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第4話 「私はティナ」
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「あ、おはようございます大隊長さん」
「……おはようございます」
 こんな朝っぱらから顔を合わせてしまうとはなんて運が悪いんだろう。笑顔で挨拶を返しながら、ティナは早朝からほっつき歩いているハイネルに内心で文句を言った。
「こんな朝からどうしました?」
 昔から早起きだったが空が白み始めた時分に出歩かれるとさすがに不審に思う。一応立場上訊かなくてはいけないのもあってティナが尋ねると、ハイネルは頭に手を当て困ったように笑った。笑うと一層幼く見える彼の顔に、ティナはふと懐かしさにとらわれる。だがそれはすぐに、それを表に出すまいと精一杯に気を張り保った平静の下に隠された。
「すみません、夕べ眠れなくて。明るくなってきたから散歩でもしようと思って歩いてたら、気が付いたらここまで来ちゃったんです。……あの、こっちって立ち入り禁止だったりします?」
 恐る恐る尋ねてくるハイネルにティナは微かに笑って首を振る。変わらない。昔もこんな風に「気が付いたら」を繰り返していた。何度言っても直らなくて――と、そこまで考えてティナは自分の腕に逆の手で爪を立てる。
(ダメだっ、何をしている。心を許すな。私はティナだ。レティシアじゃない)
 気を抜くと『レティシア』が表に出ようとするのを必至に律する。この空気がいけない。彼と、昔の面影を残す彼と二人でいると昔日を思い出してしまう。早くここから立ち去ろう。そう決めてティナは早口にまくし立てた。
「立ち入り禁止にはなっていませんがまだ早すぎます。こちらには団員の団舎がありますので下手に立ち入ると余計な疑いがかかることもあります。ご自重ください、ハイネルさん」
 やや厳しめの声で注意されハイネルは慌てて返事をする。
「すす、すぐに戻ります。すみませんでしたっ」
 そういってわたわた身を翻したハイネルは、2・3歩進んでからふと立ち止まった。
「――僕、幼馴染を探してるって言いましたよね?」
 いきなり話を変えられ、ティナはいぶかしみながら頷く。
「遊びとか、道楽とか、そんなことで探してるんじゃないんです。大切な幼馴染だから、元気でいるかを確かめたい。幸せか訊きたいんです。――それに、どうして黙って行ってしまったのかも」
 振り返り真摯な双眸を向けてくるハイネルに、ティナは笑った。優しさが微塵も含まれていない嘲笑を、浮かべて。ハイネルは少し目を見開いた。
「酔狂ですね。理解できない」
 本当に理解できない。彼と離れたのは14年も前のことだ。
「彼女が消えたのはあなた方が9つの時でしょう? 短すぎると思わないんですか?」
「短い……?」
「たかが9年共にいただけの幼馴染を探すのに何年かけるつもりですか、と訊いたんです。そんな短い年数しか同じ時を過ごさなかった相手に骨を折るなんて馬鹿げてる。はっきり言いましょうか? 無意味ですよ」
 言い終わり、ティナは少し顔をしかめた。胸が痛い。本当はこんなこと言いたくない。ハイネルがわざわざ自分を探してくれていることも心配してくれていることも。何より、明瞭に自分の存在を覚えてくれていてくれたことが泣きたくなるほど嬉しい。だがやはりダメなのだ。彼の幼馴染はレティシア。ティナではない。そしてレティシアは死んだ。今いるのは彼にゆかりのないティナなのだ。だから心を許せない。心を許せばきっとレティシアが甦る。それだけはなんとしても避けたかった。弱いレティシアなんて、ティナはいらない。
「――そう、ですか――」
 光の消えた双眸を揺らめかせ、ハイネルは俯いた。
「レティシアに似てるあなたがそう言うなら、そうなのかもしれないですね。本当に――そう、かも〜〜っ!!」
 言下に零れる一粒の涙。頬を伝ってあごから地面に落ちたそれを目の当たりにして、最大級の後悔がティナの身のうちで暴れのた打ち回った。しかし次ぐ言葉は見つからない。自分の考えを覆さない以上、口にする慰めは全て嘘にしかならないことをティナはしっかりと理解している。
「す、すみません。失礼、します――っ!!」
 一礼して駆け出すハイネル。その背に伸ばしかけた手は少し持ち上がっただけですぐに下げられた。そして当初の目的を果たす代わりに浮かんだ涙を荒っぽく拭い去る。


  後悔はいらない。

  これでいい。

  私はティナ。

  レティシアじゃない。

  私は強い。強いんだ。

  だから――。



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