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スペードの狂犬と爆弾娘
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 スペード領の修練場はいつも数人は人の姿があるが、現在そこにいるのはただふたり。そしてその場に響くのは剣撃の音と、泣き声に似た悲鳴であった。

「ひっ」

 遠慮なく振り下ろされた剣をミツヒは薙刀を横にして受け止める。咄嗟の行動であったために手が痺れたが、身を震え上がらせる理由はそんな些細なことではない。

「……おいミツヒ、誰が手ぇ抜けって言った? あ?」

「ふえええ、そ、そんなこと言われましてもぉぉぉ」

 薙刀と剣が押し合う向こうから寄こされるのは剣呑な眼差し。彼が呼ばれる“狂犬”というあだ名が真実だとミツヒが思うのは特にこういう時だ。

 兵士として戦場で刃を振るうことの多かったミツヒは、相手の力量や殺気で怯えることは滅多にない。まったく恐怖しないというのは話が違うが、それに耐えうるだけの経験は積んでいる。

 にもかかわらず今ジーンに怯えているのは、彼が放ち肌をぴりぴりと焼くようなこの“気”が殺気ではなく純然な怒気であるためだ。殺すためにかかってきているわけではなく、ただただ不機嫌をそのままに暴れているだけ。そんな人物に戦場の時のような感情が起きるわけもなく、こうして中途半端に相手をするしかない。

 それがまた彼の不機嫌を誘っていると分かっていても、そもそもの性格が気弱なミツヒにそんな器用な真似が出来るはずもなく、こうして怒気に当てられながら剣を受けていくしかなかった。

 一方、珍しく粗雑に剣を振り回すジーンは納まらない不機嫌に終始厳しい表情を浮かべている。ルゥの期待はずれな言動にイラつきながら戻ってきて、偶然見つけたミツヒを攫って相手をさせて今に至るのだが、本気を出さないミツヒにさらに不満が溜まっていた。

 もうこうなったらフィーリアや生物兵器たちでも襲いに行くか。そんなことを考え出したその時、背後から何かが近付く気配を、そして肌を刺すような殺気を感じたジーンは振り上げていた剣を背中に回した。

 そうした瞬間訪れたのは想像以上に重い一撃。剣を取り落とすほどではないがまるで遠慮がない攻撃にその口の両端は一瞬にして持ち上がる。あからさまに狂気的なのではなく、どこまでもどこまでも、ただ楽しんでいるだけの笑み。ミツヒはいっそ見るからに恐ろしい笑顔の方がまだマシだとぞくりと背筋を冷やし、そして襲撃者に少し焦って声をかけた。

「ルゥさん! いけません。やめてください。私なら大丈夫ですから」

 ルゥ、という名に、ジーンは受けていた剣を押し返して振り返る。そして視線に襲撃者の姿を映せば、そこには確かに数時間前会ったばかりのルゥがいた。しかしその表情は先ほどとは180度違い、双眸を燃やすのも好意的な感情ではなくもっと攻撃的なそれ。まるで別人のような彼女にジーンは静かに笑う。

(ああ、これだ。“こいつ”に会いに行ったんだ)

 元は鋏らしい双剣を手にしたルゥはジーンを睨みつけたまま構えを解こうとしない。

「嫌ですよミッチー。こいつ今ミッチーのこと本気で襲ってたです。どこのイケメンだか知らないですけど、ミッチーを傷付ける悪い奴ならルゥはどんな強い奴が相手でも容赦しないです」

 ルゥとフィーリアが仲が良いように、ルゥとミツヒも仲が良い。友情による義憤に燃えるルゥをありがたいと思いつつも、彼女が様々な誤解に取り付かれていることに焦ったミツヒはさらに言葉を重ねて説得を試みようとする。だが、それをジーンが止めた。

「(水差すなミツヒ。折角楽しく遊べそうなんだからよ。心配すんな、怪我はさせねー。……多分)」

「(多分じゃ駄目ですよおお! ジーンさん面白がりだけど悪い人じゃないし、今だって別に本気じゃないじゃないですか。それに何より、彼女も騎士団ですけど一般農民ですからね? と言いますか女性相手にそんな……!)」

