戻る

<                             




コラボ 〜フェストリカ国王のお散歩〜
 1  

 

 少し出かけようか。執政室の窓からうららかな日差しの差す外を眺めていたウォルトはぼんやりとそんなことを考える。

 鮮やかな緑の髪を持ち、左の脇髪を白い布でまとめている青年――まだ少年とも言える年頃だろう――ウォルト=ロン=フェストリカは、フェストリカ王国の若き現国王である。過去の争いのため疲弊した国を持ち直した有才なる王として、国内外問わず名を馳せる人物だ。

 しかしそんな彼にも欠点はあった。仕事は出来る人物であるのだが、普段の仕事中は度々夢の世界へ旅立っており、その度に専属傭兵であるラウル=トリストラムにお灸を据えられている。その直後は真面目に仕事をするのだが、少しするとまた睡魔をもてなし始める。

 今も、ラウルに怒られてから2時間ほどが経っていた。そろそろ集中力が切れる頃合いであるのだが、今回のウォルトの客人は睡魔ではなく外出欲。そして国に多くの人を迎えることを良しとした王は、その客人もまた拒否しなかった。

「うん、そうしよう。折角いい天気だし、執政室に籠もってばかりでは気が滅入るな」

 誰に言うわけでもない言い訳を口にすると、ウォルトは明るい表情で立ち上がると隠してあったお忍び用の服を持ってそっと部屋を抜け出す。そのまま慣れた足取りで城を抜け出したウォルトにラウルが気付くのは、もう少し後の様子見の時だった。

     *          *          *

 暖かく降り注ぐ陽光に照らされた緑が文字通り輝く街道をウォルトはゆっくりと歩いている。城壁の外にあり、あまり大きくはない街道を堂々と歩くのはウォルトだけだ。決して利用者のいない寂れた場所ではないのだが、人が多く通るのはもっと大きな街道の方であり、昼時ということもありすっかり人気が失せてしまったらしい。

 国に生きる民たちの姿を見るのもお忍びの時の楽しみにしているウォルトとしては少々寂しさを覚えたが、ここに来るまでには多く人を見てきたし、そもそもここが目的地ではないのでその寂寥も一瞬だ。

 それにしても、とウォルトは歩みを止めないままため息を吐いた。

「こちらの方を回る兵士の数はもう少し増やした方がいいな。こんな連中がいたら民が怯えてしまうじゃないか」

 呆れた言葉の対象は自身を取り囲むように周囲の藪などから飛び出してきた男たちだ。真っ当な生き方をしている者たちでないことはそれぞれの手に持っている物騒な物や雰囲気から察せる。

「――何か御用かな?」

 朗らかな笑みで余裕な態度を崩さずにウォルトは男たちをぐるりと見回して問いかけた。懐に隠したナイフをいつでも引き抜けるように手にはなるべく力をかけていない。

 恐れた様子を見せないウォルトの問いかけに、男たちの中から小柄な男が滑るように歩み出てくる。鼻が高く、顔に皺を刻んだ初老の人物は温和な笑みを浮かべており、一見すれば庶民の好々爺を思わせた。

 しかしウォルトはむしろ警戒を強める。普段が緩いといえ、一国を担う王の座に就く者。老人から漂う胡散臭さは、その双眸を濁らせる黒い感情は、他国と17にして渡りあうウォルトを笑顔だけで騙せるほどのものではない。

「ご機嫌麗しゅう国王陛下。おひとりでお散歩ですかな?」

 好々爺の笑みを崩さぬまま老人はいとも簡単にウォルトの正体を看破してみせる。確かに極端に顔を隠しているわけではないのだが、明らかに害意のある者たちの前で素性が明らかにされるのは心中穏やかではない。せめてもの抵抗に、ウォルトはきょとんとして首を傾げて見せた。

「陛下……? ええと、何のことだろうか? 悪いが人違いじゃないか?」

 恐らく信じることはないだろうが、多少の揺さぶりになればと言ってみる。だが、予想通り意味などなかったようだ。老人は肩を震わせて笑った。

「ほっほ、そうですかそうですか。では一度お連れし、陛下が今夜戻るか戻らないかを判断させていただきましょう」

 老人の双眸に宿る暗いどろりとした悪意が強まる。これ以上の問答は無用。そう先に判断したのはウォルトの方だった。懐からナイフを取り出すと、即座に老人に向かって投げつける。それは脇にいた男によって阻まれるが、ウォルトがそれを知ったのは耳に届く金属が弾かれる音を聞いてのこと。ウォルトの目が向くのは、それとは90度ほど体の向きを変えた方向だ。先ほど周囲を見回した際、この方向が一番人が少ないのは把握している。

