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宮に着いた一同はまず謝という名の管理代行人の元に連れて行かれ、その先で世界の特徴を取得する機械というものに通された。と言っても、ゲート状の機械を、真下にいる時数秒立ち止まり、そのまま抜けるだけのことだ。
その後自由にしていていいという言葉を受け、ルイス・ロドリグ・レオン組とマリアンヌ・リーナ・エイミー組に分かれ、それぞれ宮内案内人を連れて出かけていった。
見学に回らず残ったのはパトリックで、彼は先の言葉通りフェランドと話をするべく談話室に向かった。フェランドの暴走を危惧してついて来たラルムだが会話開始早々について来たことを後悔することになる。
「なるほど、君の世界では魔法というのは不思議な術ではなく法則を基にした学問なのだな。それは学べば誰でも使えるのかね?」
「いや、それは難しいな無垣の君。君たちの世界でも知識のある者でも燃やすものがなくては火は起こせないだろう? それと同じだ。魔法も燃料となる魔力がなくてはただの知識でしかない。ここにいる黒曜石の君も魔力はないので魔法は使えんよ」
「そうか、そういうものなのだね。ではそちらでは魔法使いは希少なのではないかい?」
「それはそうでもないな。世界となると話は違うが、少なくとも我が国には魔法使いは少なくない。もっとも、レベルで分ければ話は別だがな」
「その辺りは私の世界と同じだな。軍人や文官は腐るほどいるが、全員が全員優れた者ではないからね」
「ふむ、確かに同じだな。どの世界も人間はやはり変わらんか」
「変わらないさ。ナンセンスな争いにかまけて生きても、悠々自適に人生を謳歌しても、最後にはただ墓を得るだけの生き物なのだから」
「おや、哲学的だな無垣の君」
「そうかい?」
はははははは、とふたり揃って爽やかに笑うその隣では、ラルムが微苦笑を浮かべている。最初は小難しい魔法の理論をフェランドが延々と語り、同じ世界のラルムが理解出来ない内容をパトリックは少しずつではあるが確実に咀嚼していた。そして今はこうして大きな視点から見た会話に興じている。
本当にフェランドとの相性がよい御仁のようだ。静かにお茶を啜っていると、隣の会話はすぐに別方向に変わっていった。
「そういえばこの宮は不思議な場所だね。先ほどから色々な人が通りかかるし、先程案内を申し出てくれた案内人の子達ともまた違うように見える。ここはどういう所なんだい?」
パトリックは言葉通り興味深そうに視線を巡らせる。談話室にはパトリックたちの他にも数組がちらほらと腰を下ろしているが、そのどれもが同じ世界の住人とは思えない。見たことのない衣装を身に付けているものがいれば、まるで子供用の小説に登場するキャラクターのようなファンタジックな衣装を身に付けている者もいる。たまにそれらが楽しげに会話をしながら通り過ぎるのはまた不思議な光景だ。
フェランドは視線を同じように巡らせる。
「ああ、不思議なところだな。私もはじめて来た時はあれこれ考えたものだよ。なんでもここは、風が吹く場所とならどことでもつながれる世界なんだそうだ。それと、ここには私たちのように第二の住処と認識している『住民』と君たちのような『客人』がいるそうだ。力不足で申し訳ないが、今の私に分かることはここまでだ無垣の君」
すまんな、とフェランドが肩を竦めると、パトリックは微笑んで首を振った。
「いや、十分だよフェランド君。ありがとう。ところで、先ほどから私ばかり質問してしまっているが、何か訊きたいことはあるかい? 私で答えられることなら答えるよ」
視線をフェランドに戻したパトリックは軽く片手を上げる。知識を語るのも好きだが聞くのも好きなフェランドはその申し出に目を輝かせた。
「おやよいのかね? では早速だが、君の国のことを聞かせてもらっていいか? どのような制度で治められている? 外交はどのように? 軍などはあるのだろうか? 文化はどのようなものが存在する?」
