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 ステージ近くの食堂の一角。愛鳥と想いがまだ届けられていない愛しい人と共に食事をしていたルーシアは、膨れた腹に満足し、良い香りの茶にほぅと息をつく。ルーシアが頼んだものでもベイルが頼んだものでもないこれは、近くに座っていた客が「良い踊りの礼に」、と奢ってくれたものだ。その客は見返りに近付いて来ることもせずすでに帰っている。他の客たちも、ルーシアを気にした視線を向けているが、突撃して来る者はいない。あっても座る直前に賞賛の言葉を遠巻きに投げかけるだけだった。食事に来た人間を煩わせることを罪と考える正義の町の人間らしい。そう思いながらルーシアはちらりと視線を正面に座るベイルに向ける。

 ベイルは酒のつまみのナッツを齧りながら、ねだるように手に擦り寄ってくるルーシアの愛鳥をあやしていた。「食べすぎはよくないぞ〜」と、まるで人間の子供を相手にしているような口調に、覚えず笑みがこぼれる。

 ルーシアの愛鳥は、元々ルーシアが飼っていたものではない。ルーシアが以前いた場所で別の者に飼われていたのだが、そこで起こった騒動の際に打ち捨てられたのをベイルが拾った。それを、ルーシアが譲り受けて今に至る。

(ああ、そういば、もう3年も経つのね)

 まだ温かい茶にふぅと息を吐きかけ、ルーシアは3年前に思いを馳せた。以前いた場所から逃げ出せることが決まった時よりも前のことは辛くて思い出したくもない。だが、その記憶の終わりにあるベイルとの出会いは、ルーシアの宝物だ。

 ベイルははじめルーシアの客として現れた。しかし、彼はルーシアに仕事をさせることはなく、現状を詳しく聞き始め、何故そんなことを訊くのかと尋ねたルーシアにこう答えた。

 

『最低でも3人分の証言があれば疑いを持たせられる。10人分以上の証言があれば人を動かせる。君もこんな所でこんなことをしているのは本意ではないだろう? 協力してくれ。君たちに自由を返したい』

 

 とても真剣な目だった。生まれてから一度も見たことがなかった真っ直ぐで輝いた目だった。その眼差しを受けて、ルーシアはずっとこらえていた涙を抑えることが出来ず、ぼろぼろに泣きながら心情を吐露することになる。

 そして、逃げたい、とはっきり言ったルーシアに、ベイルは真面目な顔で「必ず」と返してくれた。

 約束を交わしてから数日後、ルーシアのいた場所は強制立ち入りを受け、そこに囚われていた多くの者たちは解放される事となった。もちろん、ルーシアも。

 その後ルーシアはベイルに無理を言ってこの町までついてきた。最初はやめた方がいいと言われていたが、何とか押し通した。この町は、囚われていただけだろうとルーシアの過去を受け入れることはない。それは、噂にしか正義の町を知らなかったルーシアでも理解出来ていたし、今はもっと痛いほど理解している。それでも、ベイルの側にいたかった。この、無骨だけれどとても優しく暖かい人のそばに。

 過去を思い起こしながら、その時と変わらない笑顔を見つめ続ける。不意に気付いたベイルが視線を合わせて首を傾げた。ごつい見た目に合わない可愛い動作が逆にルーシアをときめかせるのだが、ルーシアは「何でもないわ」と笑みを浮かべてごまかす。

 その時だ。

「ルーシア・グレンデールはいるか!」

 物々しい雰囲気を漂わせる男たちが酒場に乗り込んできた。

 酒場の扉を蹴破る勢いで入ってきたのは正義の町の剣≠スち――自警団だ。ざわめきが走り、建物内の視線がルーシアに集まる。過去を思い出していたルーシアは「何故」と思うより先に「ばれてしまった」と青ざめて震えた。すると、立ち上がったベイルが落ち着かせるようにその背に触れ、すぐに自警団との間に立ちふさがる。

「そんなに慌てて来たのに残念だな、自警団の旦那方。もう今日の踊りは終わってるぞ」

 そんな好意的な用事だとは微塵にも思っていないが、ベイルは敢えて軽口で彼らを迎えた。しかし自警団の先頭に立つ、ベイルよりも年上の白髪交じりの男はにこりともせずに手にしている棍を向けてくる。

