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 宮内に入ると、すれ違う者すれ違う者が揃って客人たちを迎えた。老若男女の差だけではなく、住んでいる世界がまるで違うような者も多くおり、今回の客人の中でも常識人に分類されるシャードは驚いた様子を隠せない。

「凄いな、異世界の混ざる場所だとは聞いてたけど」

 本当だったのか、と、信じていないわけではなかったが、実際に目にすると驚きが前面に出てきてしまう。

「そっすねー。俺も最初スズから話聞いた時は絵本作家か詐欺師か現世を旅立ったドリーマーにでも会ったのかと思いましたもん」

 頭の後ろで手を組みながら、レリーナは当時を思い出して苦笑した。それを見下ろしてからシャードは、ロナルドの隣でアルバを抱えて歩いているスズに目をやる。

 彼が蛙の少年(正確には蛙のフードを被った少年)と出会ったとレリーナに話したのは数週間前。再会したと話したのは1週間と数日前。この地・風吹く宮に誘われたのはその時だった。

 お友達もどうぞ、とのことだったので相方のレリーナと保護者としてシャードとカーシェがついてきたのだ。同じく付いてきたがっていたシャードの妹たちは今回は置いてきている。疑うばかりでは悪いかもしれないが、怪しさがなかったわけではなかったのだ。

 しかし、実際到着してみると気が抜けるほど緩い空気に満ちており、好意で誘ってくれたのがすぐに察せた。何よりも、ぼんやりしているように見えるが周囲の変化に敏感なカーシェが警戒を表していない。それがシャードとレリーナの印象を確かなものに変えている。

「あらロニー、アルバちゃん。そちらが話してたお客さん? お茶の準備出来てるわよ」

 招かれた先は季節の花に包まれた庭園だった。匂いの強い花はないらしく、どこからかふわりと芳香が漂う程度の上品な空気だ。そこに待っていたのは赤紫のウェーブがかった髪を後頭部で緩くまとめた女性で、彼女はロナルドたちを見ると明るく笑い一行を向かえる。スズに運ばれているアルバを見た時は少し驚いた顔をしていたが、スズが嫌そうな顔をしておらず、アルバが満足そうな笑顔なのでつっこまないことにしたようだ。

「はじめまして、ロナルドの姉のリーゼロッテ・アベーユです。どうぞリーゼと呼んでください」

 女性――リーゼロッテは来客ひとりひとりに手を差し出し握手を求めた。スズは戸惑いながら、レリーナはアルバにしたように紳士的に、カーシェはあまり表情を変えずに、シャードは笑顔を返しそれに応じる。

「さ。立ち話もなんですからどうぞこちらに――」

「おい、そいつらか? 例の客人ってのは?」

 席に招こうとリーゼロッテが体を半分返したところで、突然横から声がかけられた。リーゼロッテが心底嫌な顔を、ロナルドとアルバがぎくりと顔を強張らせる。いったい誰か、と来客たちは揃って声の主に視線を向けた。

 そこにいたのは青灰色の髪を後頭部の高い位置でまとめた青年。青を基調とする衣装の中、左耳に揺れる赤い宝石のついたピアスだけがどこか異質な輝きを放っている。笑顔を浮かべて近付いてくる青年に、カーシェのみがぴくりと僅かながら反応を見せた。

「う、うんそうだよ。これからお茶なの」

「ジーンさんも一緒にお喋りする?」

 お茶なの、お喋りする、という部分を特に強調する物言いは、まるで何かを懇願するような響を帯びており、流石に何かおかしいと思ったのかレリーナがスズに抱えあげられたままのアルバを目だけで見上げこそりと声をかける。

「(あー、アルバ嬢? この御仁は?)」

 問いかけが聞こえたアルバは口元に手をあて同じく密やかに答えを返す。その行動が内緒話をしていると相手に教えているのだが、可愛いからいいかとレリーナは男らしく納得した。

