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<忍題 『夢』> |
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『あたし絶対アイドルになる。それで、みーんな笑顔にするの!』 そんなことを素面でのたまっていた子供時代。まさかあのきらびやかな世界がこんなに薄汚れていたなんて知らなかったんだ――――。 「『――――です。明日の収録も楽しみだなー☆』、っと」 最後にエンターキーを強めに押して文章を完成させると、私は描いたばかりのブログ記事を読み直してから投稿ボタンを押す。少しもせずに無事に投稿されたという知らせが表示されたのを確認した私は、椅子から立ち上がりすぐそばのベッドに倒れこんだ。 「……なーにが『楽しみだなー☆』よ。ぜんっぜん楽しくなんかないっつの」 悪態をついた対象は自分で考え自分で打った今日のブログの内容。今の私の心情に微塵もかすらないそれは、正に虚像のブログだなと自重する。 虚像。そう虚像だ。子供の頃にあれだけ焦がれ望んだ世界は見かけばかりがきらびらやかな世界だった。今の私はそれをはっきり知ってしまっている。 私こと緒方るみ(芸能界ではRUMI)は幼い頃から「アイドル」という存在に憧れていた。可愛らしく、きらきらとしていて、幼い私の目には現代のお姫様に映っていたのだ。 そしてそれになるために肌にも髪にも服にも、細心の注意を払ってすごしてきた結果、念願叶ってアイドルへの道に入り込むことができた。……今思えば生来顔立ちと歌唱力に恵まれていたのもあるだろう。見た目が最初の決め手となる世界だ。こればかりは運がよかったと思う。 しかしいざ”アイドル”として活動を始めて分かったことがいくつもある。 まず、これは我慢できるのだが、レッスンが厳しい。朝から晩まで、収録がある時以外はずっと先生に怒鳴られている。 次に生活リズムの変動。自由時間は極端に減り睡眠時間も削られるようになった。「親御さんにご迷惑がかかるから」と事務所が用意してくれた防犯だけはしっかりしたアパートに一人暮らしするようになったのもそのせいだ。 そして――――他にもあるがこれが確実に一番。疑いようのない最悪な事実。人間関係がとにかく筆舌に尽くしがたい。 どの世界に生きていても、どの年代でも、どちらの性別でも、そんなのはいつだって付きまとうことだろう。けどここは、芸能界は違う。思ての華やかさとは逆にどろどろとした思惑があちこちを這いずり回り目に見えない沼となっているのだ。気をつけないといつ足を取られるかも分からない。 そんな中を、私たちはひたすら笑っていなくてはいけない。嫌なことを言われても、辛いことをされても、苦しいことをさせられても、全部飲み込んで笑ってなくてはいけない。だってそれが”アイドル”なのだから。 「――――何であたし、アイドルになんてなったんだろ……」 このところずっと頭を埋めていたことが口からこぼれる。そうすると、まるでツタでつながっていたかのように”その言葉”が胸を埋めていく。 『辞めたい』、という言葉が――――。 ピンポーン インターフォンが鳴って私ははっとしてベッドから起き上がった。今正に声に乗せようとした言葉を思い出すと背筋がぞっと冷える。 何を言おうとしたのだ、私は。 ピンポーン 再び鳴らされたチャイムに私は感謝を感じつつも若干の鬱陶しさを感じた。実家を離れ日々に忙殺される私を訪ねてくるのは仕事関係の人ばかり。セキュリティのおかげで押し売りも勧誘もないのはありがたいが、かかわりの希薄さが寂しくもある。 ベッドから降りてインターフォンに向き合い、ひっつめ髪のマネージャーが映し出されるのを予測しながら玄関前の映像を呼び出した。そして、予想外の姿に私は一瞬ぽかんとしてしまい、三度チャイムを鳴らされてようやくその人物を部屋に招きいれた。 そこにいたのは飾りっ気のない衣装に身を包んだひとりの女性。本名・阿仁綾子、「にゃー」とあだ名される幼稚園時代からの友人だ。 「最近なんかブログの内容が病んできたからそろそろやばいかなーと思って」 コーヒー派のにゃーに自分では飲まないコーヒーを入れながら訪問の理由を尋ねると、そんな答えが返された。私はどきりとしながらも何事もないように笑う。 「えー? にゃーホントにちゃんと読んでるの? あたし超元気じゃん」 そう振舞っている。そしてそれが上手くいっていることは「RUMIちゃんはいつも元気だね^^」という類のものを筆頭とした寄せられるコメントたちが証明してくれている。思い出すと自分は女優も向いているのではないかという、自嘲を交えた自信が湧いてくるほどだ。 「読んでるって。あんた精神的に参るほどテンション無駄に高くなるじゃん。だからわざわざ来たんだよ」 あ、訂正。なれません。少なくともこの幼馴染を納得させる演技は無理だ。 遠慮なく図星をつかれて私は二の句が継げなくなってしまった。 だがいい機会かもしれない。