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<『創霊の紡ぎ歌』 Before Story>

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 世界と世界の狭間をたゆとう世界、創霊に愛されたその地に唯一ある大陸、エスピリトゥ・テレノ。その王都たるレイ・ハルディンには各地方が特化した様々な文化・知識が集約されている。

 そしてそれらの知識の多くはここ、王立図書館に集められていた。公共施設としての図書施設ではこの世界で最多の蔵書量を誇るため、連日多くの来場客が訪れる。

 リーゼロッテ・アベーユもまた、多くの来場客のうちのひとりであった。後頭部の高い所でひとつにまとめられた波打つ長い赤紫の髪は、彼女が動くたびに背中で揺れる。度の入っていないレンズ越しに同色の目が眺めているのは自身の背よりも高い書架。時折本を手にとってはぱらぱらとめくるが、望むものがないのか彼女の手に本はたまらない。

 そうするうちに視線が彷徨うのは首を傾けなければならないほど高い列になってしまい、本を取るのにも苦労するほどになってしまった。身長が低いわけではないリーゼロッテだが、特別高いわけでもない以上それなりの苦労はする。

 爪先立ちになり書架にもう片方の手をかけ、身をそれに寄せながら懸命に手を伸ばした。だが、残念ながら届きそうにない。諦めて台を持ってこよう、と手を引いた時、入れ替わるように手が伸ばされリーゼロッテの望みの本がその手中に納まる。

「あ、ありがとうございま――――げっ」

 親切な相手に礼を言うべく笑顔で振り向いたリーゼロッテだが、その表情は一瞬のうちに心底嫌そうなものに変わった。どうしてよりにもよってこいつなのか。リーゼロッテは自身の運の悪さを心底呪う。

「ご挨拶だな軍医。折角取ってやったんだから礼のひとつ素直に言うぐらいの可愛げ見せろよ」

 そこに立っていたのは青灰色の双眸に馬鹿にした光を灯しにやにやと笑みを浮かべた、ジーンという名のひとりの男。目と同色の長い後ろ髪を今のリーゼロッテと同じような位置でまとめ、前髪は左側だけが上げられピンで留められている。左耳には赤い精霊石のピアスが揺れていた。青を基調とした服をよく着るこの男は、赤を基調とした服を好むリーゼロッテと並ぶと髪の色も含め正反対な色合いになる。

 そして正反対なのは色合いだけではなく、ジーンの呼び方通り医者として活動しているリーゼロッテと戦いを好む彼の意思は見事なほどに真逆であった。ゆえに、顔を合わせるとリーゼロッテとジーンは大抵喧嘩をはじめる。主にジーンがからかいリーゼロッテが怒る、というやりとりだが。

 だが今日、今この時に限ってはそれも話が別である。

「ああそうね。どうもありがとう、それくれるかしら?」

 にこりと笑顔を浮かべるものの口を通して放たれた言葉はどこまでも平坦で、とてもじゃないが可愛げなどありはしない。だが彼女にしてみればこれは十分譲歩の結果だ。常であれば「大きなお世話」と怒鳴りつけているところだが、取ってもらったのは事実であり、何よりもここは図書館。その不可侵の静寂を好んで破るほど子供でもない。

 対するジーンも素直に本を手渡した。普段であればいっそうからかってくる彼も、この場の非日常性は理解している。

 ジーンから受け取った本を、リーゼロッテはこれまで通り手早くめくり中身を確認した。一度止まりそれまでとは段違いにゆっくり目を通す場面もちょくちょく見受けられたが、結局彼女の希望には叶わなかったらしい。小さく息を吐くと近くにあった台を取りに行き、今度は自身でそれを棚に戻した。

 それを見たジーンの顔には笑みが浮かべられている。擦り寄る女を好まない彼にとって、自ら動く彼女はそれだけで十分飽きない存在だ。口うるさすぎるのと話が合わなすぎて女性としては見られないが。

「気持ち悪。何笑ってんの?」
「お前が苦労してるのがいい気味でな」

 台を降りながら怪訝な顔をするリーゼロッテの辛辣な一言に、ジーンは思ってもない軽口を返す。睨みつけるもののそれ以上相手にする気がないらしいリーゼロッテはあっさり彼に背を向けてまた書架に向き直った。

 その背後で、ジーンは何ともなしに同じ高さに目を向ける。並んでいるのは魔法関係の資料本だ。

「お前探索魔法ブスカル使えないんだから探しの眼鏡借りてくりゃいいだろ」

 3階建てに相当する建物を縦まで使ってなお所狭しと埋めるほどの蔵書を誇るこの図書館で、自身の力のみで望みを本を手に入れるなど不可能にも近い。呆れた声でそうジーンが声をかけると、リーゼロッテは同じく呆れた視線を彼に向ける。

「1日平均3千人前後の来場者を誇るこの図書館で、800個ちょいしか保持してないような道具がこの時間にあるとでも?」

 探しの眼鏡とはトレジャーハンターと呼ばれる人種が好んで使う魔具であり、望んだものを探し出す魔法ブスカルがかけられているものだ。図書館での使用用途でいうならば、望みの本を探し出す、というものがあり、この図書館では重用される。

 しかしながらその効能から分かるように大変貴重な品であり、王立であるこの図書館ですら1千個を保持することも難しい。そのため貸し出しや出入りには魔法と機械で厳しいチェックがされる。もちろん、貴重図書の無断持ち出しを見張るのが一番の目的であるが。

「まぁねぇだろうな」
「じゃあ訊くな」

 肩を竦めるジーンをばっさりと切り捨てて、リーゼロッテはまた書架と向き合う。だがジーンはまたその背に声をかけた。

「何探してんだ?」

 興味のなさそうな問いかけを受け、リーゼロッテは彼が暇なことを理解する。つまらないことを嫌う彼は基本的に話の合わないリーゼロッテとの会話を好まない。それはリーゼロッテも同じなのだが、その彼がわざわざ声をかけてくるのは、恐らくすることがないためだろう。

 言動からは考えられないが意外に本好きだという彼が本に囲まれたこの場で暇を唱えるのは、恐らく読書に気が向かないためだと推測した。







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