矢継ぎ早に問いかけるフェランドがやや暴走気味なのを感じ取り、ラルムはそっと彼を留めようとする。しかし、対面のパトリックはラルムを片手で制し、笑顔にフェランドの問いに応じた。
「まず国だが、イマニスという王国だ。軍が国政も行っている軍事国家でね、それなりに広いが山や海に囲まれているから戦争はそうないが、他国交流はそれほどないかな。それと――」
川の水が滞りなく流れるような滑らかさでパトリックは説明を続ける。その内容は膨大であったが、ほとんどがラルムでも分かりやすくまとめられていた。フェランドとよく似た性質のようだが、根本的に「人に伝えよう」という意思が彼よりも高いのかもしれない。
そう結論付けたラルムだが、その実は少々違う。フェランドと比較しているので分かりやすいだけであって、彼もまた彼の世界では「理解しがたい」の分類に入るのだ。この場にロドリグたちがいたら盛大に否定していたことだろう。
それからいくつかの質問を挟んでやり取りが進むと、ようやく話は止まった。途中結局分からなくなりついていけなくなったラルムはすっかり花瓶の花だ。
「なるほど。やはり別世界とはいえ他国の話を聞くのはよいな。色々なことが考えられる。感謝するよ、無垣の君――いや、犀利の君」
呼び方が変わったことに気付き、ラルムははたと視線をフェランドに向ける。ラルムにはどういう意味か分からないが、パトリックは呼びかけに一度軽く目を見開き、その後含みのある笑みを浮かべた。
「ありがたいが過剰な名称だなフェランド君」
パトリックは腹の前で手を組み、前屈みだった体を起こす。顔に浮かんでいるのは面白がっている笑みだ。フェランドは逆に机に両肘をつけて組んだ手の上に顎を乗せた。
「そうかね? 君は十分な才子だ犀利の君。私たちに話をしている時、君は上手く国の不利益になりそうなことを隠して説明していた。それも違和感なくごく自然にだ。頭がなければ出来んよ」
フェランドがにっと唇を引き伸ばすと、パトリックとの間には静かな空気が流れる。しかしそこに威圧感や息苦しさはなく、ラルムが感じたのはむしろ遊びを楽しんでいる時のような気楽さだ。そしてその印象を裏付けるように、パトリックはそれまで以上に楽しそうに笑った。そしてゆっくりと手を動かすと、笑みを作ったままの唇の前に一本だけ立てた指を持っていく。その単純な動作に隠された様々な言葉を感じ取り、ラルムは一層沈黙し、フェランドは同じく楽しげな笑みを浮かべた。
斬り合うわけではない、言葉遊びの延長のような不思議な沈黙が落ちると、突然廊下からバタバタと騒がしい足音が二重で聞こえてくる。
「パトリックさーん」
「フェランドさんあーんどラッルムちゃーん」
元気よく談話室に現れたのは赤髪ハイテンションガールズ・マリアンヌとエイラのふたりだった。ああやっぱり仲良くなってるとラルムが内心で頷いていると、入ってきた少女たちはまるで鏡像のように同じタイミングで左右の手をそれぞれ上げる。
「これからちょっとした歓迎会やってくれるんだってー! お料理とかもいっぱい出るらしいから難しい話終わりにして行こうよー」
「ついでにミニゲームもやるってさー! ほらほら、早くー」
元気いっぱいの少女たちに急かされて3人は席を離れた。パトリックは背中を鼻歌交じりに押してくるマリアンヌを首だけで振り返る。
「しかしマリアンヌ君? 君たちは先程昼食を食べたばかりじゃなかったかな?」
問いかけると、マリアンヌは「はい?」と不思議そうに首を傾げた。
「何言ってんのパトリックさん。ほら外見てよ。もう暗くなってるって」
指で示されたのは部屋を出てすぐにある廊下の窓。四角く区切られたその先に見える世界は、確かにすっかり夜の帳を下ろしている。ふと気付けば談話室も廊下も全て電気が点いていた。一体いつの間にこんな時間になったのだろうとパトリックとフェランドは同じように首を傾げる。唯一時間の流れに気付いていたラルムは視線をそらして苦笑した。
