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第1話 「最高(さいあく)の再会」 2
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 木々がさざめく。光を十分に引き入れた明るい森の中、そのほぼ中央にある大きな湖。微風に煽あおられて小さな波音を立てるそれの岸辺に、十三・四歳ほどの一人の少女がまぶたを閉じて直立していた。その両手に握られ少女の体同様にまっすぐに立てられている鉄の棒が陽の光を反射して鈍い光を放っている。鉄の棒の空を向いている先端にはスペードの形をした刃が、地についている先端には角の丸まった長方体の重しがついていた。また、彼女の着ている上等な質の服にも、左胸の所にスペードの紋章が刺繍されている。
 その刃と紋章が、少女の地位を証明する。
 彼女の名前はティナ・レシィ。トランプ騎士団の隊長の一人『スペード』を担う者だ。
 トランプ騎士団とは、全ての国のために戦うがどの国の命令も聞く義務を負わない、大陸を分ける5つの大国の中央に拠を構える独立中立団体である。総隊長ジョーカーを頂点に、大隊長スペード、およびハート・ダイヤ・クラブの3隊長を含めた5隊長が指揮を執り、ジョーカー隊下五十二名、スペード他3隊下それぞれ十三名。計104名が団員として配属されている。そして、彼らの中でもとりわけ野心の強い者にとっての最終目的は、隊長の側近であるAエースの位。
 では何故隊長位でないのか。答えは至極簡単だ。隊長の位に就けるのは"ある条件"を満たした者だけ。とても簡素な条件は、しかし適う者でなければこの上なく難しいものへと変わる。そしてその条件を満たしたがために、ティナはこの騎士団に所属することを、選択肢を与えられることなく決められた。そのために、過去のすべてと切り離されることとなったのだ。
 そう、全てと――――。
「〜〜〜〜〜〜〜っああもうーーーーーっ!!」
 突然、それまで微動だにしなかったティナが大声を上げて鉄の棒を放り投げ、同様にその場に寝転んだ。物事がうまくいかずにすねる子供の表情が満面に広がっている。
「何で出来ないかなぁ? おじぃちゃんは出来てたのに……」
 ぶちぶちと手を伸ばした先にある草を乱暴にむしっていく。並行して紡がれるのは不満とも不安とも憤りとも取れる呟きの数々。しばらく続いたそれも、やがてやんだ。言っても仕方のないことだと判断したのだ。ごろんと仰向けになる。目をつぶると視界はまぶたの色が透けて赤く染まった。なんともなしに大きく息を吐く。するとそれの直後いきなり視界が暗くなった。何事かと緩々まぶたを持ち上げたティナの視界を埋めたのは、熊のような大男。しかしティナは怯えることなく大男に声をかける。
「何か用、アズハ?」
 鷹揚としたティナの問いに、大男――アズハはその前にと手にしていた鉄の棒の下端で彼女の頭を軽く小突いた。
「あた」
言うほど痛くはないが、一応ここは形式上の礼儀として、とでも言うかのように、ティナはまったく痛そうでない声で痛みを訴える。対するアズハも分かっているらしく構わずに口を開いた。
「武器はもっと大切に扱え。狼藤(ろうとう)は鵠風(こうふう)の次に重要なものだぞ。ほら、拾え」
 ティナが先ほど放り投げたスペードの刃のついた鉄の棒――狼藤を示すのは、彼の手の中にある、ハートの刃の付いた鉄の棒。ティナは気のない返事をしながらその指示に従い狼藤を軽々と拾い上げ、そのまま起き上がった。それでもなお高いところにあるアズハの顔を見るには首を大きく反らさなければならない。毎度疲れるその動作の途中、必ず目に入るのは彼の胸元のハートの紋章。この大男、名をアズハ・ヒルク。トランプ騎士団隊長の一人「ハート」を担っている。ティナとは真逆の貫禄ある壮年の男だ。ぱっと見親子ほど差のある二人だが、まとう空気には互いに同等であると周囲に示す何かがあった。
「――で、何の用? 今日の周辺警護は私の仕事じゃないよね」
 地面に強く押し付けた狼藤にもたれかかりながら問いかけると、アズハは眉を寄せて少し苦い顔をする。その行動に何かあると判断すると、ティナは普通に立ち直してアズハを見据えた。それを見てゆっくりと口を開くアズハ。しかし意外にも、その内容はあっさりとしたものだった。
「お前は確か弐の国出身だったな」
 何を今更と思わないでもなかったが、ティナは素直に頷く。
「――の、中のエルドラ村の」
 更に細かい質問。ティナはまた頷く。
「それと幼馴染がいたはずだな、男の」
 また外れた質問に、ティナもさすがにおかしな顔をした。
「アズハァ、それ結局何言いたいか分からないんだけど?」
 妙に大人びた動作で腰に手を当て遥か上方の顔を見上げると、アズハは小さく息を吐き出し、懐から紙を取り出した。眼前に突き出されたために焦点が合わなかったそれをよく見るために二、三歩後ずさる。そして、ティナは目を見開いた。驚愕に言葉を失った彼女に、アズハは目を伏せ、更に続ける。
「――――名をハイネル・ホーツと言ったな」
 アズハの声が、やけに耳に響く。
「来るぞ。五日後、森林調査団の一人として。騎士団領ここにに」
 ティナの目線は差し出された紙に貼られた写真の元でとまっている。そこにいるのは一人の青年。ティナの薄れ行く記憶の中、最も姿濃く残る人。過ぎ去りし日の面影を残す、幼馴染。

 吹いた一陣の風に揺られた木の葉のかすれる波音が、嫌になるほど耳の奥まで響き渡った。制服の胸の辺りで強く握り締めた手が、鼓動の中で震えてる。


 

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