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其の一    2  

「離してくださいっ、離して!」
 通りの中央、汚れて破れた衣を身につけている少女が泣き叫んでいる。その少女の手を掴み逃がさないようにしているのは無精髭を生やしたいかにもな悪人面の男だ。誰かに説明を求めずとも、あの男が少女を襲っていることは一目瞭然である。
 しかし分かっていても彼女を助けようと進み出る者はいない。そして、そのことを責められる者も同じくいないだろう。今この通りを往来するのはほとんどがただの農民や賎民であり、彼らに義侠の心があったとしても、刀を帯びた男相手に迂闊に手を出せはしないだろう。
 ――そう、たった二陣の風を除けば。
「待てそこの男っ!」
「待ちやがれそこの野郎っ!」
 ふたつの怒声と共に、男と少女の前に、別々の場所からふたつの人影が躍り出した。奇しくも、同じく男と少女のふたりが。
 示し合わせた覚えはなくとも次の台詞はほぼ同時に飛び出したふたりから放たれる。
「そんなむさっくるしい顔引っ提げて女に言い寄ろうなんて百年早いっての!」
 とは飛び出した少年の格好をした少女から。
「顔もやり方もそんな低級で何釣ろうってんだこの木偶の坊が!」
 とは飛び出した男から。
 割り入った2人に驚き足を止め成り行きを見守っていた周囲から、ちらほらと押し殺した笑い声が聞こえてきた。大声で同じような内容で馬鹿にされた悪人面の男は、こめかみを震わせて怒りに顔を赤く染め上げる。その殺気立った目はすでに獲物を睨みつけていた。
 標的はふたつ。その内悪人面が目をつけたのは、自分よりはるかに背が低く線の細い少女の方だ。手を掴んでいた少女を放すと、刀を抜き猛烈な勢いで少年姿の少女に突進していく。
「このクソ坊主っ、なめた口利きやがってっ。ぶっ殺してやる!!」
 雄たけびのような怒声。その声に隠れて、逃げろ、と叫んでいる別の男の声を、少女――かぐやはしっかりと聞いていた。だが。
「心配無用だっての」
 唇に余裕の笑みを刻んで呟く言下に、地を蹴り、かぐやも男に向かって真正面に駆け出す。誰かが危ないと叫んで、誰かが悲鳴を上げた。しかしそんなものかぐやは意に介さない。残す距離十数歩となった時、かぐやは腰の刀にさっと手をかけた。
 大小の体が交差する。
 行き違うと、五歩程度の距離を開けて、ふたりは背中越しに立ち止まった。そして沈黙が走る中、不意にかぐやが動き出す。鞘に収められた刀をそのまま腰から外して男性に近付くと、その先で背を押した。すると、悪人面はなすがままに傾ぎ大きな音を立てて地面へと倒れる。周りにいた者たちはこの時になってようやく男が気絶していることに気が付いた。
 前に回った髪が払われ、光を受けて美しく輝く。
「弱すぎ」
 嘲笑とも取れる笑いを浮かべそう言い捨てると、かぐやは座り込んでしまっている少女に近付きその前に胡坐をかいて座った。
「大丈夫?」
 首を傾げて尋ねるかぐやに、少女は今まで以上に驚いた顔をする。その訳が分かっているかぐやは悪戯が成功して得意になっている子供のような顔でただ笑うだけ。
「あなた、女の子……?」
 信じられない、とでも言いたげな声に、かぐやは口元に指を当ててにっと歯を見せる。その無邪気な童のような人懐っこい笑顔に、少女もついつい笑みをこぼした。それに片目をつぶって見せてから、かぐやは表情を一変させた。
「ひとりでうろついてちゃ危ないじゃない」
 真摯に向けてくるかぐやの目にはいやに迫力があり、少女は直視出来ずに目を逸らしながら、でも、と呟く。
「私家族いないし、ひとりで色々やらないと――」
 言葉尻が切れたのは言いたくなかったからではない。明るい声に先を制されたからだ。
「じゃあ私の所来なよ。あんたみたいな子たくさんいるから、きっと居やすいよ」
 非常に軽い口ぶりの誘いに少女は目を見張ることしか出来ない。あまりに唐突過ぎて頭がついていかないのだ。
「え、駄目?」
 また首を傾げるかぐやに少女は慌てて首と手を振る。
「え、や、駄目じゃないよ。嬉しい。でも……大丈夫なの? そんなこと勝手に決めて……」
「平気だよ。お父様もお母様もお優しい方だし、今までも許してくれたもの」
 正確には納得させた、なのだが、その辺りは伏せておくことにする。
「私、婢として役に立つか分からないよ?」
「それも平気。だってあんたには私の身代わりやってもらうつもりだし」
 平然と笑顔で言われた物騒な言葉に少女は固まった笑顔で首を傾げる。それに、かぐやはからからと正反対に明るい笑みを投げかけた。



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