第10話 「開戦! 騎士対魔者」 6
先よりも低い声で、ティナを嘲るように口を開く。
【聞け《スペード》、この地はかつてないほどの負の感情に満ちている。だから――見ろ】
長い手が前へと伸ばされる。すると、ティナの前に円形の鏡の様なものが出現した。ティナを映すそれはひとりでに、水に小石を投じた時に似た波紋を起こす。それが晴れた時にそこには、後方の様子であろうか、血煙が吹き血ち飛沫しぶきが舞う無残な戦場が映し出されていた。
人と魔者の争い。
剣が肉を斬る。骨を絶つ。
矢が目を潰す。脳天を突き抜ける。
魔者の力で炎や風が起きる。
肉が焼ける。肉が裂ける。
悲鳴。断末魔の叫び。苦痛に喘ぐ声。
地面を染める赤と黒の血。
それを見せられたティナはある違和感に眉をしかめさせる。騎士たちの動きは冴え渡っているというのに、魔者全体の雰囲気が一向に衰えない。これは、おかしい。多勢とはいえ、魔者たちが異様に強すぎる。微々たるものだが個体の力が強まっている印象を受ける。それに、倒したそばから新たな魔者が誕生していた。
こんな無尽蔵なこと、どの《スペード》の記憶にもない。空前の事態にティナの顔からは血の気が引いていく。
【強いだろう? かつてないほどに】
ティナの懸念を読み取ってジャズベリンは唇を引き伸ばす。ティナは視線を鏡から逸らせぬままにその声を聞いていた。
【当然だ。最高の食事が今に至ってもなお我々に差し出されているのだからな。我ら唯一にして最強の脅威から】
嘲りを含み強く言い放たれた言葉にぞっと背筋が冷える。心臓が耳の奥で生々しい音を立てた。視界に焼きついてくる赤い血が、ティナを責めてくる。
ジャズベリンは残酷な笑みを浮かべ、告げた。
【もう分かっただろう。我らをここまで強くしたのはお前だ《スペード》。お前のその留まるところを知らない劣等感が我らに力を与えた! お笑いじゃないか、なあ? ヒトを救い我らを滅すはずの《スペード》が、我らの力を強めヒトを貶める。最高の喜劇だよ】
言うや否や、ジャズベリンは森中に響きそうなほど大声で笑った。周囲の魔者たちがそれに同調する。汚らしく、けれど高らかに響くそれに、ティナは放心し我知らず耳を塞いでいた。徐々に膝から力が抜けていく。
この魔者は一体何を言っているのだろうか。
私が力を与えた?
私のレティシアに対する劣等感が、こいつらを強くした?
では、では仲間を苦しめているのは――。
ティナは鏡の中で傷付きながらも戦い続ける騎士たちの姿に頬を震わせる。唇は小刻みに震えた。目の奥が熱くなり、鼻の奥にツンとした痛みが訪れる。心に渦巻くのは、最高の自己嫌悪。
――――仲間を苦しめているのは、私、か……?
自覚した瞬間、体は鉛のように重くなる。世界は深遠に包まれ地面は泥の沼へと姿を変えた。ずぶずぶと、ティナの体は沈んでいく。ティナはそれを拒否しなかった。自分の体を飲み込んでいく残酷な泥の冷たさに身を任せ、"彼女"に向かって呼びかける。
「……ご、めん……も、いい、レティシア……」
滂沱たる涙がこぼれていく。暗い世界を見上げても、一筋の光すら見出せなかった。それはきっと、自分のせいで絶望に向かう世界のスガタ。「ティナ」に固執した結果。
「返す、から。全部っ、返す、から……っ!!」
立場も居場所も時間も体も存在も、奪ったものは全てその手に返すから。
「……ッお願い、みんなを助けて――――――――っ!!」
今にも切れてしまいそうな細い懇願は、完全に泥に沈んだ「ティナ」の最後の願い。息づく者が消えた瞬間、暗闇を赤い光が切り裂いた。遙か昔に見たそれといつの間にか現れた人影を泥の中から肌で感じたティナは、世界に最初から「ティナ」は必要でなかったことを認めて深く目を瞑る。
その時、鵠風はうすぼんやりと光を取り戻し、茜日・烏葉・紅雪はヒトには解せぬ音を発した。