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<『それはある日の不思議な話』>

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 よくテレビで、「不思議体験」というのをやっている。それは確かに、どれも不思議なものだ。だが、その日の私はテレビで見るようなそれではなく、漫画やゲームで見るようなそれを、体験した。

 

 

 

 

 仕事に行き詰った私はふらりと家から出かけた。持っているのは財布と携帯だけ。ウォークマンくらいは持って来ればよかったかな、と少し寂しい耳の辺りを撫でてそう思う。どこへ行くわけでもなく、ただ目がつく方向へと歩き続けた。

 

 自宅から駅までの道なりに生活に必要な店が揃っているので、私の行動範囲はとても狭い。そんな私は、もう10年以上住んでいる町なのに、まるではじめて来た町を歩くような気分で歩を進めた。

 

 やがて、私は高台にある公園にたどり着く。ここはすり鉢状の構造をしており、直線で降りる道もあるが、壁に沿って螺旋の階段も作られているようだ。特に降りる用事もなかったが、公園、という懐かしさに私は自然と降りる選択肢を選んでいた。さらに普段なら絶対に使わないであろう石の螺旋階段をゆっくりと降りて行く。

 

 中々に高く、170センチほどの身長の私の腰よりも高い柵が巡らせられているとはいえ下を見ると少々足が竦んだ。私はくらっとした視界を誤魔化すように頭を振ってまたゆっくりと螺旋階段を降って行く。

 

 傾斜は緩やかながら体力無しにはきつい段数を折りきると、見計らったように中央にある噴水が水を噴出した。あそこで一度休もう。私は重くなってきた足を引きずるように噴水に近付く。

 

 そして気付いた。噴水に穴が開いている。穴、というよりも扉をはめればぴったりするような枠、と言った方が正しいかもしれない。そこだけ水が避けており、変な仕組みだな、と思いながら私はその穴をくぐる。

 

 少しの間暗い空間が続いた。洞窟のような造りをしているのだろうが、子供たちが入って怪我をするのではないだろうかと少し気になる。今度役所に勤めている友人にでも伝えておこう。

 

 そんなことを考えながら歩き進めると、不意に視界に光が入ってきた。逆光が激しくて向こう側は見えないが、出口だろう。私はこれだけ暗い所にいたのに差し込む光にまるで目が痛まないことを疑問に思いつつ光の中を突き進んだ。

 

 そうしてたどり着いたのは、森の中にある一軒の小さな店の前であった。現代日本の、しかもこれだけ近代化が進んでいる町中で見るには珍しい床の高いログハウスのような店だ。どういう構造をしたら町中からこんな森の中に出られるのだろうか。私は目をぱちくりとさせながら辺りを見回す。完全に森だ。電柱や電線など、今はどこに行っても見られるものがどこにもない。

 

 事態に疑問を覚えつつ、私は店に近付いた。出入り口と思われる扉に続く階段の下に看板がある。

 

「えーと、……リンデ、か」

 

 当然だがはじめて聞く名前だ。携帯で検索でもかけてみようかと開くが、見事に圏外。古い機種だからか、それとも電波が届きにくいのか。残念に思いながら私は携帯をしまい直してゆっくりと階段を上る。

 

 少し怖い気持ちもあった。けれどそれ以上に好奇心が勝ったのだ。ここはどこなのか。この店は何なのか。子供に戻ったような気分で胸を高鳴らせて階段を上りきってから、私は扉の前で少し深い呼吸をする。扉には「OPEN」の札。大丈夫、ちゃんと店だ。

 

「こ、こんにちはー……」

 

 いらないとは思ったがノックを3回してからゆっくりと扉を開き、そこから覗き込むように店の中に声をかける。最初に目に入ったのはカウンターの向こうで食器を拭いていた男性だ。年の頃は私よりも若いくらいだろうか。20歳前半くらいの柔らかな雰囲気の人物で、扉に取り付けられたベルが鳴った音に気付き私と目が合うと、にこりと優しい笑みを浮かべる。もう少し若かったらときめいていたかもしれない。

 

「いらっしゃいませ。どうぞ、お入りください」

 

 黒い髪は短めで、前髪は真ん中で分けられている。もみあげの辺りの髪は少し長く、赤い髪留めでまとめられている。双眸は光の関係かカラーコンタクトか分からないが、少し群青がかっても見えた。店の制服だろうか青を基調とし黄色で縁取ったベストと黄緑色のYシャツ、茶色のズボン、濃い緑のスカーフを身につけている。細身な長身で、私よりも少し高いくらいだろうか。……身体の幅は私の方がありそうだが。

 

「あっ、はい。失礼します」

 

 男性に勧められて私は店の中に入ると適当な席についた。ついカウンターが見えるように座ってしまったので男性が何かのスイッチをいくつか動かしたことに気が付く。だが店の中を照らす古式ゆかしい照明群はそのままだし、鍵を閉められたような感じもしないので気にしないことにした。店の中を見回すと客はどうやら私だけのようなので、もしかしたら換気扇をつけたり空調をつけたりとかそういうだけかもしれない。

 

「ただいま水とメニューをお持ちしておりますので、少々お待ちください」

 

 男性がカウンターから声をかけてくれる。お持ちします、ではなく、お持ちしております。という言葉に私はもう一度店の中を見回した。そして気が付く。緑色の可愛い生き物がこちらに必死に向かってきていることに。

 



2012/10/08




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風吹く宮(http://kazezukumiya.kagechiyo.net/)