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 服飾室に着いた途端、マリアンヌは目を輝かせた。想像よりも広い部屋には所狭しと作業台や裁縫道具、各種の生地などの素材が置かれている。壁際には長いハンガーラックが備え付けられ、そこには一目では数え切れないほどの服が提げられていた。ミシンの音をBGMに行き交う老若男女のスタッフたちも皆笑顔で、現場の雰囲気はとても良い。
「ひゃーー、テンション上がっちゃーう! ねぇ中入っていい中見ていい?」
「はいはいちょっと待っててくださいねー。あ、すみませんキャロラインさん呼んでくださーい」
 ハーティが近くを通りかかった女性に声をかけると、女性は返事をして奥へと向かった。ややあって、女性が消えたパーティションの向こうから茶色の長い髪を後頭部でお団子にした女性が現れる。こちらに向かってくるお団子の女性を、客人たちは自然と観察した。
 年の頃は30代半ばから後半ほどだろうか。中央から右側の前髪は右に流され、左側の前髪は三つ編みにしてピンで留められている。リムレスノーフレームの眼鏡の下の双眸は赤茶色をしており、顔には穏やかそうな表情が浮かんでいた。着ている服は上下とも「作業着」と言えるほどシンプルで、腰には作業用ウエストバッグが提げられている。中からはハサミやメジャーなどが覗き見えた。
「いらっしゃいハーティ。エイラちゃんとケイティちゃんとユアちゃんも。……えーと、そちらは新しい子達? それともお客さん?」
 一同の前まで来ると、女性は立ち止まり顔見知りに挨拶を交わす。それから、見慣れぬマリアンヌ・エイミー・リーナに順に視線を向けた。好意的な視線に3人は笑顔を返し、彼女たちの紹介はハーティが行う。
「お客さんでーす。こちらから、マリアンヌ・ロダーさん、エイミー・ウィルソンさん、リーナ・ベルモンドさんです」
「ああ、お客さんの方ね。私はキャロライン・エイデン。この服飾室の室長です。ようこそ風吹く宮へ」
 この宮のお決まりの台詞らしい歓迎の台詞を唱えると、女性ことキャロラインは「それで」と話題を変えた。
「どうしてここに? 他の見学場所なんていくらでもあるでしょうに」
 顎に手を当て言葉通り不思議そうな顔をするキャロライン。その質問に勢い込んで答えたのはマリアンヌだ。
「あたしがリクエストしました! あの、あたしも服作るの好きで、一応個人ブランドも持ってるんです。だからここの服飾室にも凄く興味あって! もうあそこのラバティン・カラーのワンピースとかキャバリア・ブラウスとか目が奪われすぎちゃって落ち着かないです!」
 拳を握って熱気を放つマリアンヌだが、相対するキャロラインは引くこともなくぱぁっと笑顔を咲かせる。それどころか、握られたマリアンヌの拳を両手で包み込んだ。
「そうなの! 服が好きなのね! いいわ、好きに見ていってちょうだい……いいえ、私が案内するわ。ほら、まずはトップスエリアからよ!」
「きゃー、キャロラインさん素敵―!」
 まるで民衆を率いる指導者のような動作でキャロラインが歩き出すと、同じテンションのマリアンヌがそれに続く。さらにその後を、「あたしも行くー」とスケッチブックを構えたエイラがさらに続いた。エイミーとリーナは興味がなかったわけではないのだが、マリアンヌが増えたようなテンションの渦に飛び込む勇気が出ない間に置いて行かれてしまう。客人を放り出すわけにもいかないのと、あのテンションにそもそも飛び込む気がないのでケイティとユアはこの場に残っていた。
「あー、すみませーん。キャロラインさん服大好きすぎちゃって、ちょっと話振っただけでも物凄い勢いで話し出すんですよ。マリアンヌさんはちょっとどころじゃないくらい話合いそうだから抑え効かなかったんですかねー」
 そう謝罪と説明をしてきたのは同じく残っているハーティだ。――ハーティのはずだ。エイミーとリーナは少し驚いた調子で声の主を見やる。視線の先にはやはり声の通りにハーティがいるが、浮かべている表情はこれまでと180度違うものだった。それは、年相応の明るく朗らかで、楽しげなもの。エイミーたちが聞いた声もこの表情によく合うものだった。呆れを口にしつつも、内包されているのは親しみだ、と分かるくらいに。
 キャロラインたちを目で追っていたハーティは、視線を戻してようやく自分に向けられる視線に気付く。驚きをそのまま目と表情に写している客人たちに、ハーティは思わずといった調子で視線を落とした。表情は恥ずかしげなそれへと変わっている。噴き出したのはケイティとユアだ。
「ふふふふ、ハーティちゃんはですね、キャロラインさん大好きなんですよ」
「キャロラインさんって否定しない人だからやりやすいみたいだよ。あとやっぱり服好きだからねー」
「ふたりともうるさいです! いいんですよそんなことは言わなくて」
