戻る

<                             




戦い 〜李姉弟と狂犬の邂逅〜
 1  


 それはある晴れた日のこと。七つ海の街に住まう李家では、春休みという子供にとっては幸福の日々を送っているはずの花月(ファユエ)が珍しく重いため息を吐き出していた。

「はああああ……暇アルー」

 広い庭に面した部屋でお気に入りのパンダのぬいぐるみを抱きしめごろごろと転がる花月。その度に床をこすれる艶やかな黒髪を危うく踏みそうになり、近くを通りかかった花月の双子の弟・陽樹(ヤンシュ)は少し慌てた様子で自身の足を持ち上げた。

「花月、危ないアル」

 冷静で、しかし心配そうな指摘を受けて花月は唇を尖らせて陽樹を見上げる。花月が暇を持て余している間、彼は本を読んでいたらしく、その手には先ほど持ってきたばかりのはずの本が納まっていた。恐らくもう読み終わってしまったのだろうと花月は予測する。

 双子でありながらまるで昼と夜のように2人の性格は違う。太陽のように明るく元気な花月は体を動かすことに楽しさを覚えるが、月のように物静かで冷静な陽樹は読書を好む。武術の研鑽を積む日々を送っているのは陽樹も同じだが、暇つぶしを持ち合わせている時点で大きく異なるのだ。

「だぁぁってぇぇ、こんないい天気なのに修行が駄目なんて酷いアルヨ」

「……庭、大破させたんだから仕方ない、アル」

 花月の不満に陽樹は困ったような表情で返事をする。「仕方ない」と言われたらその通りであるのは花月にも分かるため、涙目でパンダを抱きしめてまたごろごろと転がりだした。その姉を見下ろしながら、陽樹は小さなため息をつく。

 事の起こりは今朝のこと、いつも通りに手合わせをしてた花月と陽樹であったが、その際ヒートアップしすぎて庭を目茶苦茶にしてしまったのだ。多少の破損はいつものことだが、本日は度が過ぎると母である陽花から大目玉を食らった挙句修行を禁止されたのだ。

 李家では母の意見が第一。反論など出来ようはずもなく、こうして花月は家の中で転がり回っている。花月が家の中での楽しみを持たないのかといえばそうでもないのだが、「禁止」とはっきり告げられてしまったために意識がそちらに向いてしまっていた。陽樹が何度となく遊びに誘っているのだが結局意識を攫うことは出来ていない。

 つまらなそうな顔をする花月を陽樹は心苦しそうに見守った。そうしていてもどうしようもないのは分かるのだが、大事な大事な姉である。陽樹には彼女を放っておくことが出来ないのだ。

 そうしてしばらくそのままでいると、不意に外で突風が吹きぬけた。塀際に植えてある木々が大きくさざめき窓が揺れる。咄嗟に目を向けた陽樹だが、すでに治まっていると判断してまた花月に視線を戻そうと――した時、ふと閃いた。

「花月、出かけるアル」

「……? どこに?」

 転がるのをやめて見上げてくる花月に、陽樹は僅かに唇の端を上げる。

 

「風吹く宮アル」

 

 数時間後、花月と陽樹は以前にも訪れたことのある懐かしの土地に足を踏み入れる。ここに至るまではほとんど無風であったというのに、ここに来た瞬間絶えず風が吹いていた。

「到着アル! わー、何か懐かしいアルヨ」

 すっかりご機嫌になった花月は跳ねるような足取りで少し先にある白亜の建物に向かって歩き出す。出かける前に使用人の飛麟に整えてもらった髪は吹き続ける風によって前後左右に踊るが、そんなことを気にした様子もない。それでも楽しそうな花月に満足そうな表情を浮かべて陽樹もその後に続いた。

 ややあって建物に近付くと、大きな入り口の前にオレンジ色の髪をしたひとりの少女が立っていることに気が付く。

「あっ、あれ好アル!」

 嬉しそうな声を上げて花月は少女を指差した。その名を聞き、陽樹もああと思い出したように頷く。以前花月と陽樹が風吹く宮を訪れた時には彼の兄が対応してくれて、彼女は外に出ていたために会ったことがなかったのだが、後日七つ海の街に訪れた彼女と花月が偶然出会った。その時花月が家に彼女を連れて来たため、陽樹も彼女には見覚えがある。

