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 何か暗い先輩。千秋ちあきが彼をはじめて見た時に抱いたのはそんな感想だ。
 友人の瑞樹みずきが図書館で話しかけたのは前髪で顔が隠れた男子生徒。図書館だということを差し引いても声が小さく、傍から聞いていると瑞樹がひとりで喋っているようにも思える。
「あの人誰だ?」
 戻ってきた瑞樹に素性を尋ねると、3年の沖島おきしま先輩だと言われた。瑞樹の姉・彼方かなたが以前世話になったことから縁が出来たという。
「ちょっと面倒だけど悪い先輩じゃないぞ」
 笑ってそう教えてくる瑞樹に、千秋は興味なさげに「ふーん」と返す。実際に興味はなく、その日の帰路の間に千秋の意識から彼の存在は消えていた。
 それから二週間が経過した今日、千秋は道を挟んだ向かいにあるケーキ屋を睨んでいる。視線の先にいるのは――いや、あるのは、店頭で風に揺れているのぼり。そこには「期間限定スペシャルクレープ」の文字が鮮やかに刻まれていた。
(くっそ、何でこんな学校近くなんだ。平日も休日もうちの生徒ばっかりじゃねぇか)
 千秋は甘いものが好きである。だが、年頃ゆえの恥ずかしさからそれを公言出来ていない。瑞樹などを含めそれを知っている者もいるのだが、代わりに買って来てくれとも一緒に行ってくれとも言いづらい。その結果、スペシャルクレープの販売期間最終日の今日に至ってもなお、こうして向かいから店を睨んで無意に時間を過ごしていた。
「……やっぱ兄貴に買って来て貰うかな……」
 呟きながら、千秋は頭を抱えて最終手段に縋る覚悟を決め始める。
「でもクレープ買って来て欲しいなんて言った……ら……」
 溜め息をつきながら顔を上げ、千秋は言葉を失った。クレープに没頭しすぎて周りに気を配るのを忘れた数秒前の自分を盛大に呪う。もっと気を遣っていれば、今こうして道行く人と目が合ってはいなかっただろう。前髪の隙間から、じっと見られることはなかっただろう。
「……」
「……」
 千秋と前髪の長い通行人は互いに視線を交わしたまま沈黙し続けた。不機嫌な千秋の仮面の下では冷や汗が滝となっている。
(やべぇやべぇやべぇ、こいつうちの生徒じゃねぇか。つーかなんか見たことねぇ? 知り合い? ――あ)
 思い出した。目の前にいる人物。すっかり忘れていたが、以前図書館で瑞樹が声をかけていた3年の先輩――沖島だ。
「……何すか」
 何見てんだよ、と虚勢も込めて声をかける。気が弱い者なら目を逸らしてそそくさと逃げ出す所だろうが、沖島は逃げる所か普通に返答してきた。
「クレープってあれ? 買って来ようか?」
「いっ――らねぇよ!」
 思わず頼みかけた自分とがっつり聞かれた上に気を遣われたことへの恥ずかしさから、頬にかっと熱が走る。
「そう? 分かった、じゃあね」
 あっさり納得し軽く手を振った沖島は、一度も振り返ることなくそこから去って行った。舌打ちしそれを見送ると、千秋は少しの間自己嫌悪に陥る。
(こんなの八つ当たりじゃねぇか、カッコ悪ぃ)
 ややあって、腹に渦巻いた嫌悪を吐き出すように深い息を吐き出すと、千秋は重い足取りで帰途についた。クレープへの意識は、今や忘却の彼方だ。

「なあこれ、一緒に食おうぜ」
 翌日、謝った方がいいかと頭を悩ませている千秋に満面の笑みで瑞樹が差し出したのは、小さなバスケットだった。
「何だよ?」
「へっへー、沖島先輩から貰ったんだー。友達と食べなって」
 沖島、という単語にぎくりと表情が固まるが、バスケットに意識が向いている友人はその変化に気付かない。そして気付かぬまま、バスケットの蓋を開ける。直後、千秋の視線もそこに釘付けとなってしまった。
「……クレープ……?」
「沖島先輩のお母さん料理上手なんだってさ。いっぱい作ったからって分けてくれた」
 うまそー、とにこにこしている瑞樹は少しも躊躇わずに2つ入っている内の一つをぱくつく。「美味そう」という予測の言葉はすぐに「美味い」という感想に変わった。ごくりと喉を鳴らし、千秋はそろりと残ったクレープに手を伸ばし、口に含む。最初に生クリームの甘さ。次にブルーベリーの酸味。触感からして、中の方にはまだまだ色々入っていそうだ。
 口の中の幸福をしっかりと感じながら、千秋は「謝ろう」という決意を不思議なほどあっさり決めるのだった。

                                了


あとがき

2016年の至都。さんのお誕生日用に書いたお話です。
今回はまたも勝手に出会い捏造してきました。影咲学園交遊録のキャラ同士で、至都。さん宅の千秋君とうちの陽介です。
千秋君は根はいい子なんだけど、外側がぶっきらぼうなタイプの子なので、多分恥ずかしいと思っていることに作中のように関わられるとつい乱暴な対応になってしまうイメージがあります。根はいい子なんだよ!(大事なことなので2回言った)
こんな所からちょっとずつ仲良くなっていってたら嬉しいなぁという妄想でした←


それではさっちゃん、お誕生日おめでとうございます!
(※このお話は至都。さんのみ保存・別所掲載可です)

2016/07/02