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<忍題 『夢』> |
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にゃーが置いていったのは古びた冊子だ。表紙に私たちが通っていた幼稚園の名前が書かれている。記憶違いでなければ卒園の時に渡されたものだったはずだ。確か何かを書かされた気がするが、何を書いたのだったか。 ぱらぱらと流し読みしようと開こうとすると、開き癖がついていたページのうちの1箇所があっさりと開く。と同時に、何枚かの写真が滑り落ちてきた。そのうちの1枚を拾い上げて目を通すと、それは微妙にぶれているとても古い写真で、写っているのは小さな女の子――――ああ、子供の頃の私だ。 「……あ、これ歌の発表会の時だ」 幼い自分の後ろに掲げられた幕に随分助けられ、それがいつの写真か思い出す。確かこの時、はじめて人前でひとりで歌ったのだ。それを褒められたのが凄く嬉しくて、「アイドルみたいね」って言われたのが嬉しくて――――。 「――――この時だっけ、アイドルになるの! とか言い出したの」 褒められたのが嬉しくてそれに夢中になっていくなんて、本当に単純な子供だったなと苦笑する。 そういえばこの写真、にゃーが撮ってくれたものだったはずだ。にゃーのお母さんが持ってたカメラを使ってて、「こっち向いて!」って大きい声で言われた気がする。 懐かしいものを見ていたら目頭が熱くなってきた。ごまかすように私は写真をテーブルに置き文書に目を落とす。誰のページなんだろうと名前を探すと、予想通りというか、にゃーの名前が書かれていた。子供の拙い字で書かれていたのは将来の夢。にゃーはここでも変わらず「カメラマン」と書いていた。 変わらないんだなぁ。私はくすりと口元を緩めながら書かれている内容にちゃんと目を通す。 『しょうらいのゆめ さくらぐみ あに あやこ わたしはしょうらいカメラマンになりたいです。 しゃしんをとるのがすきだからです。 おとなになったらたくさんすごいしゃしんをとりたいです。 るみちゃんとのやくそくもたくさんまもります』 足らない語彙に笑いをこぼしていると、不意に自分の名前が出てきて少し驚いた。 (……約束、って、何だったけ?) 子供のころ過ぎて何のことだかまるで分らない。別の人なら「ああ、あれか」とでもなりそうだけれど、昔から一緒にいるからこそ、この頃に交わされたらしいにゃーとの”約束”が何なのか判明させえる要素がこれでは少なすぎる。にゃーとは小さいことから大きいことまで何個も約束を交わしているのだ。どれを指している、なんてすぐに思い出すのはちょっと私の記憶力だと難しいものがある。 「むー?」 別に思い出さなくても支障があるわけではないけれど、何となく気持ち悪い。あれだ。テレビに出ている有名人の名前が喉まで来ているのにたどり着けないあの感覚。あんなもどかしさが今の私の胸に広がっていた。 自分のところを見れば何か分るかもしれない。私はページをめくって自分のそれを探す。が、それはすぐに終わった。にゃーの所ほどではないが、私の所にも開き癖がついていたのだ。 「…………書いてないや」 自分の下手すぎる字をなんとか解読して一気読みするが、そこに書かれているのは「アイドルになる」とか「みんなを笑顔にする」とかそんなお決まりのことばかり。やっぱり”約束”っていう言葉が出ているから、にゃーとの二人の秘密だったのかもしれない。 しばらくごろごろと床を転がりながら思い出そうと試みるが、最終的にはあきらめた。どうしても思い出せない。いいや、今度にゃーに訊こう。 私は文集を机の上に置き、先ほど落としたままにしてしまっていた残りの写真を拾い上げた。写真は8枚。どれも記憶の端にちょっとひっかかるから多分1度は見たことがある写真なんだろう。私はひとまずぱっと写真をぱらぱらと見ていく。 1枚目。左上に「A」の文字。私の写真。小学生――――低学年の頃の学期末ぐらいにやったお楽しみ会の時かな。黒板の前でポーズを決めている。 2枚目。左上に「A’」の文字。複数の男の子と女の子たち。確か小学生の頃のクラスメイトだったかな。みんな楽しそうに笑っている。 3枚目。左上に「B」の文字。私の写真。小学校中学年ぐらいの演劇発表会の時だったかな。熱演しているのかカメラ目線にはなっていない。 4枚目。左上に「B’」の文字。