「そこをどけ、ベイル・トッド。その罪人を庇うというならお前も罪人として町から追い出すぞ」

 脅しかける初老の男の声には本気が滲み、その剣幕と彼が口にした「罪人」という単語が建物の中に水に溶かした絵の具のように広がっていった。

 その中、ルーシアは自身を指す言葉よりもベイルに向けられた言葉に慌てて立ち上がろうとする。自分がこの町を追い出されるのは仕方ない。けれど、この町に生まれ、この町を救った最初の英雄の息子であるベイルまで同じ目に遭わせることだけは絶対に嫌だった。

 だが、立ち上がろうとする体は、自警団と向き合ったまま肩に置かれたベイルの手に阻まれる。何故、そう言外に込めてベイルの名を呼ぶが、彼は自警団たちに目を向けたまま肩を竦めて笑った。

「そうか、じゃあ俺もこの町を出よう。この町で犯した罪じゃないんだから、追い出すだけのはずだな?」

 確認の問いかけをすると、まだ若い自警団の青年が答えようとし、初老の男に腕で止められる。

「そうだ。それがこの町のルールだ。お前も出て行くというなら止めはせん」

「た、隊長、それでは指示と違いま――!」

 若い自警団員たちが慌てたように初老の男――踏み入ってきた者たちの隊長――を止めようとした。しかし、隊長はぎろりと鋭い眼光で部下たちを睨みつける。

「我らに指示出来るのは団長と町長のみであり、遵守すべきはこの町のルールのみだ。地位ある者だろうが、私欲の指示は聞かん」

 燃え立つような強い意思が、年を感じさせない立ち居振る舞いから広がった。正面から相対しているベイルが感じ取ったのは、職務を全うしようとする責任感と、彼らをここに遣わせた地位ある者≠ニやらの行動に対する憤りだ。

「……あの坊ちゃんはどんどん爺さんの中の評価を下げることをするな……」

 思わずと言った様子でベイルが呟く。その声が聞こえたルーシアは彼の背を見つめながら、この事態を引き起こしたのが誰なのかを悟った。どうやって調べたのかは知らないが、ルーシアの過去を知り、靡かないルーシアを疎んで自警団をけしかけたのだろう。正義の町で培った精神ゆえの行動とは思わない。そんな精神彼にはない。ルーシアは知っているし、恐らく多くの者も知っている。ランダルに熱を上げていた娘たちの何人かは姦淫の罪で町を追い出されていることを。その彼女たちが揃ってランダルの不貞を叫んでいたことを。

 酒場にいた者たちの中にもルーシアと同じことを考えている者がいるようだ。ざわめきの中にランダルの名や彼を表すだろう単語がちらほらと交じりだす。それに気付いた自警団の若者は慌てたようにルーシアたちを指差した。

「とにかく、正義の町の規則にのっとり、お前たちはすぐにこの町を出てもらう。持って行きたい荷物があるならば取りに行く猶予は与える。すぐに来い」

 命じられると、ベイルは気遣わしげにルーシアを見やる。すまない、視線がそう言っているようで、ルーシアは申し訳なさそうに彼を見上げた。

「ベイル……何もあなたまで巻き込まれること……」

「いいんだよ、ルーシア。これくらいが潮時だったんだ。さぁ行こう。荷物はどうする?」

 言葉を遮られたルーシアは眉を八の字にし、差し出された手を控えめに取る。

「最低限の着替えといくらかのお金があればいいわ。元々大したもの持っていないもの。……もちろんこの子は最重要よ」

 思ったことをそのまま口にし、ルーシアは肩に飛び乗ってきたベイビィに頬を寄せた。強がりではない本気をその澄んだ赤の双眸に映す彼女を見て、ベイルは「そうか」と微笑む。

「じゃあ、行こうか」

 鳥籠にベイビィを入れ、ルーシアとベイルは自警団に付き添われて酒場から出て行った。最後にルーシアが舞台を降りる時にするのと同じように一礼すると、場違いな拍手が巻き起こる。その拍手は、彼女たちの姿が酒場から消えた後もしばらくの間続いた。

 


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