第13話 「決戦! イユVSブルック」 9
不思議な感覚だった。己のためにしか生きない利己的で自己中心的なのが魔者の特徴だ。その魔者の一匹であるザンディスは最初から今にかけてずっとブルックを守ろうとしているように見える。現れた瞬間魔者と戦い慣れているイユにすら寒気を感じさせた彼が、相性がいいとは言えない少女のために戦おうとしているようだった。
問いかけと共にその目をじっと見つめていると、ザンディスはふっと頬を緩める。その笑顔は、泣き顔のような笑顔だった。
【答えはもうお前が言ったのだろう。――口が悪かろうと態度が悪かろうと、長く共にいればそれだけ愛着も湧く。それこそ……娘のように思っている】
「娘」などという、およそ魔者が持ちえぬ家族への愛情を唱える魔者の言葉は、イユの目を見開かせるのに十分だった。その表情を見て泣きそうな笑顔は皮肉気なものに変わる。
【ダイヤから生まれなければ、ダイヤを喰らわなければ、こんなこと考えもしなかったのだろうがな……】
低く呟かれたその言葉が魔者らしからぬ思考にどれほどの影響を与えているのか。イユには図りえなかったが、それより今は彼を倒すことが先決だ。
「――そう、紅雪。"これ"なら倒せるのね」
因縁の戦いに終止符が打たれることを全力で喜ぶ紅雪はイユにだけ聞こえる声で囁いた。イユはその言葉に応じると、紅雪を変化を解除する。突然自由になったザンディスは刹那戸惑い、しかしすぐに全力で飛び立った。彼の一番の目的は愛しい娘を生かすこと。そのためにアレに逆らうことになろうが、それは仕方ないことだ。借りはのちほどじっくり返していけばいい。大きく羽を動かし、木々よりも高く舞い上がる。だがそれが、ザンディスの飛び立てる最高の高さだった。
押し寄せてくるのは圧倒的な殺意。実際には何もないはずの空がまるで見えないない蓋に覆われているような威圧感を放っている。"発生の仕方は同じ種類"とはいえ、やはり桁違いすぎる相手の存在を感じ取り、ザンディスの体は恐怖のために動かなくなった。
その耳に、美しい音色が届く。重い首をめぐらせ固い動作で下を見れば、イユが横笛を吹いている。どうやらフルートのようだ。およそ「武器」とはいえない形をしているが、感じる紅雪の気配にあれが彼女であることを悟った。
【一体何のつも――ぐっ!?】
驚いた様子を見せたザンディスはすぐに苦しみ出す。その耳に超音波のように聞こえてきて頭痛を巻き起こすそれがイユのフルートから放たれていると判断したザンディスは、すぐにそれが"寄生型の天敵"の唱える聖なる言葉と同じ響きを持っていることに気付いた。
【ぐあっ、うう、が、あああ……ッ】
美しい旋律は脳を強く揺さぶる凶器に変わりザンディスを苦しめる。押さえきれず漏れた苦痛の喘ぎと共に、頭を押さえ身をよじるブルックの体から黒い霧のようなものが吹き出てきた。それが形なき魔者――ザンディスの瘴気だと悟り、イユは繊細な旋律に力を加える。
【やめろっ、その音を止とめろぉぉぉッ!!】
木霊のように膨張した声は黒い霧から放たれたようだった。苦しげに揺らぐそれに目を向けず、イユはひたすらフルートを吹き続ける。曲が進むごとに寄生型の魔者の姿は薄くなっていった。消滅しつつあるのだ。
【ブルック……ブルック……ッ】
魔者は探す。彼の愛しい娘の姿を。ザンディスが抜け出た衝動で力が入らなくなったのか落下したその姿は空中にはなく、すぐ近くの木の枝に引っかかっている。ザンディスは目玉がこぼれそうなほど大きな目を開けている少女を見て笑ったようだった。イユが最後に見たあの笑顔――泣き顔のような笑顔で。
高音が曲の最後を奏でると、黒い霧は姿を消す。気配は完全にしない。完全に、消滅したのだ。
「……勝ちましたわ、初代、先代。あなた方の――ダイヤの業、討ち果たして見せました」
あまりにも気分のよくない勝利だ。魔者と戦い、勝利して、こんなに気分が悪くなるなどと考えもしなかった。
「ようやく分かったわ。あの魔者が何に似ているのか」
あれは、ヒトによく似てる。
まるでヒトのように大切なものを守ろうとしていた。自分の力を半減させるつながりしかない器にこだわりながら、その器を。"娘"と呼んで。
悲しげにまぶたを落としたイユは、しかしすぐに目を開けて前に転がり込む。すると背後を風が吹き抜けた。殺傷の目的で放たれたそれはしかし先ほどまでよりずっと威力を落としている。イユは風を起こした相手を見上げた。