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「なー西さーん、もう帰んない? 俺いい加減疲れたんだけど……」
 木陰のベンチにどかりと座り、八重やえ U人いくとは天を仰いで息を吐き出す。彼の前では西さんこと西本にしもと 青雲せいうんがいつもより若干興奮気味の様子で立っていた。表情は変わっているように見えないのに、そう分かるくらいには親しくなっていたらしい。視線の先で青雲は両手の紙袋を持ち上げる。
「まだまだへばるのは早いぞイクトン、後ワンフロア残ってる」
 勘弁してよ、と再びため息が漏れ出た。
(はー、奢りに釣られて付き合うんじゃなかった……)
 それは先週のこと。人手が欲しいと青雲が声をかけてきたことから始まる。同時に声をかけられた柴引しばひき は用事があるからと断っていたが、U人は丁度暇だったのでOKしたのだ。見返りは当日の飲み代。しかし、この労働を飲み代で清算するには精神的に割に合わない気がした。
 今U人と青雲が訪れているのは巨大な古本市だ。出店数実に500店。本はもちろん、全国に情報が流れたらしく、来場客もとんでもない数が集まっている。
「ほれほれ、行くぞ八重さん」
 普段の彼からは考え付かないバイタリティを見せられ、「ホントに典型的なオタクだな……」とU人は苦笑した。U人の両手にはもちろん、青雲の両手にもすでに多くの本が持たれている。さすがに気を遣っているのか青雲の方が若干多いが。
「……西さんさぁ」
 足踏みする青雲に改めて声をかけると、青雲は「何?」とぴたりと動きを止めた。厚い眼鏡の奥から覗く双眸はやはりいつもより輝いている。
「はしゃぎすぎ。ちょっと落ち着きなって。倒れたらこのイベント自体に迷惑かかんじゃないの?」
 常識の範囲で注意を促しつつベンチの横を叩くと、青雲ははっとしたように顔に手を当てた。「俺としたことが」「素人のすることだぞ」「真夏の聖典より涼しいからと気を抜いた」。ぶつぶつと聞こえてくるよく分からない玄人発言はとりあえず無視をする。
 ややあって、納得した青雲はようやく素直にベンチに座った。やっと一息つける、とU人はバックからスポーツ飲料を取り出して口を付ける。喉を通る冷たさが心地よく、ペットボトルから口を離すと自然と息が漏れ出た。
 隣で同じように飲み物を呷っていた青雲もふぅと息をついている。
「なー西さん?」
「おう」
「西さん何でそんなに本好きなの?」
 彼が教師を勤め、U人が購買でバイトをしている影咲学園には、膨大な蔵書を誇る図書館がある。青雲はそこでよく本を借りているのだが、中々返さないため、ことあるごとに司書たちや図書委員たちに追い回されている。学園からすればある意味名物的な光景だ。
 U人も多少なりは本を読む人種だが、青雲は群を抜いていた。以前彼が月に読んでいる本の数を聞いて絶句した覚えがある。なお、何故教師の仕事+インドア系特化の多趣味なのに本を読む時間があるのか、という疑問には以前「速読マスターしている」というドヤ顔を返された。何でそれで延滞本が出るんだと別の疑問が浮かんだものだ。
「ん? 何でって、だって楽しいだろ、本読んでるの。物語も専門書も雑学書も、色んなもんが自分の中に入ってくる感覚って最高だと思うよ俺は」
 にっと歯を見せて笑う顔は言葉通り楽しげだ。「色んなものが入って来る感覚」とやらは、分かるような気もすれば分からないような気もする。ただこれだけは確かに分かった。
「あー、そうだね。『楽しい』ことは何度でもしたいよね」
 その点についてはU人だって同じだ。いや、どんな人でも同じだろう。だって「楽しい」のだから。それは当たり前だ。
「イクトンが言うとエローイ」
「あ、分かる? 俺ほら、西さんと違ってもてるから」
 茶化す青雲にU人も軽口で返す。「くそう、このイケメンめ」と言葉だけは悔しげな青雲も表情は笑ったままだ。
 そのままふたりはしばらくの間その場で会話を続け、「そろそろ行くか」という青雲のやる気に満ちた掛け声で再度日光の下に出た。
「うわ暑っつ、西さんマジ今日俺遠慮しないで飲むからね」
「おー、飲め飲め。ああそうだ、夜なら空いてるつってたし、柴引さんも誘うか」
「お、いいねー」
 今夜の飲み会を計画しながら、U人と青雲は再び混雑する人混みへと向かう。ようやくラストワンフロア。重さと傾きつつある太陽の熱に耐えながら、U人は徐々に前を行く楽しげな背中を追いかけた。


                                了


あとがき

2016年のシギノさんのお誕生日用に書いたお話です。
「影咲学園交遊録」のU人さん(恐らく本来は別作品あり)とうちの青雲です。残念ながら手が足らないので冊子には出してませんしサイトにもまだ出してませんが、出会い編は4コマ漫画でもう下書きしてるので一緒にお出かけ方面で!
U人さんは何だかんだ言って結局付き合ってくれそうなイメージがあります(´v`*)
この後柴引さん(べーたなさんのキャラ)も含めて楽しく飲んでくれるなら嬉しいなぁ♪


それではシギさん、お誕生日おめでとうございます!
(※このお話はシギノさんのみ保存・別所掲載可です)

2016/07/18