第8話 「異変の兆し」 2
それ以降互いに言葉を交わすことなくクラブ隊団舎に到ると、申し合わせたように1人の男が内より飛び出してきた。同時に押し寄せてきた邪気にティナは眉を寄せる。"エルマ同様邪気に満ちた"その人物がクラブ隊のQ(クイーン)だとティナはすぐに気付いた。Qは隊長位2人を見ると一瞬ぎょっとしたがすぐに相好を崩す。
「よいところに帰ってきてくださいました隊長。大隊長もよくぞ」
あまりの歓迎振りにエルマは異常を察する。
「――何があった」
エルマが問うとQは表情を改め団舎の中に彼らを招き入れた。レンガで組まれた通路は均等に配置された窓からの日に照って暖かかったが、ティナは一歩足を踏みだすたびにとんでもない寒気に襲われる。
とんでもない。まさにそうだ。
この団舎は、建物中が魔者の邪気で穢されている。ここにたどり着いた瞬間から全身が粟立って治まらない。本当にどうしてこんなになるまで気付かなかった――いや、気付けなかったのだろう。自分だけではない。エルマと、クラブ隊。その彼らと接触したはずの騎士団の者たち全員だ。こんなに邪気で満ちているのであれば誰か一人でも気づいてよかったはずだ。いきなり魔者の気が放たれればいくらなんでも歴戦の騎士であるA、K、Q、J(ジャック)は気付いてもおかしくない。
それに、烏葉だ。あれは何故魔者の存在を持ち主に教えなかったのか。魔者については人よりも武器の方が遙かに鋭いと言うのに。
(――烏葉は、まだエルマを主として認めてない。それがここに来て問題に……? それとも、烏葉すら気付かなかったのか)
烏葉はエルマをまだ完璧には認めていない。エルマに教えていない理由がそれゆえだと考えるなら情けなさも問題もあるがまだほんの少しマシだ。だがこの邪気を放った魔者が烏葉にすら気付けぬほど瞬時に行動したとしたら厄介だ。いやしかしそれでも、今になってもまだエルマが「魔者」と口にしないのはおかしい。彼は今もこの場に満ちるものに気付いていないように見える。では、何故彼は気付かないのだろう。魔者の気を感知することなどエルマにはすでに簡単なことのはずだ。
(――っ、待った。なら……)
逆ならどうだろうか。速かったのではなく、"遅かった"のなら。
気付かれないようにゆっくりと、最初の頃は討伐に行ったエルマたちの身体にこびりついたそれに紛れて邪気を発して、徐々にその量を増やし、やがてクラブ隊がそれに慣れてしまったとしたら。――それほど知恵の回る魔者が敵だとしたら――。
ぞっと背筋を凍らせたティナの眼前でエルマが驚愕の声を上げる。はっとしたティナはエルマを押しのけQが示した部屋の中に踏み込んだ。瞬間、不快な熱の塊が真正面からぶつけられる。それが今まで感じていたもの以上の邪気だと理解したのは思わずよろめいたのをエルマが支えてくれた時だった。さすがに彼もこれに気付いたらしく眉根を寄せている。
「なんだよこれ?」
「分かりません。気付いたらこの状態であちこちに倒れていたんです」
背後で交わされる会話に耳を傾けながら、ティナは部屋の中を見渡す。大部屋を埋めているのは邪気に纏わりつかれ横たわるクラブ隊の団員達だった。その彼らの中を青い顔で駆け回っているのはたった3人。つまり計14人のクラブ隊はエルマとQ、そしてあの3人を除いて全滅状態になってしまっているのだ。
「一体何が起こったのか私には……。AとKまで倒れてしまったので隊長をお呼びしようとして」
「エルマ隊長、大隊長!」
仲間の間を駆け回っていた団員の1人が駆け寄ってくる。Qが口早に何事かを尋ねると、団員は仲間達の状態を語った。
「皆息もしていますし脈もありますが、いずれも弱く仮死状態に近いです。それと、他には見られないのですがAとKには戦った形跡が見られます」
「AとKだけ? 他の奴は戦ってないのか?」
「はい。戦おうとした形跡すらないんです。無抵抗にやられたようで、これをご覧ください」
そう言って団員は一番近くのベッドに横にされている仲間の腕をゆっくりと上げた。そして、ある一点を示す。
「何だ、噛み跡?」
エルマが一目見た印象を口にすると、団員は頷く。
「これがどの隊員にもあります。皆キレイに一回で噛まれてますがAとKだけ噛みそこなった跡と裂傷がありました。それと、おふたりだけが剣を放っておいででした」
そこまで聞いてティナは魔者の正体とこの惨状に得心がいった。なるほど、上手くもぐりこんだものだ。ティナが舌打ちすると、隊員の報告に「なんと」と呟いていたQがその視線を向ける。気付いていたがティナはそれを無視して、報告をしてきた隊員に指示を出した。
「あなた、すぐに中央団舎に行ってお医者様と救護員を呼んできて。すぐによ」
大隊長の厳命と受け取ったのか、隊員は団員として敬礼するとすぐに部屋を駆け出た。その足音が遠ざかるより早くティナはQにも続けて指示を飛ばす。
「この人たちが倒れていた中で一番広い所に連れて行って」
何故と尋ねることなくQはこちらですと歩き出した。反対に訳を聞きたがっているエルマを目で黙らせて、ティナは先を進ませる。
部屋を出て歩き出したティナは、その全身で感じていた。彼女に向けられる、膨大な殺意を。