第10話 「開戦! 騎士対魔者」 4
魔者に道を塞がれ、スペード隊とダイヤ隊は退路を失った状態で先に進まされてしまった。
抜かった。イユは拳を握り締めて短慮を呪う。恐らくあちらの狙いは戦力の分断。人質を取ったのもこちらに先を急がせるためだろう。ということは、最初から奥へ引き込むのが目的であったはずだ。ならば自分達は、この森に入った時点で罠にはまってしまったことになる。どうして自分は、魔者が策を弄するはずがないなどと考えていたのだろう。時に人も及ばぬほどの知恵を持つものすら発生するのが魔者だというのに。
甘えと慢心に悔しさを募らせながらも、イユは知恵をめぐらせる。敵の狙いが戦力の分断なら、クラブ・ジョーカー隊、ハート隊の分が成功してしまっている。ならば次の行動は――。
「イユッ、どうしようアズハが!」
ティナが慌てた様子で駆け寄ってくる。イユはそれを宥めながらも周囲に気を配っていた。すると広げていた感覚に何かが引っかかる。どこからか、甲走った風鳴り音が聞こえてきた。それは寸分違わずイユたちに向かってきている。イユは舌打ちすると、馬の腹を蹴ってティナに手を伸ばしその体を横抱きにして、同時に再び散るように指示を出す。さすが老練の者が多いスペード隊はすでに散らばっていた。ダイヤ隊もそれには及ばないが間一髪で視認出来ない攻撃から逃れる。
それまでイユたちのいた場所は激しく回転する何かにえぐられたようで惨むごたらしい傷跡を残していた。木々の間から吹き抜けまだ青い葉を空へと舞い上がるそれが、どうやら『何か』の正体らしい。ざわめきが走る中、はすっぱな声が中空から落ちてくる。
【何よぉムカつくわねー、避けんじゃないわよゴミムシども】
可愛らしい声に似つかわしくない汚い言葉を吐き捨てたのは、異形の羽を持つボブカットの少女だった。魔者だと思っても女性型のそれに騎士たちは揃って戸惑った様子を見せる。魔者の少女もそれを了解しているらしく勝ち誇ったように下卑た笑いを浮かべた。
【あっはっはっ、手ェ出せないでしょ? ザマーミロよ、くそ騎士どもっ。テメー等まとめてこのブルック様が葬ってやる。覚悟しなっ!!】
ブルックと名乗った魔者は両腕を上げて何かをこねあげるように手を動かす。何をするつもりかとじっとその動向を探っていると、先に舞い上がった青葉が左右前後なく揺れて落ちてきた。それはブルックの真上まで来ると一瞬で原形をとどめないほど粉々になる。そうして騎士たちは何が起こっているのかをようやく理解した。あの魔者は、風を生み出している。イユが固まらないように指示を飛ばすが、嘲笑が響いた。
【バァーーッカ! 遅いんだよっ!!】
両腕が振り下ろされると、轟音を立てて強風が押し寄せてくる。肌や服を切り裂いてくるそれからティナを守るように、イユは考えるより早くにその小さな体を抱き締めていた。巻き起こるかまいたちに左の二の腕がぱっくりと切られる。吹き出した血が風に舞うのを、ティナはその腕の中で見ることになる。離してくれと乞う声は風の立てる音に消えた。しばらく続いたその風が不意にぴたりと止まる。その時にはイユは髪のあちこちを中途半端に切り落とされ、顔や腕・背中から血を流していた。満身創痍であるがまだ戦えると頭の中ではじき出してイユは紅雪を構える。するとその斜め上辺りにブルックがふわりと降り近付いた。その目はひどく冷めている。
【ウザイ。何あんた。何で《スペード》守ってんの? 普通逆でしょーよ。脳に虫わいてんじゃないの】
「まさか。めちゃくちゃ正気よ」
辛らつな言葉にイユは微笑を浮かべた。それが気に食わなかったのか、ブルックは目を細めて顔をしかめる。
【は? 何言ってんの? 《スペード》守るなんて正気じゃないわよ。怖すぎて頭どーかしたわけ?】
「全く正常よ、口の悪いおじょーちゃん。誰かを守ったり守られたりしたことないから分かんないかしら?」
挑発に類する言葉にも、イユは笑みを絶やさない。それどころか逆に挑発し返すような余裕ぶったその台詞に、音を立てて、ブルックのこめかみに浮かび上がった血管が切れる。
【なめんなこの掃き溜め野郎!! 《スペード》ともども八つ裂きにしてやるよっ!!!】
怒りに任せ手を大きく振りかぶる。遠慮容赦なく振り下ろそうとしたその時、強い強制力がその腕に絡み付いてきた。ミシッと音を立てて骨がきしむ。このまま手を振り下ろそうとしたらその瞬間に骨を砕かれることになるだろう。無視するには、自分の恐怖を支配する相手はあまりに強すぎる。なんと言っても"空前の存在"だ。そもそものスペックが違いすぎる。
ブルックは冷や汗をかいて唾液を飲み落とした。このまま引き下がるのは悔しいが、生き残るためには命令は絶対。折角生まれたのに"同胞"に殺されるなんてごめんだ。
(そうだ、やめろ。何度甦ることも可能だとしても今生はこの一度きり――)
頭の中の冷静な言葉を聞いてブルックはすぐに納得する。それでも強がって舌打ちすると、さも仕方なさそうにいったん生じさせた風を打ち消す。魔者同士のやり取りに気付かないティナは狼籐を油断なく構えていた。しかし視線をイユから自分に移したブルックに一種の危機感を覚える。体を強張らせるティナにブルックは手を向ける。
【――って、思ったけどやめとく。あんたの相手は奥で"あいつら"がするよ《スペード》】
言葉半ばに吹いた強風に、あろうことかティナの体が浮かび上がった。急なことに絶句するティナや助け出そうとするイユに知らん顔をして、ブルックは腕を横に振りぬく。応じてティナの姿は森の奥へと流された。追おうとした騎士たちに慌てることなく魔者の少女は指を鳴らす。すると、木々の間から羽を持つ魔者や猿のように身軽に跳ね回る魔者が一斉に現れた。これでは先に我が身の無事の確保しなければティナを助けにいけない。
イユの予想は、最悪の形で当たってしまったのだ。ここに、トランプ騎士団は完全に戦力を分散されてしまった。
こうして、誰もが生死の境目に身を置く状況で、人と魔者の興亡をかけた戦いがはじまった。