「(えっと、ジーンさんっていう人です。基本的には悪い人じゃないんですけど、ちょっとマイペースっていうか……独特で?)」

 何と説明したものか、とアルバが迷ったように言葉にしていると、近づいて来たジーンは来客たちを見やる。

「よぉ、ハジメマシテ。ジーン・T・アップルヤードだ。お前らの話はこいつらから聞いてるぜ」

 顎をしゃくったジーンが示したのは必死な顔のロナルドとアルバ。スズが素直にぺこりと頭を下げると、ほぼ前後する形で不愉快そうな顔をしているリーゼロッテが一歩前に出た。

「狂犬さんが一体何の用かしら? いつもの馬鹿な台詞言うつもりならその前に追い出すわよ」

 少し前に見せた朗らかな雰囲気を一変させ攻撃的な様子を見せるリーゼロッテにシャードとレリーナは戸惑った様子を見せる。しかし、本来その反応を返すべきジーンはただ笑うばかりだ。

「お前に追い出されるほど甘くも弱くもねぇよ。――つーことで」

 ぎらり、とジーンの目が光る。楽しげな青灰の獣の視線が捉えたのは――シャードだ。

「へっ!?」

 自身が視線の先にいると気づいたシャードはびくりと咄嗟に警戒態勢をとる。そして直後、レリーナとアルバを下ろしたスズも含め、臨戦態勢に変わった。

 ぞわりと背筋に走ったのは異常な寒気。ただただ楽しそうに笑っているはずの眼前の男が急に放ったのは、初対面の人間に向けるには異常なほどの闘気。

「俺と遊ぼうぜ」

 ジーンの口元が引き伸ばされ白い歯が覗く。シャードたちの頭には、つい今しがたリーゼロッテが彼を呼んだ「狂犬」という単語が頭に浮かんだ。

 「ちょっとっ」と強く諌める声と共にリーゼロッテがジーンに近付く。しかし、先んじたのは静かな声。

「ねぇ」

 短く紡がれた言葉。そのはずだったのだが、ジーンの視線は正面のシャードからその奥に隠れる形になっていた少女――カーシェに向けられた。視線が合うと、カーシェはやはり変わらない表情のまま、淡々と言葉を続ける。

「林檎君、でいいかしら? 私おなか空いてるから、絡むのやめてくれる?」

 気負わずに注がれる視線はいたって平静。思わずシャードが一歩下がったために真正面に来たカーシェの姿をしっかりと捉えて、ジーンは一度笑みを収めると、再び口の端を持ち上げた。

「名前は好きに呼べよ。食うの邪魔したのは悪かったな。じゃ、腹いっぱいになれば遊んでくれるか?」

 にやにやとしながらジーンが問いかければ、カーシェは軽く頷く。

「いいわ。それに――私の方が彼より強いしね」

 抑揚なく告げられた言葉に、シャードは反駁しない。事実、シャードよりもカーシェの方が強い。ジーンにもそれは伝わっているらしく、最早完全に視線はカーシェに注がれていた。

「んじゃとっとと食えよ。それとも向こうの森で熊か何か狩って来るか?」

 親指を立ててジーンが示したのは宮から離れた先にあるらしい森。背の低いレリーナやカーシェには完全に見えなかったが、シャードとスズには高い木の頂点が僅かに視界に映る。ロナルドとアルバの組み合わせを含め、それぞれが見えない側にジーンの言葉通り森があることを告げると、カーシェは初めて目を輝かせた。しかしその輝きは「無邪気な」というよりも、捕食者の眼差しと言った方が合っている。

「あら、じゃあ私も行くわ。大きい獲物が食べたかったのよ」

 ぐるぐると獣の手を回し、カーシェはやる気を見せた。ジーンは面白がるように歯を見せる。

「話が合いそうだなお前。あー、名前何つった?」

「カーシェよ。さ、行きましょうか。ちょっと行って来るわね。私の分のお茶とお菓子、残しておいてくれる?」

 スズ、レリーナ、アルバ、ロナルドをそれぞれ見てから、カーシェはリーゼロッテに窺うような視線を送った。リーゼロッテは少し面食らいながらも頷き、すぐに慌てた様子を見せる。

