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「面白そうだな、ふたりいっぺんでいいから俺と遊ぶか?」
危ないからと取り上げられたいつもの剣ではなく竹刀を持って李姉弟の前に出てきたのは青灰色の髪と目をした青年――ジーン・T・アップルヤードだ。はじめて見る顔だが、花月も陽樹も怖じずに、むしろ表情を明るくする。ふたりいっぺんでも、という部分にやや不満はあるが、実際に強敵であることは言われずとも理解できたのだ。
「やるネ! 私は花月、こっちは弟の陽樹アル。お前は名前何ていうアルか?」
「花月と陽樹な。俺はジーンだ。よろしくな」
周りが止めようとするが当の本人たちはやる気満々で挨拶まで交わしてしまう始末。こうなっては止めるのも無粋か、とヴィンセントは苦笑した。いざという時は自身が止めれば良いし、幸い見学者の中にはケイティやリーゼロッテなど回復役がいる。さらに攻撃から逃れる意味ではネブリナもいるから本当に危ういことにはならないだろう。
一応万が一に備えてその辺りに前もって声をかけてから、ヴィンセントは審判の定位置に戻った。その間ジーンは四方八方から「くれぐれも怪我をさせるな」と釘を刺されたらしい。刺さりすぎてハリネズミになりそうだと気楽な様子で肩を竦めている。
「では次は、李花月ちゃんと李陽樹君バーサスジーン君です。双方準備はよろしいですね? では――はじめ!」
開始の合図がされると、真っ先に動いたのは花月だった。軽やかな動作で地面を蹴ると怖じることなくジーンの頭に向けて鋭い蹴りを繰り出す。その下では身を低くした陽樹がジーンの足に向けて拳を突き出した。
その速度に、前評を話半分で聞いて軽い気持ちで見ていたエクトルやレギナルトたち新参の面々はぎょっとした様子を見せる。
「お、早ぇな」
襲い来る攻撃の威力を一番分かっているジーンは、楽しげな表情をすると頭を狙ってきた花月の足を掴むと足を狙ってきた陽樹に向けて投げ付けた。一瞬ぎょっとした陽樹だが、すぐに落ち着きを取り戻すと、陽樹は攻撃をやめ花月を受け止める。それでも衝撃はあり、花月は短い悲鳴をあげ、陽樹ともども尻餅をついてしまった。
「ちょっとジーンさん子供相手なんだから!」
周囲からブーイングが飛ぶが、ジーンは竹刀を肩に担ぎ笑ってそれに応じる。
「あ? 何言ってんだ。強さに老若男女なんて関係ねぇんだよ。強い奴は強い。弱い奴は弱い。それだけだろ。なぁ?」
同意を求められたのは尻餅をついたままの花月と陽樹だった。普通の子供であればおびえてもおかしくない状況であるが、李姉弟は彼の言葉にむしろ元気になって頷いてみせる。
「そうネ! 私の目標は史上最強アル。子供だとか女だとか関係ないアルヨ」
「……ん」
改めて立ち上がると、花月も陽樹も一層気合を入れて構えた。その様子にジーンはひどく満足そうだ。“弱者”を嫌うジーンがこのように親しげに笑みを浮かべる相手は老若男女問わずに“面白い”――“強い”と認めた者に対してのみだ。くじけない真っ直ぐな二組の双眸はジーンの好感を大いに勝ち得る。
李姉弟の様子が変わらない――むしろ楽しそうに見えることを受け、周囲はジーンへの非難をやめ、代わりに花月たちの応援を始めた。
盛り上がりを見せる中、再度花月と陽樹が駆け出す。今度は左右からの攻撃を行うらしく、打ち合わせもなくふたりは左右交互に動きながらジーンに近付いた。そしてジーンの直線まで近付くと花月は向かって左、陽樹は向かって右に展開して攻撃を開始する。
しかしその位置からの攻撃に李姉弟はこだわらず、飛んでは跳ねては身軽な動きで前後左右からジーンに打ちかかる。拳が出たと思えば足が出て、上空から拳を落としたかと思えば足を掬おうと地面擦れ擦れの周り蹴りが放たれた。
花月の拳がジーンに避けられると地面がまるで小さな隕石が落ちたようにへこみ、陽樹の飛び蹴りがジーンの前髪をかすればまるで鋭いナイフを振るったように風を斬る音が耳に届けられる。
派手な動きの多い李姉弟の攻撃は終わると同時にその着地位置が初期位置から動くことが多いが、わざとジーンが近付くために戦闘範囲が徐々に徐々に広がった。そのため、気付いた住民たちが邪魔にならないようにとあちこちに動き回ることを余儀なくされる。
そんな迷惑な戦い方をわざと行っているジーンだが、最初に花月を投げ付けた以外に攻撃という攻撃をしていなかった。これがたとえば別の者――たとえばトーキ達のような発展途上の者たちだったら速過ぎて避けるのが精一杯なのだろう、と思うに過ぎなかっただろう。
だが現在戦いに身を置いているのはジーンだ。少なくとも目が追いつかない、体が追いつかない、という身体的事情は皆無のはずと誰しもが納得できた。
