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   しっかり者でサバサバしている生徒思いの保険の先生。銘苅めかる ここの評価は学園の中では非常に高く、生徒からはもちろん、同僚たちからの信頼も厚い。しかしそんな彼女も異性との縁に恵まれず、残念ながらここ2年は恋人がいない日々を送っている。現状を打破すべく合コンに出たり異性と出会うことに積極的だったりと、自ら動くことに余念はなかった。だがつい昨日も、アプローチをかけていた男性に「ごめんなさい」を突きつけられてしまっている。
「なーにが『あなたにはもっといい人がいます』よ。そのいい人があんただと思ったから声かけたんじゃない。そんな『困った告白の上手な断り方』みたいな本に載ってそうな断り方よく出来たわよね」
 昼休み後半、生徒がまばらに校舎に戻っていく中、心実はその流れに逆らうように食堂に向かっていた。ぶつぶつと離れた男性に文句を口にしているものの、すれ違った生徒にはいつもの笑顔を向けている。この辺りは教育現場に立つプロのプライドだ。
 食堂に入ると、まだ多くの生徒や教師たちで賑わっていた。これでも教室などで食べる組やすでに食べ終わった者たちがいないというのだから、影咲学園の人数の多さが窺える。
 とはいえ、さすがにこの時間に注文で並んでいる者は極少数だ。心実はすっかり少なくなったお盆をひとつとり、誰もいない丼物の列に並ぶ。いつも人気なのだが、今日は幸いにも「売り切れ」の札が立っていない。ちらり、と視線を向けると、「今日の丼」のポップには「カツ丼」と書かれていた。ヤケ食いにはちょうどいい、と、少々やさぐれながら心実はそんなことを考える。
(帰りはバッティングセンター寄ってこー……)
 心実の最大のストレス発散は買い物でもカラオケでもなく体を動かすバッティングセンターだ。運動好きな男性なら心実の好みに合う者も多そうなのだが、鬼気迫る様子でバットを振る心実に声をかけてくれる猛者は今の所いない。
「はい、お待ちどおさま」
「ありがとう――あら? 新しい方?」
 ことん、と軽い音を立てて丼の器が置かれた。心実はぱっと顔を上げ、礼を言うべく視線を食堂員に向ける。そこで、眼前の人物を初めて見たことに気がついた。全員の顔と名前を把握しているわけではないが、見慣れない相手にはさすがにすぐに気がつく。人を見るのも心実の仕事だ。
「あら凄い、食堂のおばちゃんも覚えてくれてるのね。はじめまして先生。沖島おきしまです、今日からここのお勤めになったから、よろしくお願いしますね」
 マスク越しでも分かるほど、女性――沖島は朗らかに笑った。つられるように心実も頬を緩ませる。
「はじめまして。高校の保険医をしてます銘苅です。よろしくお願いします」
 いい人そうだ、と思った次の瞬間、最早癖になってしまった指輪の確認をしてしまった。半透明のビニール手袋の下、左手の薬指には控えめなリングがはめられている。いいなぁ、と漏れそうなため息を堪えていると、沖島は頬に手を当て同じ高さにある目を真っ直ぐに注いできた。
「銘苅先生、お疲れ?」
 問われ、咄嗟に言い訳も出てこず心実は曖昧な笑みを浮かべる。すると、少し待っていて、と沖島はそこから離れ、近くの冷蔵庫を開けて小さな容器を持って来た。
「はい、おばちゃんの奢り。カツ丼って美味しいけど疲れてる時は胃に来るからね。一緒に食べてください」
 カツ丼の横に置かれたのは市販のりんごヨーグルト。でも、と遠慮しようとするが、おばちゃん特有の「いいからいいから」で強く押し切られてしまう。結局手元に残った容器を見下ろすと、小さな優しさがじわりと胸に広がった。心実は今度はちゃんとした笑みを浮かべる。
「ありがとうございます沖島さん、ありがたくいただきますね」
 その日食べたカツ丼は、ヤケ食いでがっつくにはあまりにも美味しく、結局心実は普通にそれを食してしまった。じんわりと涙が浮かんだのは、最後に食べたヨーグルトの酸味のせいだ。

 それから1年。
「あっこちゃーん、パスタ大盛りとりんごヨーグルト!」
「あら、はいはーい。いつもの・・・・ね心実先生」
 心実が昼にりんごヨーグルトを頼むのは、「話を聞いて欲しい、飲みに行こう」という誘いを、沖島こと明子に言葉なくする際の合言葉になるのであった。

                                了


あとがき

2016年のべーたなさんのお誕生日用に書いたお話です。
懲りずに誕生日要素など微塵もないお話です((
べーたなさんのところの心実先生は作中書いた通り生徒思いで、美人さんだけど(恐らく)酒癖のせいで中々いい人に出会えず恋愛には恵まれない、という感じの人です。そんな彼女と明子(陽介の母親で食堂のおばちゃん)とは仲良くさせていただいております。
が、残念ながら本紙では陽介メインになってしまったため作品としてはまだ仲のよい場面が出ておりません。次回があったら、とは思うのですが、先は長いのでお馴染み出会いの捏造で関わらせていただきました!
いやはや楽しい(´∀`*)←

それではべーたなさん、お誕生日おめでとうございます!
(※このお話はべーたなさんのみ保存・別所掲載可です)

2016/02/21