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 その町は、正式な名前を持つのに誰もその名前を使わない。その代わり、町の者も町の外の者もそこをこう呼ぶ。「正義の町」、と。

 かつて不正をして私腹を肥やしていた町長を義憤によって討ち取ってから、この町ではあらゆる悪事が忌避され、小さな悪事すら行った者は町を追われるようになった。たとえそれが小さな子供でも、だ。

 ともすればあまりの厳しさに人がいなくなりそうだが、厳しい反面、この町は正義を失わぬ者には優しく、正義に縋る弱者を突き放さない。ゆえに、人は減るどころか増える一方である。

 澄んだ赤髪と双眸を持つルーシア・グレンデールもまた、その町に移住してきたひとりだ。髪・目に合わせた赤い衣装を炎のように揺らせて舞う踊り子で、美しい群青の翼を持った鳥を常に鳥籠に入れて連れている。そのことから、人は彼女を「夕告げの舞姫」と呼んでいる。赤と群青は夕方の色だ、と彼女を見た客が言い出したものがいつの間にか広まっていたのだ。

 愛鳥と共に単身で正義の町に入ったルーシアは、少しでも稼ぎを増やそうといつの間にかついたその名をそのまま受け入れた。そして、名に合うように夕方のみに踊る踊り子となる。本来であればいつでも客の求めに応じて踊る方がいいのだろう。だが、「時間限定で踊る美しい踊り子」、その稀少感からルーシアは逆に客を集められるようになっていた。

 今日、彼女に場所を提供してくれたのは酒と音楽を提供する町一番の酒場だ。入り口から見て正面に備え付けられたステージで最後のステップを踏むと、建物内には割れんばかりの拍手が溢れる。

 ステージを180度囲むように置かれた1階のテーブルに座っていた者たちは立ち上がり諸手を叩き、吹き抜け構造となっている2階の廊下から身を乗り出す者たちは、口笛・指笛を吹いてルーシアを賞賛した。その彼らに優雅に一礼すると、ルーシアは客たちに手を振りながらステージを降りる。

 今日も無事に終わった。ほっと安堵の息を吐きながら舞台袖に入ったルーシアは、しかしすぐに顔を強張らせる。そこに見たくもない男の顔を見たからだ。

「よぉルーシア。今日もいい踊りだったな」

 赤茶色の双眸を細め気軽に声をかけてきたのは背が高い、癖のついた栗色の髪の青年だ。顔立ちは大変整っており、浮かべる笑みも爽やかさが窺える。彼はランダル・ビーティ。この町の町長の息子だ。大変な美男子で性格も良いため、町の若い娘たちの間で争奪戦すら起こっている。

 しかし、ルーシアはこの男を好んではいない。とある過去(、、、、、)から人の目に敏感になったルーシアには分かるのだ。この男がルーシアを見る目に映している劣情が。

「……どうもありがとう」

 当たり障りない返事だけを残してルーシアは彼の横を通り過ぎようとした。しかし、その直前に腕を取られてたくましい胸に抱かれる。普通の女性であればここでときめきのひとつ覚えることだろう。しかし汗をかいたばかりの首筋にふぅと息を吹きかけられたルーシアはむしろ全身を粟立てた。

「ランダルさん、放してください」

 声に非難を混ぜ、力を入れてランダルを引き離そうとする。だが、体格の良い彼に力を込められてはルーシアには逃げられない。

「そんな冷たいこと言うなって。食事でもどうだ? 個室とってあるんだ」

 耳元に唇を寄せられ、甘く囁かれる。それでもルーシアはぞわぞわと悪寒に襲われるだけだ。

「っ、いい加減に……っ!」

 我慢しきれず叫びそうになったその時、突然脇で光が弾けた。共に聞こえたのはパシャッという高い音。その瞬間ルーシアはほっとした様子で光と音の主に顔を向ける。

「ベイル」

 心の底から安堵したルーシアの声が紡いだのは、女性にしては背の高いルーシアよりも少しばかり小さい、しかし横幅はがっしりとしたくすんだオレンジ髪の男性の名だ。男性――ベイル・トッドはにこりと笑うと、手にしているカメラを下ろした。