 からかう色を強くする住人ふたりにハーティがむきになって反論した。ようやく年相応な可愛らしさが見えた彼女を見て、エイミーは眉を八の字にして微笑み、リーナふふふと軽やかな声をこぼす。
「キャロラインさん明るくてお話しやすそうな方でしたもんね。それに、服も、本当に素敵です」
 視線を巡らせてあちこちに飾られている服を見やっていると、住人たちに噛み付いていたハーティが笑顔で振り向いた。
「でしょう? よければこちら来てください。服の貸し出しスペースあるんです」
 さあさあ、と急かすようにハーティが歩き出す。貸し出し、という単語に今はトップスコーナーではしゃいでいるマリアンヌの趣味を思い出すエイミーたちだったが、一般的な範囲ではおしゃれを好む身としては気になる限りだ。ウィンドウショッピングの心持ちで見る分にはいいかもしれない、と素直にその背後に続いた。更に背後からはケイティとユアがついてくる。
 少し歩いた先の壁際にある扉をくぐると、そちらは作業が行われている部屋の5分の1もないほどの大きさだった。とはいえ、服屋然と並んだ服類や男女で分かれている着衣スペース、そして通路があっても煩雑とした様子は見られない。作業場が広すぎるせいで、こちらが狭く感じているだけなのだろう。
「あれ、ハーティちゃんたちだ」
 貸し出し室の先客の女性――少女がはたと気付いて視線をよこしてくる。茶髪の髪を首元で揺らす彼女は背が高く、彼女の言葉でラックの横から顔を出したツインテールの少女との身長差は2、30センチはありそうだった。
 ハーティは背の高い少女が市村いちむら 陽菜乃ひなの、ツインテールの少女が加賀見かがみ 卯月うづきという名であると紹介する。同じく、少女たちにエイミーたちを紹介した。
「はじめて見るなーと思ったら新しい人たちじゃなくてお客さんだったんですね。いらっしゃいませ、ようこそ風吹く宮へ。……こっちにお客さん連れてくるの珍しいね?」
 笑顔で出迎えてから、卯月がこてんと首を傾げる。ケイティがざっくりとここに来る経緯を話すと、卯月はなるほど、と頷いた。
「ここって住民の人たちの世界観に合わせて色々な服あるから、見るだけでも楽しいもんね。ボクたちも衣装の参考によく来るんですよ。あ、ボクとうーちゃん……卯月ちゃんは元の世界では演劇部で」
 演劇、とエイミーとリーナの声が揃う。
「わぁ、役者さんなんですね。私観劇はしますけど、役者の方に直接お会いするの初めてです」
「あ、あ、ごめんなさい。部活なんでそんな感動していただくような役者では……!」
「でも凄いですね。舞台の上で人前で、なんて私にはとても……」
 目を逸らしエイミーは軽く苦い笑顔を浮かべた。アガリ症、まではいかないが、そこまで大胆に行動出来る胆力はない。――あれば良かったのに、と思うようになったのは軍属になってからだろうか。軍属になった当初教官役として出会った「あの人」に、何も言えないまま何年経ってしまっただろう。
 はぁ、と悩ましげに溜め息をつくエイミー。その姿を見て、陽菜乃は何かに気付いた様子を見せた。もしかして、という思いから思わず口に出して尋ねてしまいたくなる。だが、自分が逆の立場ならこんな大勢の前で指摘されたくはない。自分がされて嫌なことは人にしない、子供の頃からの教えに従い陽菜乃は出かけた言葉を飲み込んだ。
「あ、あのお洋服可愛い……」
 ぽそりとリーナが呟く。腕の中のラプルゥが「ラプゥ?」と聞き返すように鳴くと、自分が声に出していたことに気付いたリーナは「あ」と恥ずかしげに口元に手を当てた。バランスが崩れて落とされたラプルゥは、猫にあるまじき両足着地に両手を上へという直立姿勢で見事な着地を遂げる。
「え、どれですか? 良ければ着てみます?」
 どこか浮ついた様子でずいとハーティが近付くと、リーナはおそるおそる、しかしどこか期待した目で該当の服を指差した。
「あそこの、薄黄緑のシフォンスカートが可愛いなぁって」
「いいセンスですねリーナさん! 着てみましょう着てみましょう。あ、トップス何合わせます? リーナさんふわふわ可愛いイメージあるからフリル系合いそーですよねー」
 リーナの背中を押し、道すがらに該当のスカートを手にしたハーティは気合を入れて歩き出す。仕事中とは打って変わった明るさと素直さを見せるハーティに、リーナも最初の戸惑いを忘れたような笑顔になって素直にそれに従った。
「えーと」
 残されたエイミーとケイティ、陽菜乃、卯月は顔を見合わせる。もうひとりと一匹は「女の子が着替えるならユアはこっちで待ってるねー」と早々にベンチの方へと向かっていた。
「とりあえず、見て回ります?」
 ケイティが笑顔で誘いかけると、エイミーはやや疲れた笑顔でそれに応じる。慣れたと思ったけれど、マリアンヌもリーナも慣れたどころではない。その差はエイミーに疲労を感じさせるのに十分すぎるほど効果を出していた。