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其の一      3

「怖いことじゃないよ。私出かける時は身代わり置かないと出かけられないの。今までは身長が同じくらいの男の子にやらせてたんだけど大きくなってきちゃって。前に比べれば少なくなってはきたけど、未だに私のこと見に来る奴がいるからさ。あんまり体躯が違う子に任せられないんだよ。あんたなら私と身長近いし何より女の子だし。ね?」
 再び戻った悪童の笑みに、少女はただ苦笑するのみ。素性は知れないが、よほど高貴な家の娘なのかもしれない。
「なるほど、お忍びの若君……いや、姫君か。口調を聞くととてもじゃないがそんな風には見えないけどな」
 納得したような男の声が頭上から降ってくる。かぐやは素早く体を反転させ、少女を背に庇いつつ身構えた。だが、出会ったのはどこか面白がったように見下ろしてくる視線。敵意がないことを確信し、かぐやはふっと体の力を抜く。しかし面白がっている様子を隠さない男にかぐやも不愉快を隠さなかった。
「誰あんた」
 尋ねられて、今度は男がむっとした顔をする。よほど心外だったのだろう。何せ先ほど同じ行動を取ったばかりなのだから。
 そして、そのことにも男が機嫌を損ねかけているのにも気付いた少女は慌ててかぐやの袖を引く。
「あの、この人さっき私を助けようとしてくれたもうひとりの……」
 耳元でさっと呟かれ、かぐやはそうだったのかと頷いた。あの時は相手を叩きのめすことしか考えていなかったから、もうひとりの顔なんて見ても居なかったのだ。納得してかぐやは立ち上がり、それでもまだ高い男の顔を見上げた。
「獲物先に頂いちゃって悪かったね。かぐやだよ」
 先ほどまでの警戒を失せさせかぐやが名乗ると、男は軽く目を見開く。
「かぐや=c…?」
 男の目に疑惑の光が宿る。しかしかぐやは気付いてか気付かずか、そう、と何の戸惑いもなく返した。
「あんたは?」
「ん、ああ、俺は――」
「かぐや」
 名乗ろうとした男の声はしわがれた声に重なられて消える。かぐやはその声にぱっと顔を明るくし、その主を迎えた。
「お父様、丁度いい所に。この子、今日からうちで働かせて。いいでしょ?」
 少女の腕を掴んで立ち上がらせると、かぐやはその背を押し前に押し出す。翁は「またかい?」と言いながらも優しい笑顔をしている。そして、少女にもその笑みを向けると、子供にするように頭を撫でてやった。竹取で固く節くれだった手は、それでも温かく、少女は思わず涙ぐむ。家族が皆亡くなってからはじめて触れる優しさが嬉しかったのだ。
 そのやり取りを脇で見ていたかぐやは、父の了承を受けられたと知ってこの上なく満足そうに笑っている。すると。
「……造麻呂殿……?」
 驚きを孕んで男の口からこぼれたのは紛れもなく父である翁の名だった。かぐやは刀に手をかけて警戒を露にする。そんな娘を腕で止めてから、翁は柔和な物腰で返事をした。一瞬呆然とした男は、次いで皮肉気に片頬を上げて笑い、かぐやを見る。
「ということはお前が『なよ竹のかぐや姫』か。見目は麗しいが、乙女らしいというのは大嘘だな」
 口元に手を当てて男は喉を鳴らす。翁は嫌味を言われて気を悪くするのではないかとはらはらした様子を見せる。その懸念の先に居るのはもちろん嫌味の対象になっている愛娘だ。当の本人は笑顔だがいつの間にか手が完全に刀の柄を掴んでいる。彼女は世間が勝手に勘違いしてつけたこの想像図……いや、妄想図が腹立たしくて仕方ないのだ。
「――ああ、だけど」
 思い出したように、男は笑いを収めた。
「戦い方は正に竹≠セな」
 あの時、あの瞬間、かぐやは深く踏み込み男の懐に潜り込むと、刀の柄をその鳩尾に打ち込み、そのまま過ぎ去って行ったのだ。そのしなやかな体捌きを、この男は見逃さなかった。
 男の目が武芸者独特の光を帯びたことを認めたかぐやは、目を細め、表情を変えた。敵意は感じない。悪意も殺意も感じない。それでも得体の知れない相手であることは変わりない。
 ゆるりと走る緊張感。
「あんた、誰」
 静かに威圧を込めて繰り返された誰何に、男は先とは違う、明るい笑みを示した。
「菅野 光典(すがの みつのり)。あんたがこっぴどく振ったくらもちの皇子殿の従兄弟殿にお仕えする者だよ」
 これが、かぐやと光典の出会いであった。



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