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第5話 「消えた存在」 2
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 大きな背中が見えなくなるまで地面に寝そべっていたティナも次の予定を思い出しのろのろと起き上がった。すると、座ったままのイユに呼び止められる。

「四の国の先代の王様のこと知ってる?」

 随分唐突な質問ではあるが記憶に確かにある事柄なのでティナは素直に頷いた。

「知ってるよー。あの即位3日後に弑(しい)された太っちょで鉤鼻(かぎばな)の馬鹿王でしょ? 私戴冠式おじいちゃんと行ったもん。本人にも会ったしね」

 なんということでもないと言うように答えるティナ。しかし問うたイユの目が光る。ティナは気付いていないようだ。

「まぁ、直接? やぁねぇ。何もされなかったティナ?」

「へーきだったよ。対象外だったもん」

 その言葉に「そう」と返した時のイユの顔を注意深く見ていれば、ティナも気付いたことだろう。彼が、何か探っていることに。

「でもどうして?」

「調査団の人たちと話してて戴冠式にうちの人たち来てたって聞いたからちょっとね。ありがとティナ」

 にっこりと、男性にしておくにはもったいない艶やかな笑顔を返される。女のプライドにぐっさりナイフを刺されたティナはそれでも耐えて返礼すると、自分の団舎の方へと戻っていった。その背を見送るイユの双眸は不審に揺れている。それに気付かないエルマが寝転がりながらその袖を引いた。

「なあ、それいつの話? オレ全然記憶にねーんだけど」

 てかそんな奴いたの? そう問われ、イユは遠くを見つめて息を吐く。

「記憶にあるわけないでしょ。"12年前"の話よこれ。12年前って言ったらあんた6つでしょーが。それに、新旧どっちの世情史にも一行しか載ってないことよ。――あんまり馬鹿げてるから」

 12年前、四の国で起きたひとつの事件。その年即位した国王は若い頃から異常な性癖をしていた。しかしそれが広く明らかになったのは彼が即位してから。はじめて出された勅命に国中が驚愕したものだ。それまで立派な人物として名を上げていた王は、「王」となった瞬間に己の欲望をさらけ出した。そのあまりの醜態に四の国は急いで王を弑して現在四の国を治める王を立てたのだ。その愚王を、ティナが語れるほど記憶に残していることをイユは心底疑問に思っている。

 これは12年前の話。18歳のエルマが知らない話を、何故16歳のティナが知っているのだろうか。記憶力がいいのだといえばそれで納得できないこともないが、だとしてももうひとつの疑問がある。当時4歳のはずのティナが、"どうして王の目に留まらなかったのだろう"。

 愚かなる勅命を死をもって贖あがなわされた愚王。その勅命というのが、



「国中の10歳以下の少女を国王に献上すべし」



 という、馬鹿げたもの。

 王の異常性癖。それは、幼女にしか性欲を抱けぬこと。そして当時のティナはその対象となっていたはずだ。幼すぎたとは言えない。彼はあの命令を出した頃にわずか3歳だった弟の娘に乱暴して死なせている。いくらトランプ騎士団の保護下にいた少女とはいえ、何のアクションも起こしていないのはおかしい。忘れているだけというならそもそも王と会っていることを明瞭に覚えている事実がおかしいことになる。先代スペードが庇っていたとしても勘のよいあの娘ティナが気付かないはずがない。

(……これは、なんだかあたしの知識じゃ足りない裏がありそーね)

 まさかという気持ちで訊いた質問のせいで、イユの疑問はもしかしたらに姿を変える。最初に気にしたのはもちろんハイネルの話を聞いてから。次がここに来る前偶然会ったエルマが教えてくれた今朝の出来事を知って。ティナは決して簡単に人を嫌う娘ではない。それが初対面であの険悪ぶりはおかしい。それが疑問の一つ目。もうひとつは、エルマが言っていた「ティナのやつ変わらないよな」の一言。確かにそうなのだ。ティナは変わっていない。何故今までちゃんと考えなかったのかと自分に問いたくなるほど、まったく変化がない。3年間まったく、だ。髪や爪などはさすがに伸びたりしていたが「成長」は一切していない。

 思い至ると疑問はイユの心の中にしみこんで消えてくれなかった。ならば探ってみるべし、と、イユはこの話を的に出してみた。すると見事にティナは的の中央を射て見せる。当初の目的を果たす代わりに、その結果はイユに実体は定かではないが確かな疑問として陰を落とさせるのに十分な功績を挙げた。これは本格的に調べるべきだと決意して、イユは立ち上がる。







 野外稽古場を見下ろせる建物の窓から顔を出して、クレイドはクッと喉を鳴らす。

「やぁっとイユの奴も動き出したか。利口なあいつにしちゃ遅い行動だが……まぁ良しとするか。問題は――」

 クレイドは図書館のある団舎へと向かい歩き出したイユからまだ寝転がっている自分の後継者に視線を移す。のんきに両手足を伸ばしているエルマにこめかみがひくついていた。

「あの小僧か。このままじゃティナが理解し分かってもあいつだけ目覚めらんねーな」

 さてどうするか。窓枠に肘を付き手であごを支え、クレイドは先々を思案する。



 

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