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20,793文字(40*40:19P)

『千里の音』                  8  


『ヒャ、ハ、ハハ、ドウシタ、トリ、タイマノチカラガ ヨワマッテルゾ』

 人のそれとは違う、耳障りなざらざらとした声で魔物が言葉を紡ぐ。それを受け、地面に転がっていた十九郎は憎憎しげに舌打ちをした。

「くそ、全然神通力回復してねぇし……っ!」

 使いすぎた、失敗した。そんな呟きに魔物はにたりと笑う。十九郎の意外な攻勢に怯んでいたが、これ以上がないなら恐怖などない。魔物は十九郎と距離を詰めると大きな手で押し潰そうとするように何度も腕を地面に叩きつける。それらをぎりぎりで避けるものの、十九郎は再度攻勢に出られずにいた。

 それをもどかしく見守っていた六介は、不意にはっとして空を見上げる。天空から飛来してくる、この耳をつんざく轟音。六介は思わず耳を塞ぎかけるが、それを堪えて腹の底から叫んだ。

「十九郎避けて、雷が落ちてくるっ」

 過去にも聞いたことがあるそれは、今の六介には拷問にも近い大音量で迫ってきていることが分かる。しかし人の言葉が天の落下物に勝てようはずがなく、それは過たず十九郎に直撃した。

「十九郎!」

 悲鳴にも似た六介の声に、十九郎を追い詰めることを楽しんでいた魔物はにやりと口の端を上げた。いくら退魔の力を持とうと、あの小さな体で雷の直撃を受けてただで済むはずがない。面倒な相手がいなくなったと判断し、魔物は六介たちに向き直る。

 だが、絶望に染まっているだろうと思っていた六介の表情は驚きに満ちているものの予想に反し平静で、しかしその眼差しはまっすぐに魔物に、いや、魔物の後ろに向いていた。

 まさか、と思うより早く、魔物はぞくりと身を冷やす。背後から急激に膨れ上がった、もっとも忌み嫌う清浄な気。慌てて振り向けば、今しがた雷が落ちた辺りに白いもやのようなものが立ち込めていた。

『安心しろよ六介、雨も風もこいつも、本体(・・)からの手助けだ』

 もやの向こうから聞こえてくる、微塵も負傷を感じさせない十九郎の声は、それどころか一層の自信と力強さを感じさせるものだった。言葉終わりと共にばさりと翼が開く音がする。あの小さなひよこが立てたとは思えぬほど勇壮なそれは六介でなくとも聞こえたらしく、魔物は震えながらじりじりと後ずさった。

 その気持ちが六介には分かる。逆の立場であれば、六介などとうに逃げ出していただろう。

 今、六介と魔物の目には同じものが映っている。それは風に流され薄れつつあるもやの向こうに悠然と翼を広げた巨大な影。ただの人間である六介にすら感じ取れる、偉大な清浄の気を放つそれに、悪鬼が恐れぬはずがない。

 翼が仰がれると一際強い風が吹く。それに引き連れられるようにもやは完全に霧散し、その奥から影の正体が現れた。

 この暗い世界でも清廉に輝くのは七色に輝くその御身。雨も風も平伏するかのようにその身を汚すことはせず、満ちていた魔性は恥じ入るように消えていく。広げられた翼は、まるで空のように雄大で、六介は思わずその姿に見入ってしまった。

 現れたのは七色に輝く羽に身を包まれた巨大な鳥。この地に住む者で、かの姿を見てこう言わぬ者はいないだろう。

「もきちぎ様――――!」

 言葉を愛し、言葉を伝える大鳥の神。雄大にして精彩、辺りを払わんばかりの威風はその選択肢以外を舌に乗せることを許さなかった。

 六介の言葉に十九郎はくちばしの端を少し歪める。笑ったのだと、六介はすぐに気付いた。

『そうだけどちょっと違うな。俺は確かにもきちぎだ。けど、その一部でしかない。本体のもきちぎが神無月の間この地を守るために置いていった分身。それが俺だ』

 ただ言葉が放たれるたびに辺りの空気が変わっていく。山を包んでいた瘴気が徐々に薄れていくのに連れ、周囲の温度が少しずつ暖かくなっていく気がした。表情が緩和していく六介とは真逆に、魔物は落ち着きなく辺りを見回している。もはや大仰に動くことも叶わぬほどその足は震え、一目で分かるほどに全身は恐怖に包まれていた。

 十九郎――――いや、もきちぎは六介から魔物に視線を移すと、先と比べ物にならないほどに厳しく、盛る炎のような目つきをする。

『この地に俺がいる限り、てめぇ等の好きにはさせねぇよ』

 言うが早いか、大きく翼を広げ喉を仰け反らせて天を仰ぐと、もきちぎの喉からは周囲を切り裂くような高い音が漏れ出た。その音に魔物はもがき苦しみ、胸を掻き毟るような動作をしたかと思うと、引き裂かれるような悶絶の叫びを上げ始める。やがてそれは断末魔へと代わり、魔物は煙を上げながら消滅してしまった。

 ほんの一瞬でしんと静まり返った中で、六介は膝を崩す。見上げた十九郎と目が合うと、その瞬間に六介の意識は手放された。

 

『――――ら、また会おうな、六介』

 

 夢か現か聞こえてきた声に、六介は小さく返事をする。

 

 行方不明になっていた子供たちが山と村の境で発見されたのは、それからすぐのことだった。雨が上がり闇夜にかかった虹を見て、「もきちぎ様のご加護だ」と誰かが呟く声がする。

 

 


2012/02/06




      






風吹く宮(http://kazezukumiya.kagechiyo.net/)