」
 準備の手際の良さにも驚くべきなのだろうが、それはいい加減慣れた。これがベスティアなのだから。
「いやほら? 卒業祝い? 餞別せんべつ? とりあえず心機一転頑張れよってことで。安心しろ。俺意外に器用だから」
「本来祝われる側のくせに……こんなことにやる気出してる暇あるなら普通に卒業しなよ」
「がちゃがちゃ言ってるとハサミ横に滑って悲惨なことになるぞー。ボウズで登校したいか?」
 見下ろす笑顔で脅しかければ、陽介は心底嫌そうな顔をして大人しくなる。舌打ちでもされそうな雰囲気だが、ベスティアは満足そうに鼻歌を歌いながら躊躇ちゅうちょなくハサミを動かした。しゃき、しゃき、と音が鳴るたび、同じくいつの間にか用意されたビニールの上に切られた髪が落ちていく。
 短くなっていく髪を見つめて、ベスティアは何となく懐かしい気分になった。陽介と初めて会った時、つまらない奴だと思った。何も響かない、空っぽそうな奴だと。けれど彼は、自らベスティアに近付き、相当年上にも関わらず「自分のコマで授業を受けろ」と言ってのけた。その後、偶然ポジティブな言葉を向けて、反射のように嫌な顔をされて。それからだ、彼を「結構面白い」と思うようになったのは。
 実際彼は面白かった。他のクラスメイトたち同様、彼はベスティアの1年を大変有意義なものにしてくれた。真正面からこの目が向かってくる機会が減る、というのは、なるほど少々物悲しい。
 けれどまた忘れるのだ。自分も、彼も。時間が経つたび、この、切り落とされた髪のように、なかったことになっていってしまう。
 しゃき、と長い前髪の最後の一束を切り落とすと、下ろされていた陽介のまぶたが不意に持ち上げられる。遮るものがなくなってもなお真っ直ぐな視線がベスティアを正面から捉えた。
「ほんっと物好きだよねベスティアさん」
 ばさりと一言言われ、ベスティアは目をぱちくりさせる。その疑問を映す視線の先で、陽介は俯き床に敷かれたビニールに向けて切られたまま頭に残っている髪を落とし始めた。軽い音を立て、あるいは音すら立てずに、髪が落ちていく。
 ある程度落とすと、陽介は顔を上げ、すっかり短くなった前髪を指先で摘まんだ。その表情は、いつも前髪の下に隠れていたそれと同じもの。
「まったく、卒業式の日に元同級生に髪切られるなんて一生忘れられないよ」
 呆れたように溜め息を吐かれてしまう。呆けていたベスティアは、手元に戻ってきた日常感がやけにおかしくて、くっと喉を鳴らした。
「ははっ、それ聞きようによっては苛めだな。お前の母ちゃんから苦情きたらどうすっかな」
「放っておいていいよそんなの。……っていうか、多分苦情じゃなく感謝状だよ届くとしたら。切れってしつこく言われてたんだよね」
 気になるのか陽介は何度も指先で前髪をいじっている。ベスティアはその頭を両手でがしゃがしゃとかき混ぜた。また落ちた髪の毛が落ち着いてから、ケープを外す。心得ている陽介はそぅっと立ち上がり、髪が落ちている場所を踏まないようにビニールの上から降りた。
 片付けないと、と掃除用具入れに向かう背中に、ベスティアは声をかける。
「世界、広がったか?」
 からかうように問えば、じろりと遠慮なく睨まれた。
「お節介」
 短い回答。言い放つや否や陽介はまた用具入れと向き合ってしまう。けれどベスティアは笑った。たった5文字に詰められた思いは、文字通りの意味だけではない。振り返る瞬間見えた、陽介の口元の綻びは、そのことをしっかりベスティアに伝えてきてくれる。
 23回目の卒業の日は、思いのほかベスティアの記憶に残る気がした。



あとがき

2016年のれーかさんのお誕生日用に書いたお話です。
「影咲学園交遊録」のベスティア君とうちの陽介になります。
ベスティア君は中学を何度も何度も留年するという衝撃的なことをしており、その間ずっと1組(優秀クラス)にいます。そのことを思い出した時、私は気付いたのです。「つまり陽介とは一時期同じクラスだった」、と。その結果が、以前書きましたふたりの出会い編
それを前提に、今回は卒業編、ということで書かせていただきました。以前の話を書いた時、「陽介の髪を切ったのはベスティア君だろうな。いつかその話も書こう」と心に決めていたので無事に書けてよかったです(´ω`*)

それではれーかさん、かなり遅くなりましたがお誕生日おめでとうございます!
(※このお話はれーかさんのみ別所掲載可です)


2017/07/08