「うーん、自覚するとおなかがすいてきたな。白熱してしまったねフェランド君」
「うむ。有意義な時間だったぞ犀利の君。これだけ語り合ったのは久しぶりだからな。感謝する」
フェランドが鼻歌でも歌いだしそうな笑みで礼を述べると、パトリックもまた笑って「こちらこそ」と返す。
5人はそのまま食堂へと向かい、すでに待っていた住民たちやルイスたちと合流した。すっかり慣れたのか誰もが住民たちに囲まれており、時折(レオンが)気の強い面々と衝突する場面も見受けられたが、誰もがすっかりこの時間を楽しんだようだ。その輪の中にロドリグがいないことに気付いたパトリックが所在を尋ねると、この宮の料理長という女性の元にいるとの答えが返ってくる。パトリックはその返答で全てを理解した。
その夜は結局歓迎会が発展し大宴会となり、風吹く宮ではどんちゃん騒ぎが繰り広げられることになる。その中で懲りずにパトリックとフェランドは論を興じ、さらに知識人たちも入ってきたため、食堂の中は奇妙な空間となったのであった。
そして次の日の朝、別れの時は訪れる。
風吹く宮にある移動の間にはパトリックたちが揃い、昨日仲良くなった住民たちは彼らの見送りのために集まっていた。
「――ということになります。つまり、この宮と皆様の世界では時間軸が少々異なっているので、帰る時間は恐らく移動してから数十秒から数分後となります。恐らく問題にはならないと思いますが、その時は申し訳ございませんが皆様に誤魔化しを頑張っていただくことになります」
移動の説明をしていた謝にとんでもないことをさらりと言いのけられルイスやロドリグ、エイミーは微苦笑を浮かべる。だがその程度の時差ならまだいいだろうと腹を括った。
「では、機械の方へ」
進むことを促され、(無理やり押された)レオンを先頭に一同はそちらへと向かう。最後になったパトリックは優雅に一礼するとくるりと反転してその背中に続いた。彼の手の平には読めない文字が刻まれた指輪が握られている。これは最後の別れを告げた時にフェランドに渡されたものだ。何でも、この場とパトリックたちの世界をつなぐ流れが知りたいのだという。
渡りきったら壊れると聞いたが、どうなるだろうか。そんなことを思っているうちに機械が作動した。来た時よりも安定した、しかしやはり落ち着かない奇妙な感覚の後、彼らは移動前までいたエリオット家別邸の一室に立っていることに気がつく。
「も、戻りました……?」
「戻った……みたい、ですね」
きょろきょろと辺りを見回したり自分の頬を叩いたり引っ張ったりして正気を確かめていると、ドアがノックされた。ロドリグが慌てて返事をすると、メイドが3人入ってきた。
「あら? いらっしゃるじゃない。あ、いえ。お茶をお持ちしましたわ。皆様もおかわりはいかがですか?」
先頭に立っていたメイドが不思議そうに言い、そしてすぐに取り繕うように笑みを浮かべる。どうやら一度騒ぎになりかけた後らしい、と、ロドリグたちはほっとした顔を見合わせた。そしてメイドの勧めを受けてそれぞれが席に着き直す。
その中席を用意されるのを待っていたパトリックはそっと手の平を開いた。そこにあったはずの指輪はすっかり砕けており、金色の砂と化してしまっている。
パトリックはそれを軽く逆の手の指でなぞってから窓に近付き、バルコニーに出ると外に向かって手を伸ばした。すると、吹いた風によって金色の砂は風に溶けて消え去ってしまう。それを見送り、パトリックはふっと笑みを浮かべた。
「またいずれ会おう、フェランド君」
小さく呟いた言葉は、風に乗り金の砂と共にどこへともなく流されていく。
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