一方で、花月と陽樹もジーンの静けさに嵐の前のような寒々しい感覚を覚える。母まではいかないものの、確実にそれに近い実力を彼は持っているはずなのに、それが発揮されない。子ども扱いされていないのは先ほどの発言から明らかだが、だからこそ心の端がちりちりとしてきた。
本能的な危機感知能力が花月と陽樹に警報を鳴らす。早く倒そう。花月と陽樹がさらに攻撃の速度を速めようとした、その時だ。真正面からだったとはいえ、李姉弟が揃って繰り出した同時の蹴りをジーンは竹刀で受け止めた。
そして目が合う、青灰の狂犬と。
「ああ、分かった――」
凶悪なほど楽しそうにジーンが笑う。殺気がこもっているわけでもないのに、底気味悪さにぞわりと花月と陽樹の背筋が一瞬にして凍った。同時に、まずい、と本能で判断して周囲で警戒していた面々がそれぞれ対応に出ようと反応する。
その時だ。硬いもの同士がぶつかったような音がした。
ぴたりと全員の動きが止まる。そして一斉に視線が集まったのは芝生の外、レンガの上に立つ、茶色のシャツと緑のオーバーオールに黒いバンダナを付けたひとりの老齢の男だった。鼻ひげの下に隠れた唇は真っ直ぐに引き伸ばされ、じっと一同を見据えている。手にしている高枝バサミが先ほどの音の元らしい。
地面に降り立ちぽかんとしている花月と陽樹、邪魔されて不機嫌な顔を遠慮なく男に向けているジーンは、彼が誰なのか知らない。参加者・見学者の中にも同様の者がいるらしく、誰かがその素性を尋ねる。それに答える声はすぐに密やかながら返ってきた。
彼は庭師のバート・ミルトン。家族で風吹く宮に努めるミルトン家の大黒柱だ。寡黙ながら面倒見のよい人物で、あからさまに怒ることはほとんどないといってもいい。――にもかかわらず、今の彼は完全に怒りを双眸に灯していた。
一体どうしたのか、と全員が疑問を抱く中、代表してヴィンセントが尋ねようとする。だがそれより早く好がその理由に気付いて声を上げた。
「み、皆さんすぐに芝生から出てください。急いで急いで」
わたわたと焦りながら好が全員に声をかけると、気付いた面々が慌ててレンガの方へと移動していく。素直な花月と陽樹も事態についていけないながらもそれについて芝生から出た。
分からないながらも右に倣えで全員が芝生から出るが、唯一全く違う理由で外に出た者がいる。誰でもない。ジーンだ。心底面白くなさそうな顔でバートに近付くと、仏頂面の前で足を止めた。
「おいテメェ、何人の遊び止めてやがんだ」
殺さんばかりに怒気を含んだ声にもバートは怯えず、眉のひとつも動かさずにそれに答えた。
「ただ遊んでるだけなら止めん。そいつは強い芝だからな。だが、そんな抉られちまったら口出さねぇわけにいかねぇ。俺は庭師だ」
言下バートが太い指で示したのは先ほどの戦闘でクレーターが出来てしまった場所。作った張本人である花月はぎくりと身体を強張らせて陽樹に抱きつく。
「あ、あの、ごめんなさいアル。それやったの私アルヨ」
恐る恐る謝ると、バートはちらりと花月に視線を向け、無言のまま頷いた。
「ん、すぐ直す。ジーン、どけ」
再びバートとジーンの視線が交わる。魔法も武術もないただの人間であるバートが命令口調で話す事態にロナルドたちは恐々とするが、僅かな沈黙の後、ジーンはふっと笑った。
「本当にこの宮は面白ぇ奴が多いな。悪かったなバート。何なら植え直し手伝うぜ」
体の位置をずらすとジーンは一瞬前が嘘のように明るくバートに話しかける。気に入らない相手を気に入った時のこの転身の早さにだけはついていけない。周囲が呆気にとられる中、バートは気にせずにジーンをこき使うべくシャベルを持って来いと告げた。
「あ、ジーン待つアル。私も行くネ」
「……僕も」
ラルムの案内をつけて歩き出すジーンに花月と陽樹が慌てて続く。わざとではないが直接の原因であることを自覚する花月と、姉のためなら苦労を厭わない陽樹は寸分の迷いもなく手伝いを決めていた。
その流れで全員模擬戦から片付けに行動がシフトしたらしく、背後では先に手で始める者たちが続出している。
それを振り返って見てから、花月はラルムと会話していたジーンの腕を引いた。
「ん? 何だ花月?」
「今回は引き分けだけど、次は最後まで戦うアル。それまでに私も腕を磨いておくネ」
強い目で決意を語れば、ジーンはにやりと唇に笑みを刻んだ。
「そりゃいい。楽しみにしてるぜ。お前もな、陽樹」
「……分かった、アル」
花月と陽樹の頭を乱暴に撫でながら、ジーンは将来を期待して大いに笑う。彼が花月に気安く触るなと陽樹に怒られるのはこのすぐ後。それを面白がってさらに花月に構って陽樹をからかいながら帰ってきたため、待っていた面々に顰蹙を買うのは、それからもっと後の話である。
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