「まっ、待って待って。カーシェちゃんだったわよね? あの森本当に色々いるの。この馬鹿に付き合わなくていいのよ?」

 今ジーンたちが向かおうとしている森は、様々な施設や自然を内包する風吹く宮が保有する地のひとつである。しかし管理と言ってもあの森に関しては内部はほとんど手付かず。周囲に森の獣が出ないように工夫がされているだけだ。そんな場所に客人を向かわせるなんてとんでもない。リーゼロッテは本気で心配した様子を見せた。しかし、それを聞いたカーシェはむしろ一層のやる気を滲ませる。

「そう、それは楽しみだわ。やっぱり狩りは張り合いがないと」

 話を聞きそうにない雰囲気を出すカーシェを前にリーゼロッテは何と説得したものかと言葉を探す。その彼女の腕を、レリーナがぽんと叩いた。その表情はすでに諦めを浮かべている。

「リーゼ嬢、こうなったカーシェ姉さんはもう止まりません。この人本当に強いんで、許してやっちゃくれませんか? 大丈夫です、お兄さんも行くんで」

「自然に組み込まれたっ!?」

 仕方ないなカーシェは、とどこか他人事に構えていたシャードは唐突なレリーナの発言に衝撃を受けた様子を見せた。しかし、レリーナが返してきたのはむしろその反応への驚きである。

「え? いや普通行きますよね? 彼女が他の男と人気のない森に行くなんて言ったら」

 常識的に考えれば確かにその通りだ。カーシェの強さを把握しているシャードはそのことを失念していた自分に苦笑してカーシェを見やるが、全く気にしていない視線を返された。逆に反応を示したのはジーンだ。にやりと笑みを浮かべると、近くに来ていたカーシェの肩に手を回す。

「何だお前ら付き合ってんのか。じゃあお前も来いよ。そっちは名前何てった?」

 まるで来なければ手を出すぞと脅すような動作。シャードは破天荒な対応ばかり示すジーンに逆に力が抜けてしまった。そして同時に、彼は本気で対応するより適度に流した方が疲れないで相手が出来るタイプだと予想をつける。

「シャードだよ。よろしく。――あれ、そういえばレリーナ君たちは行かないの? 君らも確か休日熊狩りするって言ってなかったか?」

 ジーンに挨拶をしてから、シャードは思い出したようにレリーナを振り向いた。すると、今度は「おいおい」と言いたげな目で見られ、シャードは今度は何だと硬直する。

「……あのですねお兄さん、俺ら今日ロニー君たちと喋りに来たんです。――この顔見て同じこと言えます?」

 言下レリーナが一本立てた指を空に向けくるりと円を描いた。これ、と言って示されたのが周囲だと判断したシャードはその通りに周りを見回し、しまったと冷や汗をかく。

 視界に映ったのはおしゃべりの時間が減ってしまうことに気落ちしながらもそれを必死で隠そうとしているロナルドとアルバ、そして表情はあまり変わらないが雰囲気がしょんぼりとしてしまっているスズだった。

「あーうん! 何かお兄さん急激にいい所見せたくなったなぁ! レリーナ君たちはここでゆっくりお茶しててくれるかな? お土産たくさん取ってくるから!」

 だらだらと冷や汗を流しながら必死の弁明を叫ぶと、「さぁ行こうすぐ行こう今すぐ行こう」とシャードはジーンとカーシェを促し庭を後にした。

 それらを見送ってから、悪びれないレリーナは笑顔を残ったメンバーに向ける。

「じゃ、俺らはお茶にしましょうか」

 いいのかな、と不安そうな様子を残すものの、一同はそのまま用意されたお茶とお菓子でお茶会をはじめた。

 


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