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20,793文字(40*40:19P)

『千里の音』                    9    


 

 あれから一月が経った。十九郎はあの日以来姿を消し、六介の生活はまた元の通りに戻る。変わったことといえば――――。

「おーい六介ー」

「どこ行くの? 一緒に遊ぼうよ」

 村の中央の道をひとり歩いていた六介を見つけ、太助たちが声をかけてくる。彼らにあの日の記憶はないらしいが、あの日以来少しずつ喋るようになった六介に彼らも徐々に気を許し、今では遊びに誘ってくれるようになった。

 六介はそんな彼らに申し訳なさそうに笑いかける。

「ありがとう、でもごめんね。おいら今日、もきちぎ様のお社にお参りに行くの」

 一太に訊いたら神無月はもう終わったと言っていた。そのため今日、六介はお社へ行く。会えないのは分かっている。だが、何度もお参りしていれば、いつか彼が答えてくれるかもしれない。そんなささやかな願いを抱いていた。

 六介は太助たちと別れを告げると胸にしまった黄色い羽を着物の上から押さえながら山へと入る。整えられた道を通って山を歩くと、以前感じた寒気とは無縁の、どこか暖かな空気を感じた。

 そうしてしばらく歩くと、山の上にもきちぎ様の本殿が見えてくる。赤、橙、黄、緑、青、藍、菫の七色で飾り付けられたそのお社を前に、六介はしばし見とれた。あの雨の日、六介たちを助けた神に相応しい場所だと、いまさらながらにそう考える。

「――――来たよ、十九郎」

 答える声がないと分かっていても六介は声をかけた。

 その時だ、お社の扉が勢いよく開き、何かと思う間もなく“何か”が六介に激突してくる。たまらず後ろに転がると、胸の上に“何か”が着地した。

「おせえ! 何してやがったんだ六介。神無月が終わったら会おうって言っただろうが。とっくに終わってんだろう」

 怒りを露にし六介の胸の上で何度も跳ねる小さな黄色の体。柄の悪い喋り方。六介は自身の目を疑ったが、疑いようがない。

「十九ろ――――」

『いい加減になさい』

「ぎゃっ」

 感涙し起き上がろうとした瞬間、十九郎が小さな雷に打たれて悲鳴をあげる。驚き思わず動きを止めてしまう六介に、お社の開いた扉の奥から優しい声がかけられた。

『騒がせましたね人の子よ。私の分身がお世話をかけました』

 あの日の十九郎に似た、しかしそれ以上に厚みがあり神聖な響きを持つ声音に、六介は自然と体を起こし跪いた。そうした後に六介は気付く。この声の主に。そうすると今度は緊張していっそう身を低くした六介に声の主はくすりと笑う。

『幼き“順風(じゅんぷう)()”は礼儀正しいですね。顔をお上げなさい六介。そなたに頼みたいことがあるのです』

 声の主に言われるも六介は中々顔を上げない。仕方なく十九郎が頭突きをするように六介の頭を上げさせる。乱暴なやり方に声の主は呆れたようだが、そのまま話を続けた。

『私の名はもきちぎ。百を聞き、千を聞く神、百聞千聞(もきちぎ)。そなたが十九郎と呼ぶその者は、私の分身。いずれは個として私と同じ神となる存在です』

 声の主――――真の百聞千聞の言葉に六介は思わず十九郎を見下ろす。十九郎は視線に気付くと胸を張り誇らしげな様子を見せた。

『……ですが』

 百聞千聞はため息を漏らしそうな声で続ける。

『その者は神となるにはせっかちで感情が強すぎる。そのくせ、力ばかりはついてゆく。今回もそなたが明確に正体を理解する前にばらしてしまうし、そもそも騒ぎの前に山で無為な魔物狩りなどしているから肝心な時に力が足らなくなって……』

 今度こそ百聞千聞はため息をついた。十九郎が六介の陰に隠れながら文句を言うが、お社の奥から睨まれると言葉を飲み込む。そんなやり取りに圧倒されていると、百聞千聞は口調を少し柔らかくした。

『そこで、そなたにはその者の教育係となって欲しいのです。大変かもしれませんが、頼まれてくれますね?』

 優しいが、断固とした意志が覗く言葉に六介は戸惑う。十九郎と一緒にいられるのは嬉しい。だが、教育係、という(くだり)に戸惑わずにはいられなかった。

「も、もきちぎ様。でも、どうしておいらが? おいら、ただの子供で、字も読めないし強くもないし、本当に何にも凄いことなんて出来ないのに――――」

 恐る恐る尋ねると、百聞千聞はまたくすりと笑う。

『いいえ、そなただからこそ出来るのです、幼き順風耳よ。私たちは言葉を聞く神。同じく千里の言葉を逃さぬその耳は、我らと同等の能力を持ちえる』

 お社の向こうで翼が動いた音がすると、さらりと風が吹き、耳を撫でられた。それは以前夢で大きな鳥――――恐らく十九郎――――につつかれた方の耳。

『順風耳とは千里眼の対の才。見ずしてあらゆることを聞き知ることの出来る者のこと。まだ完全ではないですが、その力が完全に目覚めればその者にとってもよい手本となるでしょう。それに』

 ぎろり、と百聞千聞はお社の中から十九郎を睨みつける。

『そなたは、その者と比べ物にならぬほどに良識ある者ですから、常識を教えてくれると信じていますよ』

 六介に、というよりも十九郎に対する釘刺しだろう。六介は存外人らしさを内包する守り神に思わず笑いをこぼした。

「おいらに、おいらに出来ることがあるなら頑張ります。もきちぎ様、十九郎を、うちに連れて行ってもいいですか?」

 問うと、百聞千聞は柔らかい風とともに肯定を返してくる。ぱっと笑顔を咲かせて十九郎に顔を向けると、十九郎もまた、同じように楽しげな顔をした。

『ただしそなたの力はしばらく封印しますよ私――――いえ、十九郎』

 言下に突風が吹く。思わず目をつぶった六介の横で、十九郎が悲鳴に似た声を上げた。

「あああああ、神通力ほとんど持ってきやがったな!」

『そなたが良識を持つまで私が預かります。順風耳にたっぷり常識を教えてもらってきなさい。さあ順風耳よ、お帰りなさい。またいつでもおいでなさい。歓迎しましょう』

 お社の中で翼を仰ぐ音がすると、また風が吹く。それは六介を立ち上がらせるどころかふわりと持ち上げ、今しがた登ってきたばかりの道を滑るように押し返していく。

「ちくしょぉ、覚えてろよ本体いいい!」

 同じように風に乗せられている十九郎が小さな体を振り回しながら悪態をついた。六介はその彼に手を伸ばし、小さな体を胸に抱く。何だ、と十九郎が問う前に、六介は彼の額に顔を寄せて頬ずりした。

「お帰り十九郎。またよろしくね」

 そう言って笑いながら涙を流す六介に、十九郎はひとつ息を吐き、同じように額を彼に摺り寄せる。

「おう、よろしくな六介」

 久しぶりの再会を喜びながら、彼らは風に吹かれて山を下っていった。

 

 


2012/02/06





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