戻る   

第9話 「内憂外患」 3
/

「アズハッ! お待ちったら!!」

 人気の薄れた道の真ん中でイユはアズハの太い腕を掴んで無理やりに引き止めた。立ち止まらされたアズハは眉間に皺を寄せたままの顔で振り返る。異様に迫力のある顔と対峙してもイユは怯まずに腰に手を当て柳眉を逆立てた。

「この無骨者っ! ティナに八つ当たりなんてどういうつもり? 魔者に気付けなかったのはあたし達だって同じでしょう!?」

「あれは――お前には分からん。くだらんことを言ってないで早く出陣の準備を整えて来い」

 言いかけた言葉を嚥下して無愛想に言い捨て立ち去ろうとするアズハに、イユは眉をしかめて大声を出す。

「あたしたちはっ、同じ騎士よ! 騎士は何のためにいるの? 魔者と戦って人を守るためでしょう?! だったら魔者の存在に気付くのはあたし達の仕事でもある。《スペード》以外が魔者の感知をしなくていいなんてどうして言えるのよ!!」

 責めるような言葉に、知らぬはずの彼が知っている者の言葉を口にしたことに、アズハは目を見開き振り返った。イユは感情が収まらないように荒げた声で言葉を続ける。

「あたしは分かんなかったわっ。武器を正しく活用出来ないのを全部ティナのせいだって決め付けてるあんたの気持ち(なやみ)も、そういうのまで全部自分の中に溜め込んで、あたし達の無知を笑顔で受け入れてくれたティナの気持ち(くるしみ)もっ!! あたしは何も分かってなかったわよっ!」

 アズハは気付く。荒い呼吸をする彼の言葉が責めているのが自分でないことに。そこに込められているのが、自己への嫌悪であることに。目の周りを微かに赤くするイユに、アズハは驚いた表情のまま尋ねる。

「――調べ……たのか……?」

「――ええ。ラムダさんに稽古をつけてもらった後に図書館で。古い記録を見つけたときは、正直信じられなかったけど、でもティナに結び合わせると凄く簡単に頭に入ってきたわ」

 ぎゅっと紅雪を抱き締め、イユは苦しそうな、悔しそうな顔をした。

「たとえば不老であること。あの子は3年経っても何の変化もしていない。古老の騎士たちはみんなあの子のことを知っている。あんたも、相手がいくら大隊長スペードとはいえ、30過ぎの男が何で16の女の子とあれだけ同等でいられるのか、不思議だったわ。でも考えれば、あの子は一度も自分が「16歳」だなんて言ってない。あたしが、3年前に勘違いしてそういったのが始まりだったのよね」

 ギリッ、と歯がすれて音が鳴る。

 あまりにも悔しく、悲しかったのだ。

 色々なことから守り慈しんでいるつもりで、一番彼女を傷付けていたのは自分だった。幼い者、という型を作り上げ、彼女をそこに無理やりはめ込んでしまったことへの後悔は深い。

 苦しげに眉を寄せ俯き加減に沈黙するイユを見下ろし、アズハは3年前のことを思い出していた。3年前、ティナを見て「13歳くらいか」とイユが勘違いした時、アズハはすぐに訂正して《スペード》が何たるかを教えるつもりだった。隊長として、トランプ騎士団の1人として、知っておかなくてはならないことだから。けれどそれは止(とど)められた。ジョーカーをはじめとする古株たちに。理由を問うたアズハに、「自ら疑問に思うこと、そこから知ろうとすることも大切」と答えを返したのはラムダだった。かく言う彼らも入団当初は《スペード》のことを何も知らなかったという。

 アズハは入団前に《スペード》の力を目にしたことがあるので最初から知っていたのだが、それというのも当時の《スペード》・先代セルヴァが力をよく使う人物だったからだ。力を使えた先代と使えないティナでは、周りが《スペード》の違和感に気付ける難易度は変わる。そして一度も《スペード》の力を使うことなく3年が経ち、イユも2年前入団したエルマも《スペード》を知らない。いや、《スペード》の代替わり以降に入団した者の多くは《スペード》の力を知らないはすだ。ゆえに彼女を「武器を持てるだけ」と非難する者も団内にはいる。

 その現状に、上の者たちは呆れていた。「言われなくちゃ分かんねーのかあのぼんくらどもは」。舌打ちと共にそう言ったのは確かクレイドだったと思う。

(あの時――)

 あの時……いや、この3年のうちのいつかに、ラムダたちの言いつけに逆らい彼にティナ――《スペード》を少しでも示唆することをしていたらこの現状は何か変わっていたのだろうか。自分の様に何もかもを彼女のせいにする者ではなく、彼女自身を信じてやることのできるイユのような者が彼女を「知る者」としてそばにいたのなら――。

 どろりとした後悔が胸の底で湧き上がる。ともすれば呑み込まれそうなそれを撥ね付けることが出来たのは顔を上げたイユの声のおかげだった。

「彼女は、レティシアね?」

 静かな問いかけに、今度はアズハが双眸を伏せ頷いた。予想していたこととはいえいざ事実と認められると多少頭痛がする。しかしイユは耐え、もう1つ尋ねた。

「どうして、初代《スペード》の名を――?」

 『ティナ』。それは初代《スペード》の名としてトランプ騎士団の歴史を記した本に残されている。ティナがそこから名をとったのは間違いないことだ。だが、それなら何故彼女は『レティシア』の名を捨てたのか。それはいくら考えても『レティシア』を知らないイユには分からなかった。アズハはまぶたを少し上げ、口を開く。

「ティナが言うには、『レティシア』は弱いそうだ。《スペード》は強くあらねばいけない。ならば弱い『レティシア』は不要。代わりに強い『ティナ』が生まれた。――ティナはそう言って、今『レティシア』を否定している」

 何故そこまで苦しんでいるのかはアズハにも理解出来ない。はじめて会った時、まだ9つながらもレティシアは強く前を見据えられる少女だった。泣き虫で怖がりだったが、それでも前をしっかりと見据えることが出来ていて。アズハには彼女が弱かったとは思えない。

「――そう。分かったわ。ありがとう」

 ため息と共にイユは身を翻す。それ以上続けられることのない言葉が、彼の心中の衝撃を表しているようで、アズハは静かに息を吐いた。





 

このページのトップへ戻る