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「あ、来た来た」
 最初に聞こえてきたのはどこか楽しそうな少女の声。他にもする人の気配に、エリザベスは強い光を避けるように瞑っていた瞼をそっと開け る。顔が下に向いていたので、最初に目に入ったのは白いタイルの床だった。そこから少しずつ顔を上げていくと、正面にいたトマスとルイスの 背が視界に映る。彼らはすでに目を開けていたようで、体の向きを右に90度変えているルイスは誰かに頭を下げ、トマスは仰天した顔でき ょろきょろと辺りを見回していた。エリザベスが元部下に倣って視線の向く先を変えると、そこには見慣れぬ者たちが居並んでいる。
 最初に視界に入ったのは、オレンジ色の髪と赤い目、水色のリボンやシャツ、黒に近い灰色のスーツが揃いの青年と少女。表情の少ない 青年とにこにこした少女では受ける印象が違うが、似通った容姿をしているので兄妹なのだろう。その背後にはこちら側の誰かに軽く手を振 っている金髪に青い目をした少女と、ぺこりと頭を下げた茶色の髪と目をした少年が立っていた。彼らもスーツ姿をしている。さらに脇には何 人かの、服装も見た目もばらばら面々が揃っているようだった。
 さすがに目をぱちくりさせていると、オレンジ色の髪の青年が胸に手を当て深々と頭を下げる。
「いらっしゃいませ皆様。ようこそ、風吹く宮へ。この度は招きに応じていただきありがとうございました」
 丁寧な口調と礼に、トマスが反射のように腰を直角に曲げ「こちらこそありがとうございますっス」と礼を述べた。その脇ではマリアンヌが「おひ さしぶりでーす!」と元気よく挨拶をしている。よく見ると、疑問を抱いていた面々以外は皆似たような反応を示していた。
「本日は初来訪の方々もいらっしゃるようなので――」
「よく来た犀利の君よ。さて、固い挨拶は抜きだ。以前話をした面々が集まっているのでこちらへ来たまえ」
 何かを話そうとしていたオレンジ髪の青年の前にずいと出たのはやけに豪奢なアクセサリーを纏った青年だ。その声は、かの手紙を読み上 げていた謎の声と同じもので、「この男か」と相手を観察しつつも、エリザベスはさっと移動し、嬉々とした様子で彼に近付くパトリックから姿を 隠す。
「では私は友人たちと語らってくるので、皆は好きにしてくれ」
 振り向き爽やかな笑顔で手を振ると、パトリックは豪奢な青年と開け放したままの扉から先に消えていった。――それを見送り、エリザベス はようやくここが室内であると気付く。
「あ、じゃあマリアンヌさんたちはあたしたちと遊びに行こう! あれから人とか物とか色々増えたからきっと楽しいよ」
 手を挙げて主張するのは薄いピンクから濃い赤のグラデーションがかかった髪をしている少女で、その隣には修道服の少女と獣の耳のよう なものがついた水色のローブを纏った少女が「おいでおいで」と手招いていた。水色ローブの少女の足元には2足歩行しているぬいぐるみのよ うな猫が同じ動きをしている。呆然としていたセザリスがぎょっとしたのはこの猫に角が生えているからだろう。
「わーい、行く行く! 行こうみったん、リーちゃん。じゃあリズさん、トマちゃん、あたし達も行っちゃうけど、合流したくなったらいつでも宮の人た ちに言ってねん」
 満面の笑顔で額に揃えた指を当てると、マリアンヌは少女たちの元へと向かって行ってしまう。その後をリーナが追いかけると、彼女は即行 で角猫を抱き上げて頬ずりを始めた。
「ちょっ、ちょっとマリアンヌ、初めて来た人たちを置いていくつもり!?」
 慌てたのはエイミーだ。もし自分が同じ状況だったら……と考えると気が気でないのか、その表情は引きつりやや青ざめている。反対に「え ー、艦長たちなら大丈夫よ〜」と気楽な返事をしてくるマリアンヌ。その反応に絶句したエイミーがちらりとエリザベスとトマスに視線を寄越し た。
「あ、あの、多分大丈夫っスよエイミーさん。ここ別に悪い所じゃないっスもんね?」
「それはもちろんだよ。でも――」
 心配そうに眉を八の字にするエイミーの肩を、エリザベスはぽんと軽く叩く。
「気にしないでお前もマリアンヌたちと行って来いみったん。合流が必要ならする」
「あのだからエイミー……いえ、はい。わかりました」
 あだ名から本名に言い換えようとしてエイミーは諦めて頷いた。
 元々マリアンヌからエイミーの話を聞いていたエリザベスは、彼女が「みったん」という呼び方をしているためエイミーのことをその呼び方で覚え ている。どこぞの元副官と違い本名ももちろん覚えてはいるのだが、ふざけて呼んでいるうちに慣れてしまったので今は6:4でこうして呼んでい る。はじめの頃はその都度訂正していたエイミーも、(エリザベス基準で)真面目な話をする時はちゃんと「エイミー」と呼んでいるのでそろそろ 諦めてきているようだ。あだ名呼びが嫌なわけではないけど違和感はある、とはエイミーがマリアンヌに漏らしマリアンヌがエリザベスに悪気なく 伝えてきたことだった。
 それじゃあ私も、とエイミーもまた迎えてくれた少女たちに合流すると、きゃあきゃあと賑やかな面々は部屋の外へと消えていく。本当はそれ に着いていきたかったのであろう金髪の少女は、先ほどからバスケットを握りしめて高揚気味のロドリグに迫られていた。
「ということで、ぜひお母様にお会いさせていただければと」
「えーーとぉ、まあ昼食の時間も終わってますし? いいとは思いますよー?」
 すっかり通路の向こうに消えてしまったマリアンヌたちを残念そうに見送りながらぞんざいに答えているにも関わらず、ロドリグは是の解答に 晴れやかな笑みを浮かべる。そのやり取りを横目で見ながら、エリザベスは最初の「来た来た」と言っていた声の主が彼女であると判断した。
「じゃあ私はロドリグさんを食堂に連れて行っちゃいますねー」
 くるりと踵を返すと、金髪の少女はすたすたを歩き始め、ロドリグは「お願いします」と弾んだ足取りでその後に続く。彼が残る面々に気を 遣わないとは珍しい。よほど浮かれているようだ。そんなことを思っているエリザベスは、彼の兄・セザリスも同様のことを思ってその背を見送っ ていることに気付いていない。