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困ったように少女が語りかける相手は、間違いなくウォルトではない。また先の連中が戻ってきたのかと体を転がし穴の位置を変えて外を見る。すると、その視界にはようやく追いつい(てしまっ)たラウルが立っていた。
(あれ、マズイかなこれ)
自身の護衛の表情を見てウォルトは彼が誤解していることを予測する。普段無表情ともいえる彼だが、主として彼を雇うウォルトは表情の差異くらいなら理解出来た。あれは間違いなく、この少女を人攫いと勘違いしている。
「待てラウル、違う! この子は助けてくれたんだ!」
腹の底から声を出して制止を呼びかけた。だが、少女には聞こえた言葉はラウルまでは届かなかったらしく、むしろ自分がもがいて助けを求めているような印象を与えてしまったらしい。ラウルの手から大きな刃のついた槍が出現した。
ああもう本気だ。やめろと叫ぶもラウルには聞こえず、彼は駆け出すと容赦なく少女に斬りかかった。今のところはまだ「打ち倒す」つもりらしく、峰を振るっているが、それでもその速度は少女がかわせるものではない。
申し訳なさに顔を歪めた次の瞬間、ウォルトの視界にはじめて少女の姿――後ろ姿だが――が映った。オレンジ色の長髪の一部を二重になった水色のリボンでくくり、背にはリュックを負っている。身につけているのは少女らしさを残しながらも動きやすそうな旅装で、ひらひらと短いスカートの下には腿の半ばまでを覆うスパッツが穿かれていた。
しかし、本来それは見えないはずであった。おかしな意味ではなく、彼女はウォルトに背を向けラウルと対峙し、正面からラウルに斬りつけられた。であれば、ウォルトに見えるはずの彼女の姿は背中から頭頂部にかけてのはずだった。
今見える物が変わったのは、少女がラウルの攻撃をしゃがんでよけたため。その反応速度に、ウォルトのみならずラウルも目を見開く。
「うわあ、びっくりした。あの、お兄さん、何か誤解なさってますってば。私は悪い人じゃ――」
言下少女は腕を交差して上から襲ってきた槍を受け止めた。真正面からの力同士の拮抗に、ラウルは僅かに眉を寄せる。しかし対応する少女はひたすら困った顔を崩さない。
「うー、困りましたねぇ。久しぶりに本当に強い人に当たっちゃったなぁ」
少女にしてみれば何てことのない感想。先ほど救出されたばかりのウォルトにしてみれば何となくその意味は図れる。だが、経緯を知らないラウルはそれを自白と判断したらしくさらに力を込めてきた。
しゃがんだままそれを受けていた少女は一度目を瞑ると、小さく息を吐いて“そのままの姿勢で”立ち上がる。それを受けて驚愕したのはもちろんラウルだ。何てことはない、単純な力押し。
しかし一度槍を少女から離し飛び退いた一層彼女を警戒する。予想外の事態とはいえ、こんな少女に力で負けた。甘く見てはいけないと彼の戦士としての本能が告げたのだろう。
場に静かに満たされていく闘志と緊張感。
それを破ったのは少女の背後、足元から聞こえてきた皮を引き裂く音だった。必死に破くのを続けた結果、ようやくウォルトが布から抜け出したのだ。
主の無事に一瞬ほっとした様子を見せるラウルだが、直後ウォルトが叫んだ言葉に流石に少し顔を引きつらせた。
「落ち着けって! その子は敵じゃない。僕を助けてくれたんだよ!」
* * *
事情を把握したラウルは、すぐに少女に頭を下げる。
「申し訳ない。恩人に大変な失礼をしてしまった」
きっちり90度頭を下げるラウルに少女は軽く笑って胸の前で両手を振って見せた。改めて真正面から見た彼女はやはりウォルトの想像通り年若い少女であり、明るい笑みと鮮やかな赤のたれ目が印象的である。
「いいですよぉ、気にしないでください。主が危険だったら心配しちゃうなんて当然ですし、あの状況じゃあ仕方ないですもん。あ。あの人たちの人相は後で教えますね」
「甘やかさなくていいんだよ。まったくこいつと来たら早とちりなんだからねぇ」
ラウルを親指で差しながら朗らかに好に笑いかけると、その親指を掴まれた。力こそ籠もっていないが、ゆえにこそ恐ろしい。だらだらと冷や汗を流していると、隣に立つラウルはじろりとウォルトを睨みつける。
「……そもそも、お前が仕事を放り出して逃げなければいいだけの話だぞウォルト?」
「ごめんごめんごめんなさい僕が悪かったから静かに親指に力を込めていくのやめてください」
「あはは、仲良しさんですねぇおふたりとも」
ウォルトの心底の恐怖を分かっていないのかそれとも分かっていて敢えてなのか、少女は楽しそうに笑った。そんな様子に毒気を抜かれたのか、ラウルはウォルトの親指を離して短く息を吐く。
「……そろそろ帰るぞ。仕事が残っている」
言うが早いかラウルはウォルトの首根っこを掴まえた。
「ちょっ、待った待った。お礼もさせない気か?」
慌ててウォルトが言うと、それもそうかとラウルはウォルトの顔を少女に向かせる。離す気はないらしい。仕方なくウォルトはそのままで少女に微笑みかける。
「改めて、助けてくれてありがとう。僕はウォルト=ロン=フェストリカ。この国の国王だよ。是非お礼がしたいんだけど、よければ城に来ないかい?」
名乗ると、少女はウォルトの肩書きにさして驚いた様子を見せない。恐らく先の悪漢たちがウォルトをその類で呼んでいたので予測していたのだろう。代わりに彼女はにこりと笑って丁寧に頭を下げた。その動作は上品で、先まで戦いに身を置いていたとは思えない。
「お役に立てて光栄ですウォルト陛下。お招きもありがたく存じます。ですが、人として当然のことをしたまで。それに礼を要求しては恥というもの。登城はご遠慮させていただきます」
先ほどまでとは打って変わって落ち着いた口調で断られてしまい、ウォルトは少し考えてからもう一度笑い返した。
「君の名前は?」
「風 好と申します」
「好、か。好はよその国の人かな?」
「はい」
何てことのない問答。しかし、そこでウォルトは最上級の笑みを浮かべて手を差し出す。
「では好、異国の友人として君を招きたい。僕は国を治める上で色んな国の話を聞きたいんだ。よければ、聞かせてくれないかい? それで、その中でお昼ご飯を奢るくらいならいいだろう?」
爽やかな申し出に少女……好は一度きょとんとし、それから失笑する。そして差し出された手を向かいの手で握り返した。
「そうですねぇ、それだったらいいかもしれないです。それではお招きにあずかりますね、ウォルト陛下」
握手を交わし終えて笑い合うふたりを見て、ラウルは時計にちらりと目をやる。
「3時までだぞ」
そして現実を突きつけた。「ほんとにこいつは」と苦い顔をするウォルトと平然としたラウルを見比べ、好はまた笑う。
こうして、フェストリカ国王の騒がしいお散歩は終わった。その日の夜は、制限時間を大きくオーバーしたため深夜まで仕事であったのだが、それはまた別のお話である。
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