 風吹く宮外交担当の(ふぉん) (はお)。確かそれが彼女の名前だ。

 花月が笑みを浮かべて駆け出したので陽樹もそれを追いかけて駆け出す。すると、足音に気付いたのか好が同じく明るい笑みを浮かべて大きく手を振ってきた。

「花月ちゃーん、陽樹くーん、お久しぶりでーす。ようこそ風吹く宮へー」

 満面の笑みの歓迎ムードにまず反応したのは花月だ。すぐ近くまで来ると地面を蹴って好に抱きつく。

「お邪魔しますアル! 元気だったアルカ好?」

「はいー、おかげさまで。花月ちゃんも元気そうで何よりです」

 少女とは思えない腕力を誇る好は花月を抱きしめ返すとくるくると楽しそうにその場で回転した。遠心力で足が持ち上がった花月は楽しそうな声を上げる。

 そんな様子を微笑ましく眺めていると、花月を下ろした好が突然陽樹の両脇の下に手を差し入れ軽々と抱き上げた。

「……!? !?」

「陽樹君もお元気そうで何よりですー。飛麟さんから連絡あったからおふたりが来るの楽しみにしてたんですよ」

 花月にしたのを同じようにくるくると回され陽樹は軽く混乱した様子を見せる。普段の生活の中で、好のような行動をとる者がいないため慣れていなかった。しかし好はそんな様子を気にすることなく彼を下ろすと、すぐに扉に向けて手を向け改めて笑みを浮かべる。

「それでは改めまして。ようこそ風吹く宮へ。ご案内は本当は係がいるんですが、面識がある方々なので私の方で務めさせていただきますね」

「よろしくお願いしますアル」

「よ、よろしく、アル」

 

 

 宮内の案内が始まり、まず花月たちが思ったのは「随分違う」ということだった。以前訪れた時は自由に見て回ったからというのもあるだろうが、物理的に建物の中が変わっていることと、人が増えているのが一目見て判断出来る。

「あれ、お客さん? はじめまして」

 そんなやり取りをする者も多くすれ違った。中には以前会ったことがある者や、”あの”謝を疲れさせた双子、と伝達で聞き知っている者もおり、すれ違った大半の者が李姉弟を快く受け入れる反応を見せている。時々強そうな相手を見つけると花月が突撃しそうになるが、それは陽樹と好で何とか抑えた。

 そうして宮内を半分ほど見終わった後好が案内してくれたのは広い中庭だった。整備されたそこは庭というよりはひとつの広場のような印象を与えてくる。木々や花壇、ベンチに噴水、レンガを敷き詰めた地面。この位置はまだ中庭の端だという。案内されるままにさらに進むと、花月と陽樹の耳に聞き慣れた音が飛び込んできた。

 猫が反応するように視線を巡らせた彼女たちに、好はくすりと笑って音の方向を指差す。

「あちらで今模擬戦中みたいですね。見に行きますか?」

「行くアル!」

 問われるが早いか花月は両腕を高く掲げて全身で「是」を唱え、隣の陽樹は服の袖を合わせながら、無表情に見えるがどこか期待している様子で無言のまま頷いた。また笑った好がのびのびと返答すると、ふたりはすぐにその場所に案内される。

 そしてたどり着いた長さの整えられた芝生で一面が覆われた広い庭では、老若男女問わずに人が集まっていた。今手合わせをしているのは緑色の制服を着ている青年と黒髪で漢装の女性だ。好が青年はエルマ、女性は龍真というのだと教えてくれる。

 名前を耳に入れながらもその動きに感心して花月たちは目を奪われていた。よく見れば、周りの者たちも随分手練が揃っている。

「うわっ」

「一本! それまで」

 どうやら決着がついたらしい。鞘に入ったままの長刀で胸を打たれたエルマが僅かに身を反らせるのと同時に、審判をやっていた金茶色の髪の眼鏡の男性――ヴィンセントというらしい――が腕を龍真側にあげる。

 勝敗が決すると周りはわっと盛り上がり、当の龍真は気を抜いたように笑った。一方でエルマは悔しそうな声を上げて髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜている。

「はい、それじゃあ次誰が――」

「はい!」

「はい」

 ヴィンセントが次の希望者を集うと、答えようとしたどの住民よりも早くに返事がされた。聞き慣れない声に一同の視線は一斉にそちらに向かい、好の近くで見つけた姿に懐かしさや疑問を顔に浮かべる。まるで学校の授業で答えが分かった時のように手を挙げていたのは、目をキラキラとさせた花月と、無表情ながら高揚が見て取れる陽樹の2人だった。

「おや花月ちゃんに陽樹君。お久しぶりですね。参加していきますか? じゃあ相手はどうしますかね」

 顔見知りのヴィンセントはにこりと微笑むと、相手を探すべく参加者をぐるりと見回す。その間に李姉弟を知らぬ者たちには見知る者たちから説明があり、関心や興味を寄せる者が増えた。

 集まる視線の中、花月も陽樹も期待を込めた表情を崩さないでヴィンセントが相手を指名するのを待っている。一方のヴィンセントは本気で吟味を始めていた。子供ながらに侮れない実力者である姉弟だ。退屈させず、かつ怪我もさせない相手となると選択が難しい。

 どうするか。悩んでいると、この場で一番ありえない選択肢の内のひとりが勝手に名乗り出てしまった。



このページのトップへ戻る






<