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ここは【夜の街】。太陽を迎えない
「ん~、今日はちょっと気温高いねぇ。ね、鍇」
月の光を弾く湖を望む岩に腰かけていた女性は、長く艶めく栗色の長髪を揺らして大きく伸びをすると、隣に立つ麗しい容貌の青年に声をかける。彼女は東の次界の門衛のひとり・照柿 空良。空良が声をかけたのは同じく東の次界の門衛にして彼女のパートナーである鬼灯 鍇だ。空良が座る岩の隣に立っていた鍇はいつもより少し下にある空良の顔を見下ろして僅かに微笑む。
「そうだな。眠かったら少し休んでいてもいいぞ?」
「あはは、大丈夫だよ~。そんなに疲れてないから。それに、寝るくらいなら鍇とお喋りしてたいかな」
にこりと笑い返され、鍇はふいと視線を逸らした。黒い髪に遮られた表情はポーカーフェイスを装うが、照れや喜びを隠しきれないその様子を空良はにこにことして見続ける。
その時だ、門が開く気配がした。
空良が立ち上がり、その斜め前に鍇が立つ。そしてややあって門が開ききると、そこからは奇妙な組み合わせが出てきた。
前を歩くのは青灰色の長髪を後頭部の高い所で結んだ、全体的に青い印象のある青年だ。左耳に揺れる赤玉のピアスだけが少しだけ異質さを醸している。空良が彼の内包する魔力の強さにぴくりと反応するが、それでも彼はまだ一応「普通」の来訪者だ。
空良と鍇が気になっているのは彼の後ろにいる人物だ。白い髪に銀色の仮面。目の所には白いガラスのような物がはまっており、鼻から上の様子はまるで分からない。左耳には5色の玉が連なったピアスをしており、身につけている服は大変カラフルで奇抜なものだった。空良がじっと見極める視線を送るが、青年と違ってこの人物はいまいち把握が出来ない。
それでも東から入って来られたのなら悪意あるものではあるまい、と空良が一歩前に出て友好的に挨拶しようと軽く息を吸う。すると、それに先んじて仮面の人物がにっこりと笑って声をかけてきた。
「おほほほ、どーもどーもこんにちは。お仕事お疲れ様ですねぇ。アタクシ、エスピリトゥ・ムンドより参りましたネブリナと申します。こちらはジーン・T・アップルヤード。実は先日彼がこちらに迷い込んだ時にこちらのルールを違反してしまいましてねぇ。そのお詫びに参ったんですよ。魔物の死体等も放置してしまいましたしねぇ」
まるで世間話をするような軽い感じで話してくる仮面の人物――ネブリナの最後の言葉に、空良と鍇ははたと数日前のことを思い出す。その日の深夜、珍しいほど多量の魔物が異界から流れ込んできたのだ。しかし、門衛たちをはじめとした者たちが気付き現場に駆けつけた時にはすでに魔物は全滅。そこに救い主たる者の姿はなかった。
後日この街の【主】が迷い人があったこと、その人物が片付けてくれたことを説明してくれた。――正確にはもうひとり、この街の住人も戦っていたのだが、【主】は“彼”の平穏な生活のためにそれに関しては沈黙を守っている。
「ああ、その話は伺っています。むしろこちらがお礼を申し上げるべきですのに……。どうぞ、【主】の元へご案内します」
空良が朗らかな笑みを浮かべて促すと、ネブリナは笑顔でそれに応じようとした。だが、ふと顔をとある方向に向けて動きを止める。その方向を空良が視線で追いかけるが、少なくとも視界に映る範囲には何もない。ただ気になったのは、そちらは【主】の館がある方向だ。
一呼吸分ほど沈黙を保ったネブリナは、再び空良に目を向ける。そして、指を一本立てて口元だけでも十分分かるほど大きく笑った。
「お気遣いありがとうございますよぉ、お嬢さん。ですが、どうやらお招きいただけたようですので、アタクシは直接そちらに向かわせていただきますねぇ。オイタはしませんので、ご容赦くださいねぇ」
言下、ネブリナの姿が掻き消える。鍇の目では追えない。空良ですらその魔力の軌跡は追えず、ただ空気に漂う残滓で何か魔法が使われたのだと判別するにとどまった。
困惑していると、しばらく周囲を見回していた青年――ジーンが声をかけてくる。
「なあ、あの光何だ?」
問いかけつつ彼が目に映しているのはこの夜の街に欠かせないもの――【
「この街の光源で、灯樹、というものだ。――失礼だがこの街については?」
「知らん。この間うちの世界の方にある時空の狭間にはまって偶然出てきただけだからな」
短く返された答えを受け、空良が簡単に夜の街についての説明をした。そして逆に彼らの世界についての説明を簡単にしてもらう。特にルールがあるわけではないのだが、はじめて関わる世界のため空良も鍇も興味があったのだ。
