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 酷い日だ。寝床の棺桶に転がりながら、ラルフは光を無くして久しい双眸をまぶたの上から押さえる。
 ロードヴァンパイアであるラルフにとって、夜とはすなわち平穏の時間。しかし、今夜ばかりは――この新月の夜だけはそうもいかない。かつて日光への耐性を得るため視力を代償とした彼の目は、月が完全に姿を消す夜に必ず痛みを主に与えてくるのだ。
「……ああもう、寂しいですねぇ。5人も同居人がいるのに誰もいないなんて」
 ラルフが同居しているのは恋仲であるヨシュ、彼が面倒を見ていたイザベラ、幼い頃からよく預かっていたカミラ、その父であるガルデア、最近は帰ってこないことが多いザッハーク。計5人。にもかかわらず、現在は各員それぞれの事情で家にいない。ラルフはひとり寂しく痛みに耐えていた。
「私は寂しいと死んじゃうんですよー」
 ぽつりと呟いた所で誰も答えてはくれない。増した痛みに眉を寄せる。すると、突然温かな物が目に乗せられた。
「え? あ――カミラ、ですか?」
 咄嗟に目元に手を当てれば、それは温められた蒸しタオル。気配は今でも何も感じないが、何もない所から突然タオルが降って来るはずもない。このような芸当が出来るのはラルフの覚えがある限りひとりだけである。
「ん。ただいま」
 珍しくぶっきらぼうに答えたのは予想通りの少女の声。それと同時に、気配が帰ってくる。ラルフはタオルを目元に当てたまま微笑みかけた。愛しい愛しい養い子の声は強張っていた頬をどんどん緩やかにする。
「気付きませんでしたよ、お帰りなさい。どうしました? 今日はお友達みんなとお泊りだって言っていたでしょう。イザベラさんも一緒ですか?」
 体を起こそうとすると、「盗賊をなめるな」という自慢げな言葉と共に肩を押されて棺桶に戻された。
「イザベラはそのまま残してきた。わたしだけだ」
「おや、どうしたんですか? 喧嘩しちゃいました?」
 心配になってさらに尋ねると、カミラの小さな手がタオルの上からそっとラルフの目を撫でる。
「喧嘩なんかしてない。終始笑顔かつふれんどりーだったぞ。ただ……今日はジジイが体調悪くなる日だって思いだしたから」
 だから帰ってきた、と、切られた言葉の続きはそんなところだろう。ラルフはさらに笑みを深くした。心底幸せそうにラルフが笑っていると、カミラの手が離れる。名残惜しげに気配を見送ると、去ったばかりのそれが今度はさらに大きくなって近付いてきた。カミラがラルフの転がる棺桶の中に入ってきたのだ。
「カミラ?」
「雨も降ってきて寒いでしょ? 今夜は一緒に寝てあげるよ」
 言いながらカミラはラルフの脇の下で丸くなる。まるで大きな猫だ。鬼と吸血鬼の混血なのに、一体どこで猫の血なんて混ざったのか。ラルフは逆側の手で寄り添う娘の頭を撫でた。
「雨の音なんてしませんけどねぇ」
「ジジイがぼけてるだけ」
 おやそうでしたか、くすくすと笑いながら頭を撫で続けていると「しつこい」と払われてしまう。それでも、小さなぬくもりは隣に丸まったままだ。
「明日の朝、ホットケーキのはずだったんだ。はちみつたっぷりの」
 ぱしぱしとラルフの腰骨の辺りを叩きながらの報告は、ただ「惜しかった」ということを伝えているわけではあるまい。彼女が望んでいるのは、続くはずの「だから」の先をラルフが察すること。気遣うだけではなくちゃんと我侭も交えてくれるからこの子はありがたい。気を遣われてばかりでは気が滅入ってしまうものだ。
 ラルフは口元を緩め、カミラの髪をかき混ぜる。
「それはすみません。では、明日の朝はホットケーキにしましょうね。ああ、でも牛乳が少ししか残ってないから、買いに行かないと」
「朝一でわたしが行って来る」
「おや、大丈夫ですよ。明日には私も元気になっていますから」
「……じゃあ一緒に行こうよ」
 叩くのをやめ、カミラは改めてラルフの脇に顔を埋めた。「固い」「筋張ってる」と文句をいうものの離れようとしない養い子に思わず笑いが零れる。
 温められたおかげで少しばかり痛みは引いたものの、双眸はやはり痛みをラルフに与えてきていた。けれど、もう「酷い夜だ」とは言えない。
(まったく、いい夜ですね――)
 水滴のない雨の夜は、静かに静かに更けていく。

                                了


あとがき

2016年のひよさんことひよこ三郎さんのお誕生日用に書いたお話です。
もう誕生日要素なんて考えないことにしました。
ひよさん宅のラルフさんとカミラちゃんの関係性というか、仲良しな感じが凄く好きなわけですよ。特にツイッター(BOT)上でカミラちゃんがラルフさんにおぶさって「蝉ごっこ」と言っているのがホント可愛くてですね(以下略
それプラス、ラルフさんの「新月の日は目が痛む」からこのお話を書かせていただいた次第です。ああ楽しかった(´∀`*)

それではひよさん、お誕生日おめでとうございます!
(※このお話はひよさんのみ保存・別所掲載可です)

2016/06/30