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 ぴちゃん、と最後の一滴がジョウロから零れ落ちると、大事な人に「フローレン」と名を貰った子猫は満足そうに微笑む。かつての火事で焦土と化してしまった一帯は今少しずつ元の命溢れる大地へ戻ろうとしていた。このままもっと元気になってほしい。生まれつき声の出ないフローレンは詠唱を必要とする魔法が使えないため、どんな手間も全てこの手で行っている。だが、そんな苦労は構わない。その苦労の先がこの新しい木々と鮮やかな花たちなのだから。
 さぁ、今日の日課は終わった。今日はこれからどうしよう。幹がしっかりしている木に寄りかかり、フローレンは葉の隙間から覗く澄んだ青い空を見上げる。その耳に、不意に茂みを掻き分ける音が聞こえた。何だろうか、と少し顔を引きつらせてさっと立ち上がる。怖い人ではありませんように。そう願っていると、茂みの隙間から温かなオレンジ色の髪を高く結い上げ、水色のリボンでまとめている少女が現れた。身長はフローレンと同じほどだろうか。背中にはリュックを背負って動きやすい服装をしている。
「あー、やっぱり迷っちゃいましたねぇ。どこかに人いたりしませんかねー」
 茂みから完全に出ると少女は困ったように周囲を見回した。そして、対応に困っていたフローレンと目が合う。少女はぱっと笑顔を浮かべ体の向きを変えた。しかし、フローレンが胸の前で手を合わせびくりと体を跳ねさせると、踏み出そうとした足を戻し、その場に両膝をつき両手を顔の横まで上げる。
「驚かせてごめんなさい。私、風 好と申します。危害を加えるつもりはありません。ちょっと道に迷っちゃいまして、道を訊きたかっただけなんです」
 少女――好はにこりと人好きする笑みを浮かべた。言葉通り悪意は感じられず、フローレンはほっとした様子で体の強張りを取る。彼女に答えたいと思うが、その言葉は音にはなれない。困った顔で喉を指で軽く叩いて見せると、好は少し眉を寄せた。
「えっと、声が出ないんでしょうか?」
 好の問いかけに頷くと、では、と腰のポーチからメモ帳が取り出される。
「文字は大丈夫でしょうか?」
 代替案に、フローレンはほっとした表情で頷く。文字ならばかつて森の術医に教えて貰っていた。好が断りを入れてから立ち上がりそっと近付いてくる。差し出されたメモ帳にまず自己紹介を書き彼女に向けた。好はじっとそれを見て、一瞬間を置いてから「フローレンちゃんですね」と笑う。
 フローレンは次にここから森へ抜ける道を書こうとしたが、直前不安が生じた。もし同族たちがまた攻撃してきたら。それ以外の何かの問題があったら。考えた結果、メモとペンは好に返し、彼女の手を引く。何か伝えてからの方がよかったかと思ったが、好は「お願いしますね」と意図を読み取ってくれた。
 それから森を抜けるまではずっと好が喋ってくれ、フローレンはジェスチャーでそれに答え続ける。ついに森の端まで来ると、好はリュックを漁った。
「ありがとうございましたフローレンちゃん。これ、お礼です。どうぞ」
 渡されたのは白とオレンジのコサージュ。断る間も無く好はそれをフローレンの手に収める。そのまま手を振って去ろうとする好を引き止めると、フローレンは自身が唯一使える魔法で幻花を作り出し、好に渡した。
「うわぁ、ありがとうございます!」
 笑顔で受け取ると、好は「またいつかお会いしましょうね」と大きく手を振って今度こそ去って行く。それに手を振り返し、彼女の姿が見えなくなってからフローレンは元来た道を戻り始めた。胸に抱く造花は冷たいはずなのに、何故か生花のような温かさを、その心に与えてくれている。
                               了


あとがき

コミティア114のお土産として作成した話です。

対象者       : 椎ちゃん
お借りしたキャラ : フローレンちゃん

うちの好(スタッフ。看板娘)との交流話。

この回のティアでフローレンちゃんオンリー本が出ていたのでそのお祝いも込めて。好だったら仲良くなれるかなーという希望が籠もってます。


2015/11/16


2015/12/30 追記
椎ちゃんから挿絵をいただきました! 柔らかい空気感が素敵です♪