女性たちが人混みに消えた後、ルイスは大きく溜め息を吐く。褒めたくないわけではないのだが、保身のためにも許してほしい。自身が言葉にしたとおり、セクハラで更迭だけはさすがに避けたい事案なのだ。
「帰るまでに機嫌直ってくれているといいけど……」
ぽつりと呟くと、聞こえていたロドリグは苦笑を浮かべた。
「きっと大丈夫ですよ。今はお洒落していて気分が高揚してしまっているから、少々強めの言葉だったかもしれませんが、落ち着けば分かってくれます。それより何か食べましょう。おなかが膨れれば嫌な考えもなくなりますよ。ほら、これなんて美味しそうですよ」
近くのテーブルに出されていた、複数の小皿にそれぞれ盛られている茶色い半透明のゼリー状の物に包まれている肉料理を2つ取ると、その内のひとつをルイスに渡す。受け取ったものの口に運ばないルイスを促すべく、ロドリグはまず自ら食べ始めた。
「うん、美味しいで――!」
笑顔で褒め称えたかと思いきや、突然ロドリグは雷に打たれたかのように動きを止める。衝撃を受けて真顔でぷるぷる震えているその異様な光景は、消沈していたルイスですら気に留めずにはいられないほどだった。
「エ、エリオットさん……?」
恐る恐る声をかけるが、ロドリグはルイスの声が聞こえていないかのように手元に残ったもう一口分を口に含み、今度はゆっくりと租借する。
「――なんて完成度ですか、これは――!」
震える声で呟くと、双眸が感動で輝きだした。
「口に入れる前から芳しいとは思っていましたが、噛んだ瞬間に広がる芳醇な香りは別格です。舌触りもよく、歯を軽く押し返すような弾力も素晴らしい。もちろん味は言わずもがな……! 失礼! こちらをお作りになられたシェフは今どちらに!?」
突如しゃがみ込み、ロドリグは近くを通りがかったアシスタンツの内のひとりの両肩をがしりと掴む。お客様のご不興でも買ったか、と慌てるアシスタンツだが、その表情が高揚を映していると気付くと、「ピピャピピピャー」と腕を上げた。ぴぴゃ、としか聞こえないのに、「厨房にいるので連れて参ります」と聞こえてくるのは、ルイスたちが住人たちと問題なく会話できるのと同じ理由なのだろう。
「いえいえ、お忙しいでしょうからお連れいただくことはありません。ただ、是非ともご教示賜りたいので私を連れていっていただけますか?」
お客様にご足労頂くわけには。お作りになっているところが見たいのです。そんなやり取りが5回ほど続いてから、ついにアシスタンツが折れた。お連れします、と肩を掴まれていたアシスタンツが笑うと、ロドリグも心底から嬉しそうに礼を述べる。
「それではヴォネガさん、私ちょっと席を外しますので」
あなたも楽しんでください。そんな台詞を残してロドリグとアシスタンツのひとりは姿を消した。それを呆気にとられながら見送ってから、ルイスは手元の肉に視線を落とす。
「……そんなに美味しいのか……」
ロドリグの味覚に全幅の信頼を置いているルイスは躊躇なくそれを口に運んだ。そして、ロドリグがあれほどまでに興奮していた理由を理解する。確かにとても美味しい。この味を彼が覚えてきてくれることを祈りつつ、ルイスは後ろを振り向いた。
「ベルモンドさん、これ食べました? 美味しいですよ」
見た目に反して大食漢のレオンならすぐに食いつくだろう。そう思っていたが、それ以前だった。
「……何も言わずにいなくなるとか」
そこに目的の人物の姿はない。遠くでちらりと長い白金が揺れたのが見えたので、ひとり食い歩きの旅にでも出かけたのだろう。あの後手合わせに参加していた面々と仲良くなっていたので、その辺りと合流でもしているのかもしれない。
「まあいいですけどね」
と言ってみたものの、ひとりだけというのも味気ない。だが、女性陣に合流するのも気が引ける上、見物中に特別仲良くなった相手もいないとなると、ルイスの次の選択肢は皆無に等しかった。仕方ない、ひとりで楽しむか、と祭りに近い賑やかさにそわりと心を浮き立たせた時である。脇から声をかけられた。
「ルイスさんひとりっすか?」
「よければ僕たちとお話しませんか?」