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20,793文字(40*40:19P)

『千里の音』            5           


 

 昨日の今日ということもあり、六介はいつもの道ではなく昨日使った道を選んで井戸へと向かう。しかし、その選択は残念なことにあまりよいとは言えない結果を招いてしまった。

 思わず足を止めてしまったその視線の先にはいつも六介を苛めている子供たちの集団がいる。こちらには気付いていないようなので、六介はばれないようにそっと足を別方向へと向けた。

 だが、不意にその足が止まる。理由は単純なものだ。不穏な言葉が彼らから聞こえてきたから、という。

「なあなあ、今日は山に探検に行こうぜ」

「いいね、行こう行こう」

「楽しそう〜」

「なんか武器持ってこうよ武器」

 わいわいと楽しげに話す彼らに六介は慌てた。思い出したのは、もちろん昨日一太から聞いた話だ。

 

『今は神無月っていって、神様がみーんな出雲様に行ってるんだ。普段は山の魔物もおとなしくしてるけど、もきちぎ様がいない今は山に入る子供は魔物が食っちまう』

 

 六介は桶を放り出して少年たちに駆け寄り、彼らの中でも大将的な役割を持っている少年――――太助の袖を掴んだ。太助たちはいきなり出てきた人物に驚きを見せる。だが、それが六介だと分かるや否や総じて落ち着きを取り戻し、同時に不快そうな顔をした。

「何だよ呪われ六介じゃん」

「近付くなよ、俺らまで呪われるだろー」

「そうよ、太助ちゃんを放してよ」

 口々に文句を言う彼らの言葉に耐え、六介は強い目を太助に向ける。

「お山に、入っちゃ駄目」

 静かに、しかしはっきりと口にされた言葉に少年たちはぎょっとする。それはそうだろう。彼らは六介が喋れるとは思っていなかったのだから。六介は彼らが驚いている間に言葉を続けた。

「今は、もきちぎ様がお山にいないから、子供がお山に入ると魔物に食べられちゃうよ」

 一太への絶対の信頼。六介のそもそもの純粋さと信心深さ。そして何よりも昨日山へ入った時に感じたあの凍るような寒気。これらが揃ったがゆえの制止だった。いくら苛められていても、六介に彼らを放っておくことなど出来ない。

 心底からの心配を込めて忠告すると、太助たちは一瞬きょとんとし、ついで大笑いを始める。予想外の反応に六介は困惑した。

「ばっかじゃねーの。それはお前がもきちぎ様に嫌われてるからだよ」

「あたしたちはちゃんと言葉を伝えるから大丈夫だもの。いつもの仕返しをしようったってそうはいかないんだからね」

「みんなもう行こうぜ、こんな奴の言うこと聞く必要ないよ」

「うん、行こう行こう」

 あるいは舌を出し、あるいは嘲笑い、あるいは侮蔑し、彼らはそこから去っていってしまう。あの様子だと間違いなく山に入ってしまうだろう。だが、六介の言うことなどこれ以上聞いてはくれまい。

 俯き着物をぎゅうっと掴んだ六介は、ややあって手の力を緩め、重い足取りで歩き出した。心の奥に沈んでくる重い感情から、必死に目を背けながら。

 

 

 

 昼が過ぎ、天気は六介の予想通り大荒れに変わった。この調子では仕事にならぬと、雨や風が壁を叩きつけて騒がしい家の中にはいつもより早く家族が集合している。

「ひどい雨ねぇ。六の言う通り早くに洗濯物しまっておいて正解だったわ」

 山になっている洗濯物を下の兄弟たちとたたみながら五郷はしみじみと呟いた。隣で同じく洗濯物をたたんでいた六介は視線を下げながら頷くだけでそれに答える。

 そんな彼を一瞥し、五郷は他の兄弟たちと顔を見合わせて肩を竦めた。帰ってきてから様子がおかしい六介に家族はみんな気付いている。だが、どう訊いても誰が訊いても六介は何も答えようとしない。仕方なく、家族もそれ以上の追及を避けていた。

 ただひとり――――否、一匹、十九郎だけはしつこく腕やら足やらをつついているが、それにも反応はない。十九郎も諦めればよいものを意固地になっているのかひたすらしつこくつついている。

 だがさすがにつつかれた所が赤くなってくると一太も止めないわけに行かず、その小さな体に農作業で硬くなった大きな手をずいと伸ばした。十九郎がそれに掴まる直前、突然六介が弾かれたように顔を上げる。視線が向くのは外へと続く扉の方向で、皆の視線は気付いた順にそちらに向かった。

 すると、たいした間も空けずに扉が乱暴に開け放たれ、そこからずぶぬれの男が走り入って来る。

 最初警戒した父は、しかしそれが見慣れた姿であることに気付き緊張を解いた。

「何だ、与助じゃねぇか。どうしたこんな嵐の中に」

 入って来たのは父の友人である与助という男だ。与助は呼吸を整えることなく叫んだ。

(ひこ)兵衛(べえ)、手ぇさ貸せ! 村の子供らが何人か山行ったまんま戻って来てねぇんだ」

 与助の言葉に父のみならず家族全員が驚愕する。この嵐の中、子供たちだけが、この時期に山に入った。それは誰しもが言葉を失う事態だ。しかしその中ひとり、六介だけは驚愕の種類が違かった。

 父と兄たちと義兄たちが一言で答えて大雨の中を飛び出して行くと、母たちは不安そうな表情を揃え、家族を案じるような言葉を交し合う。

「子供って、誰だろう。ね、六――――六?」

 五郷も同様に不安げな表情をしながら六介に声をかける。しかし返事はなく、それどころか六介は真っ青な顔でふらりと立ち上がり、そのまま奥へとおぼつかない足取りで歩き出した。五郷が慌ててそれを追おうとすると、先んじた十九郎が後を追いかける。任せろ、というような一声を残され、五郷は少し迷った後に浮きかけた腰をまた床に下ろした。


2012/02/06




      






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