ジーンは割りとぞんざいな受け答えをするが、それは要点をしっかりと掴んでいたためふたりは大まかのことを解した。
「んじゃそろそろいいか? 別に案内なくちゃ歩けねぇ場所って訳じゃないだろ?」
周囲への興味が尽きないのか、明るい表情でジーンは街へ向かうことへの許可を求めてくる。見目としては整っており表情をなくすれば冴え冴えとした印象すら与えるのに、まるで子供のように笑う彼に、空良はくすりと笑った。
「ええ、どうぞ。光が灯ってるけど慣れない人は転びやすいから気をつけてね」
笑顔で道を示されると、ジーンは軽く手を振って鼻歌交じりに歩き出す。それに対して空良と鍇が顔を見合わせて微笑み合った。
その時だ。ふたりは全身を覆うような寒気を覚えぞくりと肌を粟立てる。そして、瞬きほどの間に戦闘態勢に入った。反射のように向き合ったのは、立ち止まり首だけこちらを振り返るジーンその人。彼は、先ほどまでとまるで変わらない笑顔を浮かべている。
「今回は街の散策させてもらうけどよ、お前らと遊ぶのも面白そうだから、次は遊ぼうぜ」
ひどく楽しそうに笑って、ジーンはまた歩き出した。少しずつ遠くなっていくその背に警戒はなく、告げられた言葉には殺気も悪意もなかった。けれど、戦闘体勢を解けないでいる空良と鍇は先ほどとは180度違う心情と表情で彼を見送る。
* * *
ここも問題なさそうだ。灯樹の“子”によって灯るランプを見下ろした栗色の髪とオレンジ色の双眸を持つ少女は満足そうに頷いた。夜をやめないこの世界で、人々を照らす灯樹の守り人である彼女は日課のように光の点検をしている。
本日は口うるさい同居人が珍しく留守にしているため、ゆっくりと気楽にその業務に励んでいた。……家にいると静けさが辛くなる、という心の底に浮かぶ思いを無理やり気にしないようにして。
「よーし、これで点検終わりですぅ。憩い行ってお茶してくるですよ」
一仕事を終え、少女は満足そうに明るい表情を浮かべた。彼女が器用に立ち上がったのは街灯の細い棒の上。近くで見たい、と思い、背に生えている蝙蝠のような羽を駆使してここまで昇ってきたのだ。人が見れば「危ない」というかもしれない。同居人が見たら「なに馬鹿なことしてるんですか」と呆れて馬鹿にされるかもしれない。けれど飛ぶことに慣れた身にはこの程度造作もないことなのだ。
飛び降りようと膝を曲げ、体を傾ける。
「あっ!?」
しかし、次の瞬間少女の口から飛び出たのは驚きの声。滲むのは「しまった」という後悔。直前その場を埋めたのは、何かにつっかかるような鈍い音。――そう、飛び降りる際に足が街灯に引っかかってしまったのだ。
体勢を整えなければ。頭はそう体に命令を下している。だが、体はそれを良しとせず、見る見るうちに地面が近付いてきた。激突する。そう確信した少女はぎゅっと瞼を下ろす。せめて覚悟しておけば少しは違う、と。
だが、思っていたよりも早くその瞬間は訪れた。驚いたのは、それが痛みを伴わなかったことだ。もちろん衝撃はあったし、痛みがまるでなかったわけではない。けれど想像していたそれとはまるで比べ物にならないものだ。
しかし、瞬きほどの間を置いて少女は何事かを理解する。目を瞑ったままでも、自分が誰かに抱えられているのが分かったのだ。十代の少女としてはあまりに恥ずかしすぎる失態と、状況。目を開けるのが違う意味で怖くなるが、少女は意を決して視界に光を戻し、救い主に目を向ける。
そして、まるで想像していなかった人物を目の当たりにして両目と口を大きく開け放した。
「おいおい、この街では上からガキが落ちてきて歓迎するもんなのか?」
嫌味というほどではない軽口を吐いて笑ったのは、青灰色の髪と目をした青年。この街では一度も見たことがないその人物が別世界の人間であると少女はすぐに判断した。だが、言葉を無くした理由は別にある。
(うわー、イケメンですぅ。それに強い魔力……)
鍇を見慣れてくるとついつい基準が上がりがちだが、この青年もまた、少女には眼福だ。さらにその総身に渦巻く魔力を前に、少女はぼんやりと青年を見つめた。すると、青年は少女の片側に回している腕を動かす。正気に戻れ、というような動作だ。
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※漢字を出すために文字コードが変わっています。フッターは以下のような内容です。
「風吹く宮(http://kazezukumiya.kagechiyo.net/) 」