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第8話 「異変の兆し」
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 同じタイミングで駆け出すティナとエルマ。距離が狭まると左右に分かれ、ティナは高く飛び上がり武器を振り上げ、エルマは深く踏み込み切り上げる。魔者は地面を蹴り後ろへと飛んだ。あわや二人の攻撃がぶつかりかけたその時、エルマは素早く武器を返し平らな面を上にする。ティナがそれを足場とし再び飛び上がろうとするのに合わせ、エルマはぐっと力を入れて振りぬいた。高く飛び上がったティナは通常ならば在ることのかなわない場所に支えもなく浮かんでいる。しかし恐怖はない。身体は13歳のものだが、今までずっとこの身体でも戦えるように鍛えてきたのは伊達ではないのだ。
 細い身体をいっぱいにしならせる。
「やぁぁああぁぁっっ!」
 身体を元に戻す勢いと落下の勢い、そして狼籐自身の重さも加え気合一閃・振り下ろす。それはエルマに足止めを喰らっていた魔者の肩口に見事に命中した。肩から先が切り落とされる。
【ギャアァァアァァァァアッッ!!!】
 思わず耳を塞ぎたくなるような高い奇怪な悲鳴。腕にかかった負担とそれに顔をしかめたティナは、先をなくした肩から勢いよく吹き出た黒い血を全身に被ってしまった。色は違えど血は血。さすがに頭から降り注がれては慣れていても目眩がする。吐き気を耐えながらティナが魔者のそばから飛び離れると機を狙っていたエルマが踏み出した。痛みに喘ぐ魔者の懐へともぐりこむ。
「おおおぉおおっっ!!」
 強く、深く、踏み込んだ。
 左手で強く烏葉を握り締め、力を溜める。魔者は更に逃げようとしたが狼籐に退路をふさがれた。エルマの怒声に顔を青くする魔者を見たティナの心は冷めていた。偉そうなことを言っていたからどれほどの強敵かと冷や冷やしていたのだが、不意打ちでもせねば戦えぬ程度の雑魚のようだ。恐らく、ぎりぎり風が起こせるレベルに達しているだけなのだろう。ティナがそう判断した刹那の沈黙の後、エルマは開いた右手で左手を強く押し出す。瞬間、溜めた力を一気に発散させた。
「っらああああああっっっ!!!!」
 体全体の筋肉を使って打ち出したかのような攻撃に魔者は胴から二つに裂けた。まるで流れに逆らった滝のように溢れ出た血に、エルマもまた黒く染まる。どさりと音を立てて下半身が倒れる。流れた沈黙にエルマとティナが深く息をついた。するとその瞬間にその沈黙は破られる。
【ハ……ハハハハハ、ハハハハハハハハ! 愚かっ、実に愚かだ!! 人間どもの知能は発達していないと見える】
 胴から上だけになった魔者は世にも恐ろしい顔で笑った。先程よりずっと獣じみた潰れた声で、魔者は嬉々として声高に叫んだ。
【"あの方"はすでにこの地におられる。貴様が力を使えぬことも全て報告済みだ。貴様ら人間どもはこの地をはじめに全て死ぬんだ! 怨敵《スペード》さえおらねば貴様らなど恐れるに足らずっ!! 恨んで死ぬがいい! 弱き《スペード》をっ!!】
 狂ったように笑い出す魔者にティナは目に険を浮かべ歯噛みする。
「弱い弱いと――」
 2、3歩踏み出し狼籐が振り上げられた。エルマは止めるような真似はしない。「弱い」と侮辱されて耐えろなど口が裂けても言えない、彼らしい選択だ。
「私を"あいつ"と一緒にするなっ!!」
 頭に浮かんだ、もう1人の自分の顔。それを断ち切るようにティナは狼籐を振り下ろす。しかしその瞬間、異変は起こった。
 それまで適度な重みしか伝わってこなかった狼籐が、急激に重くなったのだ。
 支えきれずに狼籐を取り落としバランスを崩すティナ。その隙を魔者は見逃さない。両腕を突っ張って浮き上がると、ティナの喉元に喰らいつこうと牙を光らせた。とっさにエルマがティナの腕を引いて最初の難は逃れるが、二人は勢いに負けて転んでしまう。その彼らに2度目の跳躍をした魔者が襲い掛かってきた。エルマがティナを右手で庇いながら烏葉を上向ける。その時。
「射てっ!!」
 野太い声が号令となって響き渡る。次には、満天が矢の雲に包まれ、魔者は一匹のハリネズミと化していた。振り向けばアズハを筆頭にイユが、そして多くの団員達がそこに堂々と陣を構えている。深く安堵の息をついたティナは、エルマに抱えられたまま狼籐にそっと手を伸ばした。恐ろしい予想は見事に破られ、それは軽々とティナの手の内に納められる。
 それでも、それはティナにとって手放しで喜べる状況ではなかった。



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