「(面白けりゃ女だからとか俺は気にしねーから)」

「(気にしてくださいよぉぉぉ)」

 小声のやり取りをする間もジーンにぬかりはなかった。さりげなく切っ先をミツヒに向け、傍から見るとまるでミツヒを脅しているような様子を作り上げている。そこにミツヒの焦りの表情が付け加えられれば、声の聞こえぬ位置にいるルゥにはもはやジーンはただの悪党でしかなかった。

「お前っ、ミッチーから離れるですよ!」

 怒号が飛ぶや否やルゥは再度踏み込み、ジーンに向かって突撃してくる。踏み込みはそれほど深くないが、勢いはある。ジーンはミツヒを軽く押して下がらせると、それを真正面から受け止めた。力、というより勢いと体重が乗った切り込みには遠慮というものがなく、二刀から繰り出される連撃もまた容赦がない。

 それが面白く、ジーンの表情はどんどん明るくなっていく。しばらくの間剣撃の音が続くと、ジーンの笑顔と技倆に攻めあぐねたルゥが一度引き下がった。だがその瞬間、今度はいつの間にか剣を鞘にしまっていたジーンが近付き一足飛びに彼女の懐に飛び込む。間近に迫ったジーンにぎょっとしたルゥはさらに下がろうとするが、その瞬間に肩を掴まれて動きを止められてしまった。足掻こうとする前に、もう片方の手が迫ってくる。

 やられる、ルゥはぎゅっと目をつぶった。だが、次の瞬間訪れたのは痛みでも衝撃でもなく、髪をガシガシとかき混ぜられるという奇妙な事態。

「……へ?」

 ぽかんとして目を開けると、自宅で見たようなつまらなそうな表情でも、先ほどまでの寒気のするほど楽しそうな笑みでもない、純粋に明るい笑顔が視界に飛び込んでくる。

「何だ何だ、お前強いんじゃねぇかよ。ったく出し惜しみすんなっての。ああ、俺はジーン・T・アップルヤードだ。よろしくなルゥ」

「は? え?」

「立ち話も何だな。遊んでくれた礼に飯連れてってやるよ。おいミツヒ、お前も来い。飯行くぞ」

「わ、私もいいんですか?」

「お前はむしろたかるぐらいで来い。もっと食え」

 突然人が変わったかのような明るく人懐っこい様子を見せるジーンにルゥは戸惑った様子を見せる。そして何より、ジーンとミツヒが仲良く喋っていることに驚きを隠せないようだった。

「え、え? み、ミッチー? あの、この人知り合いなんですか?」

 事態についていけないらしいルゥはジーンの手から逃れるとミツヒの影に隠れるようにその身を移動させた。ミツヒはそんな彼女に微笑を浮かべ、安心させるように肩を叩く。

「はい。破天荒な人ですけど、悪い人じゃありませんよ。私もよくご飯奢ってもらってます」

「だ、だって襲って……?」

「あれはこの人なりの“遊び”のようです」

 少し困ったような表情を浮かべるものの本気で困惑するほどのものではないようだ。ミツヒの表情を見てそう判断したルゥは、しかしその瞬間顔を赤くした。

「えええええっ、じゃあルゥただの勘違いですか? もおおお、言ってくださいよミッチーの馬鹿ぁぁ」

「そ、そんなこと言ったってルゥさん聞かなかったじゃないですか」

「そうですけどぉぉぉぉ」

 恥ずかしさに悶えるルゥに、隣で見ていたジーンは大笑する。その様子にまた赤くなるルゥだが、それにこらえて何とか笑った。

「え、えへへ、ごめんなさいですよジーンさん。僕、ルゥ・パンプキンです。改めてよろしくですよ」

 小さな手が差し出される。気付いたジーンはふっと笑ってその手を取った。

 これが、スペードの狂犬ジーンと爆弾娘ルゥの出会いである。

 



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