 道を塞ごうとする者たちをナイフで牽制し、ウォルトはすぐさま男たちの包囲を抜け出した。だが、その瞬間だ。突然地面が持ち上げられ、ウォルトは体勢を崩しながら上へと運ばれてしまう。

「な、何だ……?」

 己の状況を理解出来ぬまま自分を包み込んだ物を手で探ると、土や砂、草でざらついているが、それは間違いなく皮だった。そしてこの時ようやく、罠にかかってしまったことを理解する。

 これはまずい。ウォルトは薄暗い皮袋の中苦い笑みを浮かべた。

 この状況、恐らく偶然ではない。あの老人がウォルトを知っていたということは、恐らくウォルトの手腕や判断力というものも知っているだろう。であれば、手薄な部分を敢えて作り、そこへ逃げ込ませたのだ。

 あっさりはまってしまった悔しさに嘆きながら、ウォルトは腕と背中を使って可能な限り体の位置を変えた。下からいきなり掬い上げられた形であったため、今のウォルトの体は“く”の字に曲がっており、両足の方が上に来ているという何とも動きがたい状態だ。ナイフを取り出し切り裂くのも可能だろうが、今やっては地面に叩き落されることになる。それは、正直遠慮したい。この皮の束縛から逃れられたとしてもどこか骨を折ったらその先に行けない。

 せめて下ろされるまで待とう。ナイフを握り締めその時を待っていると、にわかに下方が騒がしくなる。ウォルトが騒いでも気付けないようにするためか、この皮は厚めのものを使っているらしく明確には言葉を拾えない。しかし、聞こえてくる声は悲鳴に似ており、最後僅かに聞こえてきたのは「逃げろ」という単語だった。

 ラウルが来てくれたのだろうか、と、その後訪れる雷への恐怖も忘れウォルトは安堵の息を吐き出す。

 そして、下から何か声がかけられると、袋が少しずつ下ろされる感覚が訪れた。この手の罠は一方に重石をつけて対象を持ち上げる。捕らえる時は重石が勝手に落ちて楽なのだが、下ろす時は「丁重に」という条件をつけるなら少しずつ行わなくてはいけない。ウォルトは多少の落下速度と痛みを覚悟していたのだが、ほぼ一定の速度で地面に下ろされていく。そのため、これは相当数人が来ていそうだ、と予測した。

 ややあって、腰の部分が地面に接着する。それから間もなくウォルトは地面に皮に入ったまま転がってしまった。下りた衝撃で緩んでくれなかった意外に強固な袋の口にナイフを当て開けようと四苦八苦していると、突然頭の近くで大きな音がする。

 それは高い所から物を落とした音と酷似しており、思わず体を跳ねさせたウォルトは袋を貫通させてしまった。予想と違う結果だが、外が見られるのは好都合。ウォルトはそこから外を覗き込む。

 そして、最初に見えたのは肌色。それが女性の足だと気付いたのはそれから少し遅れてからだ。

「あっ、すみません驚かせちゃって。さすがに地面に落とすわけにいかなかったから木に登ってて……今開けますから待っててくださいね〜」

 聞こえてきた声は少し緩い口調の少女のそれ。声の印象としては庭師見習いのエミリオとそう変わらない年のように思える。

「あ、えっと、ありがとう。君が助けてくれたのかい?」

 袋の中から問いかけると、少女は「はい〜」と朗らかに返事をしてきた。恐らく、声に合った笑みを浮かべていることだろう。

 それに、ウォルトは驚いた。ラウルではなかったこともだが、周囲の空気的に恐らくここにいるのは少女ただひとり。であれば、この少女はひとりであの人数を蹴散らし、ウォルトを木から下ろした、ということになる。

 スカウトしようかなとやや本気で考えていると、不意に少女の動きが止まった。

「あのぉ、すみません。その殺気抑えてもらっていいですか?」



このページのトップへ戻る





<