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第4話 「私はティナ」 2
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「泣くな。泣くな泣くな泣くな! 私はティナ。ティナ・レシィ! それ以外の何者でもないっ!!」
 明けた空を睨みつけ、ティナは誰にともなく慟哭する。


  呼びかけてくる声はとても遠いところから。
  皆が呼んでくる私のものではない『私』の名前。
  でも私はもうその名前で呼ばれる者じゃない。
  『レティシア』
  そう呼ばれていたのはずっと昔。
  大嫌いな『私』の名前。あの子はとても弱かった。
  泣き虫で、《スペード》を継げたのが不思議なくらい情けなくて。
  でも私はもう『レティシア』じゃない。
  『レティシア』じゃない。
  『レティシア』じゃ――――。


「――ない、のに、どうして私は……」
 どうして自分はこんなにハイネルの存在に心を揺らしているのだろう。関係ないのにと、そう思うたびに自分の中で「レティシア」が泣き叫ぶ。大声でハイネルを呼ぶ。
 ――ああ、そうか――。
 どんなに耳を塞いでも聞こえてくるその声に、ティナはようやく認めがたいことを理解した。『彼女』が、目覚めはじめていると。それを証明するようにティナはハイネルに左右されている。ティナとして生きると本気で思いそれを実行しようとしているならば、ハイネルを相手にすることなど平気なはずだ。しかしティナはそれを出来ずに醜態を晒している。どんなに自分を激しく罵倒してもそれは決して改善されない。弱い自分がそれで消えてくれればという一縷いちるの望みは逆に自己嫌悪を引き起こさせた。意志の力ではどうしようもない現状。
 それが伝えてくる真実――死んだと思っていたレティシアは心の奥底に隠れていただけで、それももう終わりだということ。会いたいと願い、名乗りたいと思い、「レティシア」が「ティナ」の領域に踏み込んできている。
「〜〜っ、冗談じゃない。いいわ、レティシア」
 歯噛みして、ティナは呟く。
 だったら――。
「私はっ、あんたを完全に否定してやる! 今度こそ、私の中からあんたを追い出してやるっ!!」
 これは間違いなんだ。会いたいと願うのも、名乗りたいと思うのも、全て間違いなんだ。
「『ティナ』に、弱い『レティシア』は必要ない。あんたがいなくなれば、私はきっと楽になれる。きっと、『力』だって使えるようになる」
 言下にティナは狼籐を横一文字に振り切る。そうして全てを捨て去るように。そうしてもう1人の自分との間に境界線を引くように。全ての音が断ち切られたかの如く数瞬音が掻き消える。再び戻った音で最初にティナの元に届いたのは小鳥のさえずり。やがて人の気配がし始めるまで、それに耳を傾けながらティナは木々の陰に抱かれていた。





 そのティナに向かい、送られている剣呑な視線。
【見つけたぞ《スペード》。我らが怨敵――】
 憎々しげに呟かれた言葉は、誰の耳にも届かない。


 

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