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其の四    2  

 瞼を閉じたかぐやは抜き身の竹光を手に暗い竹林に佇んでいた。闇夜にほのかに光るのは他ならぬ彼女自身。今宵は新月。他に光はない中、これほど狙いやすい標的はいないはずだ。知りつつ敢えてこの状況に身を置いているかぐやは、ただ静かに追跡者がしびれを切らせるのを待つ。両手を自然に垂らし、足は肩幅より少し狭く広げた。舐めきっているようなその姿勢には彼女の自信が満ち溢れている。
 研ぎ澄まされた神経に何かの気配が引っかかる。近くに茂みが揺れた音を聞き、かぐやは目を開いてそちらを向いた。来るか来ぬかの緊張した沈黙。
 それと同時に、かぐやを狙う刃がその背後に閃く。
 もらった。相手が勝利を確信した瞬間、標的たるかぐやが焦る素振りを見せることなく振り向いた。相手が恐慌しながらも振り下ろした剣を余裕綽々で避け、かぐやは一歩踏み込む。相手は刃を戻す暇もなく、かぐやの竹光にその脇腹をしたたかに打ちつけられた。
 呻き声を上げて相手が倒れるのを見届けたかぐやは、にっと歯を見せて一笑する。すると、直前まで張り詰めていた空気が一気に崩れ去った。
「ふふん、また私の勝ちだね光典。精進なさい」
 腕を胸の前で組みかぐやは倒れている光典を見下ろす。光典は大の字に寝転びながら鼻で笑った。
「なぁにが。音に騙されてやがったくせしてよ」
「あーら見くびらないでよ。あんな糸使って音出しただけの単純な罠に引っかかるわけないでしょ。気付いてて敢えて引っかかってあげたんだよ」
 この場合、強がりはかぐやではなく光典だ。光典も分かっていて口にした。気付いていなければあんなに早く反応出来るはずがない。茂みに糸をくくりつけそれを引き、相手がそちらに気を取られた隙に後ろから、と珍しく頭を使ってみたのだが、実戦慣れしたかぐやには児戯同然だったようだ。
 荒れた息を整える光典の横に放り出された彼の竹光を拾い上げたかぐやは、まるでその硬度を確かめるように軽く手に打ちつける。無意な行動。どうやら無意識らしい。
「でも私とこれだけ打ち合ってんだから強くなったよあんた。今なら名うての武人相手でもそう簡単には負けないでしょ。勝てないだろうけど、一撃くらいは防げるよ」
「褒めるなら最後まで褒めろよ……」
 ふてくされてかぐやから顔をそらすように転がる光典に、かぐやは腹を抱えて明るい笑い声を立てた。笑われている光典としては不愉快でしかないが、敗者に語る資格なし。反論したいなら強くなるのが先だ。ここは耐える他ない。
 頭を抱えた、その瞬間、全身から一気に体温が奪われる。奪ったのはほんの刹那の間に全身から噴き出た冷たい汗だ。気付けば周囲に心身を凍てつかせる膨大な殺気が満ちていた。過去、その一端を感じたことのある光典はこの殺気の主を知っている。
 幸いなのはこの殺気が自分に向いていないことだ。もしもこんなものを真正面から受けていたらこんな風にゆっくりとでも立ち上がれなかっただろう。
 一方のかぐやはいつの間にか笑いを収めある一点を凝視していた。竹と竹の間、闇夜の中、更なる闇が凝固している。目を凝らせば、ソレは薄ら笑いを浮かべてそこに立っていた。
「相変わらずその殺気だけは変わりませぬな姫君」
 闇が輪郭を帯びる。背中の丸まった背の低い老人がかぐやの光の届く範囲に足を踏み入れたのだ。老人は殺気を真正面から受けながらも歩を緩めず無防備に近付いてくる。正気かと、目を見開いたのは光典。あの老人がかぐやを上回る武威を誇るようにはとてもじゃないが見えない。それなのに、これだ。正気の沙汰とは思えない。
「まあ、力を失っていてはその殺気を表に出す術はないでしょうがな」
 薄ら笑いが侮辱を混ぜ合わせた。その時光典は老人の余裕の源を知る。彼は知らないのだ。かぐやの力が今何の制約も受けていないことを。
(おいおい、まずいんじゃないのか?)
 光典は喉を鳴らす。この殺気は尋常じゃない。もしかぐやが決断すればこの場に血の海が広がり肉塊が転がるだろう。頼むから余計なことは言うな。光典は確実に死に片足をつっこんでいることに気付いていない老人に心からそう願った。
 しかし老人は光典の心を知らない。さらに踏み入る。
「此度は姫君をお迎えに上がることを連絡する使者として参りました。次の満月の夜、迎えをよこしますのでその者たちと月へお帰りください。お父上たちが心待ちにしておいでです」
 殺気がさらに膨れ上がる。かぐやから発せられる輝きは不気味な静けさを思わせる。
「ところで姫君、この愚老を覚えておいでですかな?」
 奇妙な笑い声を立てながら老人は頭に指を当てる。明らかに馬鹿にしているのだ。光典は肝を潰した。なんと命知らずなのか、これでは殺されても文句は言えない。
「――ああ、覚えている――」
 老人が現れてから初めて放たれたかぐやの言葉は周囲を圧倒する。老人はその時になってようやく異変に気付いたのか、慌てて後ろに退こうとした。だが、かぐや相手にその行動はあまりに遅すぎる。その間合いは一瞬にして詰められた。顔を引きつらせる老人の間近で、地上の月の美しい顔が怒りに理性を失う。
「私を、最初に化け物と呼んだ奴――っ!!」
 月の光を灯していた眼差しが狂気に満ちた目へと変わった。そして直後、老人の喉元にかぐやの手にする竹光が捉えきれない速度で突き出される。次の瞬間、その場には生臭い血のにおいが満ちた――はずだった。




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