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第2話 「消えた存在」
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 最初にティナを叱りつけたのはイユだった。
「ティナッ、あんたって子はホントにもうっ!!」
「ご、ごめ、ごめんなさい〜っ!!」
「それで済むわけないでしょうがっ。こらお待ちっ!!」
 会見が済んで隊長4人しか残っていない謁見室はガランとしている。ただでさえ声の響く造りをしているのにティナとイユが大声を出しながら駆け回るので反響がまるで百人の雑踏の中にいるかのような錯覚をさせるほどになっていた。
「捕まえたっ。もう、ティナ。あんたさっきどうしたの? まさか立ったまま寝てたなんて言わないでしょうねぇ?」
 後ろから抱きすくめられても、ティナは何でもないと繰り返す。その時の彼女は妙だった。口では放してくれと言うくせに、表情やイユの腕を掴み返し握り締める行動はその逆を示している。小さな子供のようなことをするティナに最初に気付いたのはもちろん抱き締めているイユだ。
「……どうしたの?」
 質問を繰り返して口にしたイユの声が少し真剣味を帯びる。鈍感なエルマにすら微かに表情を変えさせたそれに、ティナはそれでも答えない。しかしそれをおかしいと思う必要がなくなる絶妙なタイミングで、別の人物が声を発した。その場にいないはずの、森林調査団の1人らしい青年だ。どこか気弱な印象を与える優しい面立ちに緊張を走らせて言う彼に、それまで沈黙していたアズハは悟られないように目を細める。次いで目の端で、いま1人、彼の素性を知る人物の顔色を確かめた。さぞや青ざめ引きつっていることだろうと思ったその顔は、予想外に冷静だった。――冷静すぎた。表情どころか視線の一度もぶれない。
「何か御用でして? ええと、ハイネルさんだったかしら」
 ティナを離しながらイユが確認する。トランプ騎士団総勢109人全員の顔と名前を3日とかけず完全に把握出来る彼にとってたかが15人の調査団のメンバーを覚えきるのに苦労はない。一方の青年――ハイネルは、自分の名を口にされたことに驚きながらもしっかり頷き、視線をイユからティナに移した。そして。

「レティシア」

 ――そう、呼びかけた。
 先に同様の呼びかけをして刃を突きつけられたアズハは、どんな行動をとっても対処出来るようにとさりげなく茜日を構え直す。しかしティナは存外に落ち着いていた。
「どなたのことですか?」
 いや、落ち着きすぎていたと言えよう。それは、仲間3人が眉をひそめるほどに。重くはないが押さえつけられているように硬い声。つい先ほどまで柔らかな表情を浮かべていた顔にはとってつけたような愛想笑いが張り付いている。もちろん、今日が初見であるはずのハイネルにそれが分かるはずもないだろうが、それでもイユとエルマはハラハラしていた。しかしここで口を挟めばかえって気付かせてしまう恐れもあるために余計何も出来ない。奇妙な沈黙が落ちる中、ハイネルが笑った。人をほっとさせるような優しい笑みだ。
「あ、失礼しました。実はそういう名前の人を探してて、大隊長さんがその人に凄くよく似ていたからつい――」
「では二度とお間違えにならないでください。私はティナ・レシィと申します」
 笑顔のまま、ティナはハイネルの言葉を切って捨てた。悪気のこもらない外面だけ優しい声は冷めていて、イユとエルマは疑問と戸惑いを同時に抱く。一人アズハは不愉快そうにティナを見ていた。その隊長3人の態度に気付かないらしいハイネルは困ったような声をこぼし、犬が尻尾を垂れるかのようにうなだれる。
「す、すみません。気が急いちゃって……! そうですよね。彼女なら、あなたほど若くはないですしね」
 すみません。再度謝ったハイネルにお気になさらずと返すと、ティナはそれぞれに一言残して部屋を後にすることを告げる。
 その時、すぐ隣を通り過ぎたにもかかわらず、ティナの視線はハイネルに移ることはなくただ先だけを見つめていた。
 


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