「よぉルーシア。今日もいい踊りだったな」

 先程ランダルに言われたのと全く同じ台詞。しかし、受け取るルーシアの気持ちはまるで違う。ルーシアが笑みを浮かべると、面白くない顔をしたランダルがさらにルーシアを抱き締める力を強めた。その途端にルーシアの表情はまた嫌悪に染まる。

「いきなり人の写真を撮るなんて失礼だなベイル。罪として報告するぞ」

 正義の町の住民が最も嫌い、恐れる脅し文句を笑みを浮かべながらランダルは告げた。しかし、ベイルもまた笑って返す。

「おっとそうですかいランダル坊ちゃん。それなら、追い出される前にあんたがルーシアを襲っていたと記事に書いていこうかね」

 ベイルが首から提げたカメラを軽く持ち上げると、ランダルは口元に笑みを、目に苛立ちを浮かべた。

 ベイル・トッドはこの町出身の新聞記者であり、以前の強欲な町長を諌めるべきだと初めて主張した男の息子として町では有名な人物だ。当の男はその主張の後亡き者とされたが、父の遺志を継ぐように、ベイルは町の内外問わず悪しきに屈せず真実を記事にし続けている。

 それゆえの信頼感は、ランダルの不祥事をそのまま町民たちに伝えるだろう。たとえ彼が現町長の息子でも、たとえ彼がどれだけ乙女たちの支持を得ようとも。

「――人の恋路を邪魔するとその内馬に蹴られるからな」

 ルーシアを惜しげに放しながら、ランダルは憎々しげに笑った。

「はは、じゃあ荷馬車に気をつけますよ」

 軽口で返し、ベイルは足音高く去っていくランダルを見送る。そして彼の姿が見えなくなってから、改めてルーシアに向き直り、微笑んだ。

「大丈夫か?」

 気遣わしげな視線に、ルーシアは柔らかく微笑み返す。ベイルを見つめる眼差しに含まれている熱の意味に気付いた者は、きっと驚くだろう。熱を上げているのは彼女の方なのか、と。

 ルーシアの麗しさは誰が見ようと一目で分かる。焼かないように気を遣って手入れしているために白い肌。大きな二重の目、すっと通った鼻筋。夕方から夜向けの濃いめの化粧に負けるどころか堂々と張り合える、美麗と表す他ない顔立ち。細い肢体は病的なそれではなく踊りでしなやかに鍛えられていた。一方、ベイルは太い眉と細めの双眸、大きな鼻を四角い輪郭で囲み、骨太なため一目でごつさが分かる。記者として外を駆け回っているため肌の色は黒く、太っているわけではないが筋肉のために太く見える。誰が見ても釣り合いが取れておらず、ベイルが一方的にルーシアを想っている、というならば誰しもが理解しただろう。しかし現実は逆だ。以前このことに気付いた女性には理解出来ないと言われた。

(……分からないならいいのよ)

 ルーシアとて美的センスは人並みにある。ベイルはランダルのように万人が褒めるような容姿をしていないのは分かっていた。だが、ルーシアが心惹かれるのはそんな見目の話ではない。ルーシアの過去を知りながらも(、、、、、、、、、、、、、、)この町の一員でありながらも(、、、、、、、、、、、、、)穢れたルーシア(、、、、、、、)を認め、受け入れてくれたその心が、何よりも愛おしいのだ。

「さ、お疲れだろ? 飯を頼んでおいたから食べよう。ベイビィの分もちゃんとあるぞ」

 にっと歯を見せて笑うと、ベイルは先導して歩き出す。ベイビィとはルーシアの愛鳥の名前だ。ルーシアに取り入るためではなく、ベイルは真実彼女の大事な宝物のこともちゃんと大切にしてくれる。

「ありがとう、嬉しいわ」

 ふわりと咲くように笑みを浮かべると、ルーシアはベイルと隣り合って控え室に向かった。彼女が汗を流して着替えをし、改めて化粧をしてから部屋から出てくるまでの間、ベイルは群青の美しい鳥と戯れることになる。

 


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