自分のやりたいことをやるために家を出た手前両親には弱音は吐けないし、ブログで吐き出すわけにもいかない。ギョーカイのお仲間なんてもってのほかだし、他の友人に愚痴るくらいならにゃーを選ぶ。 私は意を決すると出していたティーカップではなく大きめのマグカップにコーヒーを並々と注ぎ、自分には先に入れておいた紅茶ではなく外置きしていたペットボトルを持ってにゃーの前に座った。 こうなったらとことん愚痴に付き合ってもらおうじゃないか。 「聞いてよ。あのね――――」 そうしてこれまでずっと溜め込んでいた鬱憤を晴らすかのように、私は次から次へと不満や怒り、悲しかったこと辛かったこと、挙句は周囲への悪口まで、どこからこんなに引っ張ってきているのかと自分でも思うほどににゃーに向かってぶちまけた。 こういう時のにゃーは基本的に何も言わない。時々私の言葉が意味不明になってくると意味を訊いてくるくらいだ。私が悪いとも言わないし相手が悪いとも言わない。でもしっかりと聞いてくれて、ちゃんと反応も返してくれる。時々同意を求めていきなり話を振っても対応に戸惑わないところそれは間違いない。 そして子供の頃からの習慣に倣ってあれだこれだと喋っているうちに、私は次第にヒートアップしていき、ついにその言葉を勢いで発してしまった。 「あーもう辞めたいアイドル」 さっき折角飲み込んだ言葉だというのに、私はその時いとも簡単にそれを口にした。しかしそれは本当に勢い任せの、言ってしまえば言葉のあやだ。にもかかわらず、コーヒーをすすっていたにゃーはあっさりとこう言ってくる。 「じゃ、辞めれば?」 あまりに平然と言ってのけられて私は喉を潤していたお茶を噴き出しそうになった。ぎりぎりでその醜態は避けたが、咳き込むのは止められない。にゃーが腕を伸ばして背中をさすってくれる。私は咳き込みながら、机に身を乗り出しているにゃーを少し涙の浮かんだ上目遣いで見上げる。 「……ふつーさ、慰めるとかスルーするとかしない? 今の……」 文句を口にすると、にゃーは軽やかに笑った。 「るみがやりたいって言って選んだ道なんだから、辛くなったんなら辞めれば? でも、『夢』って言葉使ったんなら簡単に諦めるなーって言いたいのが本音だよ私は」 これはにゃーの昔からの口癖だ。私はにゃーの隣に置かれている長方形に近い形の鞄に目をやる。あれがにゃーの仕事道具で、にゃーの『夢』。 にゃーは昔から写真を撮るのが好きで、今もカメラマンの先生の下で修行をしている最中だ。あの鞄にはにゃーのカメラとかが入っている。にゃーが化粧品や服なんかよりもずっとお金と時間を費やしている宝物で、いつも持ち歩いている。 そんな彼女はかなり本気で夢に向かって邁進している。だから簡単に『夢』という言葉を使うことを嫌ってもいるのだ。「本気だなんて口だけでそれに対して努力もしない奴は寝ている間に見ている夢を語っているのと同じだ」。いつだかにゃーがそんなことを言ったのを今でもよく覚えている。基本的に飄々として笑顔でいる彼女にしては珍しく厳しい横顔をしていたからだ。 今のにゃーはあの時みたいな厳しい顔はしていないけどどこか寂しそう。多分、そんなにゃーのことをよく知っているはずの私がこんなことを口にしたからだろう。それでも無理に「絶対やれ」と言わないのが、にゃーの優しいところだ。 にゃーは弱音をはかない。無理しているとかじゃなくて、嫌なこととか辛いこととかをプラスに変換する思考能力が凄く高いのだ。躓いたらただじゃ起きないのがこの子。躓いたら2倍3倍は強くなって立ち上がる。 そんなタイプの人に弱音を吐きたい気持ちはきっと分からないだろう。けど責める気にならないのは、それでもにゃーが私の気持ちを分かろうとしてくれるから。だからいつも、甘えてしまう。 私は涙ぐむのを我慢せずにそのままにして、手足を使ってにゃーのそばに近付くと、その膝の上にのしかかった。 「分かってるのー。にゃーは間違ってなくて、私が甘えてるだけー。でも辛いんだよぉ。パワーが足りないぃぃぃ」 まるで幼い子供のように彼女の嫌いな泣き言を言い募る。にゃーはいつものように黙って頭を撫でてくれる。しかし今日はいつもと少し違った。いつもならしばらく撫でていてくれるのに、今日はすぐに手がどき、変わりに鞄を漁り出す。何かなと思いながら膝に頭を乗せたままで視線だけをそちらにやる。 すると、その途端に視界をふさがれた。 「じゃあこれ貸してあげる。私のパワーの源。挟まってる写真はよければあげるよ」 言うなりにゃーは私の頭を優しくどかして立ち上がる。もう遅いから帰るという。私は見送る気はあっても立ち上がる気になれずに寝転がったまま言葉だけでにゃーを見送った。 戸締りちゃんとしなよ。そんな言葉を最後に扉が閉められる音がした。 「何だろこれ……って、幼稚園の時の卒業文書――って言っていいのかな?」
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風吹く宮(http://kazezukumiya.kagechiyo.net/)