こっちは劇を見ている観客の写真だと思う。みんな劇に見入っているのかこっちもカメラには気付いてない。 5枚目。左上に「C」の文字。私の写真。小学校高学年の時の合唱コンクールの時にソロパートを歌った時のだ。あの時友達とか先生とか後輩とかにすごく褒められて鼻が高くなったっけ。 6枚目。左上に「C’」の文字。目を見開いて口を大きく開いている子たちが写ってる。5枚めの私よりも小さい子たちだから後輩なのかな。 7枚目。左上に「D」の文字。私の写真。ふりふりの衣装で体育館のステージに立っている。これは確か中学生の頃の文化祭だ。周りに推されて「るみオンステージ」みたいな感じでやらされたんだ。……ま、楽しかったけどね。 8枚目。左上に「D’」の文字。ちょっと薄暗い中に熱狂している生徒たちがたくさん写ってる。これは観てくれていた人たちだ。初めて本格的な大歓声を浴びた瞬間だからすごくよう覚えている。 どうやら全部私とそれを見てくれている人たちの写真らしい。それにしても観客側の写真はどういう意図で撮っているのだろう。1枚目以外は誰もカメラに気付いていないのに。まあ、私としては舞台の上からだと見えづらい相手の顔が見れて嬉しいけれど――――。 「――――あ」 その時、頭の中にかかっていた霧が唐突に晴れる。思い出した。にゃーと私が交わした約束。これだ。 私は写真を机の上に放り投げるように置くと、何も持たずに部屋を飛び出す。エレベーターを待つけどじれったくなって階段を使って一気に1階まで駆け下り、外に飛び出した。アイドルだって体力勝負だ。これぐらいなんてことない。 それから、いつも彼女を見送る道を全力で駆けていく。ああもう、ミュールなんて履いてくるんじゃなかった。走りづらい。 少しの間夜の街に騒がしい足音を響かせていると、ようやく目的の人の後ろ姿を見つける。散歩気分なのか、歩調はいつもよりものんびりしていた。私はその背中に向けて体当たりするようにぶつかって服を掴んだ。 前を歩いていた人――――にゃーはよろけながらも倒れずにその場に踏ん張る。さすが体力必須のカメラマン弟子。 「とと、誰――――って訊くまでもないか。何? どうしたのるみ??」 にゃーが呆れた顔で振り返る。でも気分が先走っていた私は謝るより言い訳するより先に大声で自分の要求を突き付けた。走ってきたから息が上がっていて声の調整がきかなかったのだ。 「にゃー! “頑張れ”って言って!」 「は?」 「いいから頑張れって応援して!」 理由も何もない私のわがままににゃーは目をぱちくりとさせるが、最後には肩を竦めて猫が伸びをした時のように目を細めて笑う。 「頑張れアイドル。あんたとあんたが笑顔にした人たちを撮るのが私のやりたいことなんだからね」 果たされた要求と、そのついでのように付け足された言葉に、私は自覚できる程上機嫌な笑みを浮かべた。 そう、これがにゃーと私が交わした約束。 私はみんなを笑顔にしたい。 にゃーはみんなの笑顔を残したい。 だから、私が笑顔にした人を、にゃーが写真に残していく。そのために私はいつまでもにゃーのファンでいて、にゃーはいつまでも私のファンでいる。辛かったらお互い慰め合って、お互いに励まし合う。 全部をひとつにまとめた、ふたりの夢をつないだ約束だ。あまりに自然になりすぎててそんな約束していたのも忘れてたけど、確かにこれはパワーの源になるのに十分だろう。 辞めたいだなんて冗談じゃない。なんでアイドルになったかなんて答えは簡単。昔から言っていた通りだよ。何にも変わってない。「みんなを笑顔にしたい」。それだけなんだ。 私は私よりも背の高いにゃーの顔を見上げて、そして高らかに宣言する。 「まっかせて! 日本全国あますとこなくあたしが笑顔にしてやるんだから」 大言壮語もいいところ。でもこれでいいはずだ。なんたってあのどろどろした世界で輝いていこうっていうのだから、これぐらい気合をいれなくてはやっていられない。 私の――――私たちの夢は、こんなところで終わらせない! 「あたしの本気を見せてやるんだからねっ」 とりあえず、目下の敵は嫌味なお局様で決まり。 「……るみ、穏便にね?」 何も言っていないのに悟られてしまってぎくっとする。やっぱりにゃーをだませるのはまだまだ先かな。 |
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風吹く宮(http://kazezukumiya.kagechiyo.net/)