< >
「お前この街の人間か?」
「へっ、は、はいです」
人間、と言われると魔族の身からしたら語弊があるのだが、わざわざ訂正するのも面倒なのでそのまま返事をする。すると、青年はにっと歯を見せて笑った。
「んじゃ俺の案内してくれよ。助けてやったんだからそれくらい喜んでやってくれんだろ?」
言っている内容は随分上からの俺様な様子だが、笑っている所を見ると冗談なのかもしれないし、一応「依頼」の形にはなっているので少女は笑顔を返す。どうせこの後は適当に時間つぶしをするだけだったのだ。問題はない。
「はいです。あ、申し遅れました、ルゥ・パンプキンですよ。お兄さんは?」
少女――ルゥが名乗り問いかけると、青年はまた笑みを浮かべる。
「ジーン・T・アップルヤードだ。よろしくなルゥ」
挨拶を交わし、握手をしようと手を差し出しかけたルゥはようやくあることに気がつく。そう、まだ彼に抱き上げられたままだ。しかも膝の裏と肩の後ろに手を回されるというお姫様抱っこという形で。
憧れこそあるしとても嫌だというわけではないが、実際やられるとこの恥ずかしさはたまらない。しかも、ルゥには年頃の少女特有の体重の悩みがある。少し顔を赤くして困ったような笑みをジーンに向けた。
「あのー、ジーンさん。助けてくれてありがとうですよ。で、このままだとちょっと案内しづらいんで……」
下ろしてください、と言外に込めると、ジーンは「ああ」と気付いたような声を出す。ようやく落ち着ける、と思ったのは束の間。
「おんぶか?」
「何でそうなるですか!?」
よく分からない方向に着地したジーンの回答に思わず声が大きくなる。
「あ? 肩車か? そこまでガキだったのかお前」
意外そうな顔をするジーンにルゥはさらに反論しようとし、はたと止まった。
「……ジーンさん、ルゥのこといくつくらいだと思ってるですか?」
ジーンの言葉を聞いてまさかまさかと疑惑が膨らんでいく。疑いつつ問いかければ、ジーンは何てことのないように答えた。
「せいぜい12、3歳だろ?」
いとも簡単に。まるで当然のように。さも正解であるかのように。疑問ではなく確認のために上がった語尾を聞いてルゥは彼への遠慮を忘れる。
「下ろしやがれですぅぅぅぅ! ルゥは16歳の乙女ですよジーンさんの馬鹿あああ!!」
* * *
その後不機嫌になってしまったルゥだったが、軽く「悪い悪い」と謝ったジーンが遠慮なく案内を開始させたため、気が付けばすっかり機嫌は直っていた。今では元気よく引っ張りまわしている。テンションと比例して上がっていく案内速度は常人であれば休憩を求めるペースであったが、同じくテンションが上がっているジーンは一度もそれを要求することはなかった。
そして、ある程度の区間をひと通り回った所でルゥが立ち止まったのは、夜の街の中央にある噴水広場だ。水の音と喧騒に包まれたその場は、例えば静寂を好む者には苦手な場所だろう。だが、どうやらジーンは真逆で騒がしいのが好きらしく、広場が近くなったあたりから顔が緩んでいた。今、噴水の縁に腰掛ければ口元には完全に笑みが浮かんでいる。
「どうでしたジーンさん?」
あちこち歩き回ったため赤くなった頬のままルゥが期待を込めた双眸でジーンを見つめた。聞きたがっている答えが分かったジーンは、あえてそれに迎合することはしない。
「ああ、面白い街だな。お前の紹介も面白かったぞ」
どうせ、言いたいことは作らなくてもそれに値する。そう予想しながら素直な感想を口にすれば、ルゥは満足そうに笑顔を咲かせた。それを口の端を上げて見ていると、ふと思い出したようにルゥが両手を胸の前で軽く叩き合わせる。
「そうだ、気になってたですけど、ジーンさんってどこの世界の人ですか?」
この短時間で、他の年上たちと違い暴走を止めるどころか一緒に楽しむジーンにルゥはすっかり慣れていた。最初の頃の照れももう全くないと言ってもいいだろう。
「エスピリトゥ・ムンドって所。創霊様ってのが創った世界でな、1つの大陸と海だけで構成されている、世界と世界の間に揺蕩う世界だ。ここよりも広くて、多種の種族や文化が共存してる。――ってところか」
細かい話を当然のように省かれてルゥは頬を膨らませた。
「分かりやすい説明どーもですー。でも出来ればもうちょっと教えて欲しいですよ」
「めんどいから丁重にお断りだ。知りたいなら来りゃいいだろ。異世界とつながったことない世界にゃ捕捉されねぇが、この世界みたいに他とのつながりが元々ある所なら見つけようと思えば見つけられる」
