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其の五                  9  10  11

 その場にいる、誰もが驚愕し、言葉を無くす。
 翁・嫗を切り裂こうと振り上げたかぐやの手は、鈍い動きながらも確かに振り下ろされた。そしてそれは過たず老夫婦の命を刈り取るはずだった。
 しかし今、かぐやの腕は途中で止められている。止めた主は――刀を握った光典だ。かぐやの腕は返した光典の刀の背で受け止められていた。それだけでも十分すぎるほど人々を驚かせる。だが衝撃はまだ続いている。何故なら、普通の人間であるはずの光典から、満月の柔らかな光が放たれているのだから。
「あれは……赫夜の守りの術……?」
 笛から口を離して事態を見下ろす赫陽は、光典が発するそれが人々の口伝えでしか知らなかった姉の能力と同じであるように感じた。その理由を予想した赫陽は、「そんな馬鹿な」と誰にも聞こえないほど小さく呟く。予測した理由が、あまりにも信じがたかった。一方で、当の光典は何故自分がこんなことが出来るのかを何となく予想する。
 記憶の中でかぐやの声が再生されたかと思うと、体が自分のものとは思えないほど軽くなった。さらに、自ら意識するよりも遙かに早く光典の足は動き、文字通り疾風の如く一足飛びでかぐやの前に飛び込んでいた。その時になりようやく自意識が体に戻ったような感覚だった。だが、その時の光典は驚くほどに冷静であった。出来る、守れる、と理屈なく思ったのだ。
 不意の確信を実感にしたのはかぐやの腕を止めた時。自身から過日のかぐやと同じ光が放たれたのを見て。これが、羅快の問い――「姫様に何かされていないか」の、「何か」の答えのようだ。よくは分からないが、恐らくあの老人が使者としてきた日、彼女から託されたのだろう。このような事態を想定して。
 腕を止められたかぐやは警戒する獣のような唸り声を上げる。押してくる力が強くなり、光典の足が少しだけ地面にめりこんだ。痛みはないし、攻撃が通るのではという恐怖はない。しかし、同時に攻撃の術もない。どうしたらかぐやを止められるのかと頭を回転させる。
 すると、光典が答えを出すよりも先に背後で翁が立ち上がった。
「造麻呂殿」
「大丈夫です、光典殿。ありがとうございます」
 かぐやに傷付けられた腕は血に塗れており、とても大丈夫には見えない。だがその表情はとても落ち着いている。翁が歩き出すと、嫗もその背を追って歩き出した。その彼らから逃げるようにかぐやが飛び離れる。翁と嫗は光典の脇を通り、少しだけ離れた場所で警戒している、鬼の顔のまま自分たちを見つめる娘と対峙した。
 どうするのか、と光典のみならずその場にいる全員が彼らの動向を見つめる。その視線の中、老夫婦は柔らかく微笑んだ。
「懐かしいねぇかぐや。お前が私たちの元に来た最初の満月の日を思い出すよ」
 言葉通り懐かしそうな顔をし、翁が突然思い出話を始める。
「ええ本当に。あの時もかぐや、お前はこんな風に癇癪を起こしていたね」
 癇癪、などと可愛い言葉で表せるものなのだろう。すでに天人・地上人問わず多くの者が重軽傷を負って倒れていた。虫の息の者もいる。まだ死者が出ていないことが奇跡なほどだ。しかし羅快曰く、この奇跡こそかぐやの心が残っている証。その話を聞いていないはずの翁たちだが、恐らく無条件に確信しているのだろう。愛娘が戻ってきてくれる、ということを。
「だからね、あの時と同じことを言うよかぐや」
 翁・嫗がまた一歩近付き、かぐやとの距離はほんの僅かなものになる。かぐやが警戒して下がろうとするが、それよりも先に、左右から老夫婦が手を伸ばしてきた。逃げられるはずのそれから、かぐやは逃げない。そして瞬きほどの間に、二人の腕の中にかぐやは収まってしまう。
「何も怖がらなくていいんだよ、かぐや。ここはお前の家で、私たちはお前の家族だ」
「怖いものが来ても大丈夫。ちゃぁんと私たちが守ってあげますからね」
 頭を抱えるように抱き締め、左右から翁・嫗は娘に顔を寄せる。一瞬怯んだかぐやだが、そのぬくもりに安堵したのか、少しずつ体の強張りがほぐれていった。ずるずるとかぐやがその場に座り込むと、翁と嫗も膝立ちになり、なお彼女を抱き締め続ける。
 そして、不意に双眸から大粒の涙がこぼれ、かぐやの目が鬼それから人のそれへと変わった。何度もかぐやの名を呼ぶ優しい声が、鬼の力に押しのけられたかぐやを揺り起こしたのだ。




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