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其の五              7      10  11

「おやめくだされっ、あれは、あれはかぐやでございます! 私どもの娘のかぐやでございます!!」
 悲痛な声を上げて翁が光典の腰にしがみついた。
「分かっております造麻呂殿。ですが、だからこそ剣を抜かねば我々が死ぬ。かぐやを殺そうなどとは欠片ほども思っておりません。しかし生き抜かねば、かぐやが元に戻った時に悲しむ。それでよろしいのか?」
 屋根の上に視線を向けながら、光典は語気を強めて尋ねる。口ごもる翁は、ゆるゆると光典を放し、顔を歪めて愛娘を見上げた。
 すると、まるで「茶番が終わるまでやっていたぞ」と言わんばかりに赫陽が奏でる曲を変える。それまでが押さえつけるようなものであったとすれば、これは攻撃を命じる強いもの。かぐやは一層激しい悲鳴をあげたかと思うと、糸が切れたように静かになった。地上人は絶望を、天人たちは高揚感を覚える。かぐやの正気が手放され、完全に赫陽の支配下に置かれたと、誰もがそう思ったからだ。
 一時目の光が失せさせ俯いていたかぐやがゆっくりと顔を上げる。その顔に浮かぶのは殺意と狂気。目に浮かぶ戦意は音の命じた通りであった。
 しかし、最初に動揺したのは命じたはずの赫陽だ。
「…………っ」
 笛を吹きながらも慌てた様子で後退る。その様子に気付いたその場にいた全員が異様な事態になりつつあることを察した。そしてその察しは、確かな形として現れる。
「――――――――――――ッッッ!!」
 天を仰いだかぐやが咆哮した。まるで巨大な獣が眼前にいるかのような錯覚を覚え、天人・地上人を問わず、悲鳴を上げる者が、足を竦ませる者が、気を失う者が、続出する。
「気が触れてしまったのか……!?」
 空気を振動させるのは果たして音だけか。一瞬にして周囲を包んだ強烈な感覚が肌をちりちりと焼くようだ。光典が少しだけ視線を反らせると、赫陽は何とかかぐやを抑えようとしているらしく、最初の音を繰り返していた。
 しかし今度こそ効果はない。かぐやは振り払うように拳を屋根に叩きつける。すると、まるで雷が落ちたかのような衝撃で屋根の一部が轟音を立てて崩れた。その威力は、下手な貴族の屋敷よりもよほどしっかりとした造りの翁の家でなければ全てが崩壊していただろうほど。雨あられのように落ちてくる瓦や木材などから逃れるように地上人たちは慌ててその場を離れる。屋根の上では天人たちも同様にかぐやから逃げ離れた。
 光典も翁を連れてそこから離れる。すると、ちょうど逃げた先に気を失って倒れていた羅快が落ちてきた。咄嗟の出来事に光典も翁も息を飲むが、落ちた衝撃で逆に目を覚ました羅快が体を起こすと反射のように身を硬くする。
 眼前に光典と翁を見つけた羅快も同様に驚きを表情に浮かべるが、周囲の騒ぎに気がつくとすぐに意識をそちらに向け、一層驚愕した。
「これは――!? 地上の御仁、いったい何があったか教えていただけるか?」
 地上の御仁=B唯一かぐやに敬意を表した武人は、同じように光典たちにも敬意を払って問いかけてくる。かぐやを道具扱いする憎き相手ではあるが、敬意には敬意で返すのが礼儀。光典は苦い顔で屋根の上を見上げた。視線の先では、かぐやが天人たちを追い回している。
「かぐやの弟だという男が笛を吹いた途端に苦しみだして、俺たちを攻撃するようにけしかけようとしたらこうなった。――月の武人殿、何か分かるなら何が起こったのか教えてくだされ」
 光典の説明に羅快は「だからお止めしたのに」と呟いた。それを聞き逃さなかった光典は真摯な視線で羅快を見据える。恐れも侮蔑も浮かべない双眸を見返すと、羅快は同じような目をしている翁にも視線を向けてから語りだした。




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