文句と一緒にべしべしと叩いてくるルゥの額をジーンは指先で弾く。軽く見えるが意外にダメージが入りルゥは両手で額を押さえてうずくまった。その様子を見てジーンは楽しそうに声を上げて笑う。楽しげな笑い声が今は憎たらしくて仕方ない。ぎりぎりと歯を食いしばりルゥはジーンを睨みつけた。
「わーるかったって。ほれ、機嫌直せ機嫌直せ」
「うきゃあっ!?」
まだ笑ったままジーンが立ち上がる。ルゥが咄嗟に悲鳴を上げてしまったのは、それと同時に彼に体を持ち上げられたからだ。信じられない、という表情が浮かんでしまうのは、いきなり持ち上げるというデリカシーのない行動ゆえではない。先ほどのお姫さま抱っことは違い、今ジーンはルゥの両脇の下に手を差し込んで空に持ち上げたのだ。そう、まるで幼い子供をあやすような高い高い……いや、“ような”ではなくこれは完全に幼い子供をあやす行動だった。
「ちょおおおっ、だからルゥは子供じゃないって何度言えば分かるですかああ!」
叫んで足をばたつかせるが、ぶつかってもジーンは堪えた様子を見せず、どちらかというと筋肉ゆえの硬さでルゥの足の方が痛くなる。それでももがいていると、ジーンはひどく楽しそうに声を出して笑った。さらに――。
「ううううにゃあああああ!! やめやがれですよおおおお!! ジーンさんの馬鹿ああああっっ」
「あはははははははははは」
その場で思い切り回転を始める始末。視界がぐるぐると回り三半規管へダイレクトなアタックを受けてルゥは悲鳴を上げる。周囲を歩く者たちは驚いた様子を見せて足を止め視線を彼らに向けた。だが、実質的な危害を加えるでも変質的なことをしているわけでもない。振り回されている少女は遠慮なく相手を罵っている。振り回している青年は楽しげに大笑いしている。傍から見ればただ遊んでいるようにしか見えないやりとりをその通りだと判断して、結局誰もがまた歩き出す。
ややあって、ジーンは回転を止めた。腕の中のルゥはすっかりぐったりしているが、当のジーンは平然としている。
「……な、何でジーンさん平、気なんですか……」
「騎士には優れた平衡感覚も必要だろ?」
「……こんなのが、騎士なんて、世も末ですぅ……」
「はは、よく言われる」
また笑ってジーンは噴水の縁に座り直した。その際、何故かルゥはジーンの膝の上に座らされた。初対面にしてはやけに触れてくるが、それが鍇や空良のような感覚や、弥生がルゥを抱きしめてくる時のそれとまるで違うものだとルゥは感覚的に理解する。どちらかというと、近所の子供を構っているような雰囲気がジーンにはあった。そういう意味ではサミュに似た印象だ。……彼とは比べ物にならないほど安心感はないが。
「……はぁ。だから子供じゃないって言ってるですよ。いい加減ルゥの言ってること理解するですぅ」
諦めたようにルゥは後頭部をジーンの胸に預ける。聞こえない振りか、また笑って流されるか。そう思っていたが、ジーンはそのどちらでもない反応を返してきた。
「んーな構って欲しそうなガキの顔して何言ってやがんだ」
特別含みはない、普通の声音での返しだった。けれど、ルゥは目を見開く。見上げるが、ジーンは道行く人々を楽しそうに眺めるばかりでルゥに目を向けない。その顔を見て理解した。彼は特別何か諭すでも慰めるでもなく、ただ思ったことを口にしているだけなのだと。
少しだけ目を伏せると、ルゥはぎゅっとズボンを握り締め、それからふっと表情を緩める。そして、改めてジーンに遠慮なく寄りかかった。
「じゃ、お姫さま扱いでもしてくださいですよぉ。振り回したりとかなしで」
「ん、高い高いか?」
「だーから何で幼児向けになるですかあああ!! その耳が飾りならちょん切っちゃえですよ!」
また先ほどまでと同じやり取りが始まり、ふたりはしばらくそこでくだらない話をいて盛り上がる。途中、通りかかった弥生がジーンに喧嘩を売ってくるが、ルゥのとりなしで揃って喫茶店「憩い」へ向かった。
彼が迎えに来たネブリナとともに帰って行ったのは憩いに複数人が集まって騒ぎ出した頃。最初別れを寂しがったルゥであったが、ネブリナの一言でそれは払拭される。
「主さんとお話してきましてねぇ、正式な国交……世界交ですかね? を結ぶことが決まったのでぇ、互いの世界に異常さえなければいつでもお会い出来ますよぉ。おほほほほほ」
この言葉を受け、ルゥはあっさりとジーンと別れの挨拶を交わした。
ジーンや彼の仲間たちが夜の街に訪れたり、逆にルゥたちが彼らの世界に遊びにいくようになるのは、それからもう少ししてから、ふたつの世界の”道”が安定してからのことだった。
< >
※漢字を出すために文字コードが変わっています。フッターは以下のような内容です。
「風吹く宮(http://kazezukumiya.kagechiyo.net/) 」