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 その日の朝、若太は胸に込みあがる吐き気に起こされることになる。起き上がれば頭痛もし、左目が痛んだ。口をゆすごうと向かった洗面所の鏡を覗き込んで、痛んだ左目が充血していることに気がつく。

(あー、疲れてんのかな)

 眼精疲労による頭痛や吐き気ははじめてではない。いつもよりも辛い気もするが、開発も終盤に入っている。この程度で休むわけにはいかなかった。

 結局、母の心配を「だいじょぶだいじょぶ」と笑って受け流し、若太は登校する。学校に着くと友人たちや教師たちにも心配されたが、それらにも若太は笑顔で「大丈夫」と返し続けた。3限目にもなると、友人たちも気を遣ってか声をかける回数が減らしてくれる。

「もう帰って寝るか病院行けよタコ」

 しかしそんな強がりを物ともせず、もはや「大丈夫か」ではなく「帰れ」とはっきり言ってくるのは3年の付き合いの間に少し無愛想が緩和された隆臣だ。充血が酷くなったため近くのコンビニで買って来たもらった医療用眼帯をつけている若太は、苦笑しながら彼に視線を向けずにキーボードを叩く。その顔色は心配せずにはいられないほど悪くなっていた。

「だーいじょぶだって。隆臣ちゃんは心配性だねー」

「心配性だね〜じゃねぇっての。倒れたら元も子もねぇって分かんねぇのかよ!」

 隆臣が声を荒げ机を叩くと、キーボードを打つ音やチームメンバーと話す小声以外に音の無かったPCルームから一瞬音が消える。全員が注目する中、気付いた隆臣は「あ、悪ぃ」と反射のように片手を上げて謝った。入学当初の彼だと「何見てんだ!」と逆切れしているところだろうが、流石に3年も付き合ってきたクラスメイトたちはしっかり友人として気遣えるらしい。

「いいよいいよ鏑木っち。若くん心配したんだもんね。ねぇ若くん?」

 笑顔で答え、加えて若太に何か言いたげに同意を求めてきたのは通路を挟んで背中合わせになっていた女子生徒――結城 来良(ゆうき らいら)だ。ボブカットといつも違う種類のピアスが特徴で、朗らかで面倒見がいい。そのため人望が厚く、リーダー的な役割を取ることが多い。

「そうだねぇ、隆臣ちゃんは優しいねぇ来良ちゃん」

 来良の言葉の裏を理解しつつも若太はさらりと流した。「そういう話じゃねぇ」と隆臣が食って掛かるが、来良はさらりと返してくる。

「結城も優しいから心配だなー。顔色めっちゃ悪いし。一日しっかり休むのと無理して一週間休むんじゃ全然違うんだよ?」

 笑顔で来良が小首を傾げると、小さなカラーストーンがついたリングピアスと短い髪が揺れた。いつもなら首を傾げ返す若太だが、この日はそんな余裕はなく、吐き気を堪えた苦笑のみを返す。

「うーん、でも今日俺がメインで作った部分の結合テストだし、休むわけにもね?」

 分かって? と言外にこめるが、来良は笑顔を崩さない。そこに無言の「いいから帰れ」と感じ取り、若太はもう一度苦笑するとパソコンに向き直――ろうとした瞬間、めまいを覚えた。

「若太!」

 ぐらりと体を傾いだ若太を隆臣が慌てて支える。心優しいクラスメイトたちはその声を聞きつけると一斉に若太の周りに集まりだした。

「篠月もう帰れって」

「そうだよ、もう無理だよ」

「テストはまた今度にしよ? ね?」

「家まで送るか? それとも病院行く?」

 口々に心配や気遣いを口にするクラスメイトたちに、若太は言葉を返そうとする。しかし

「だ、いじょ……」

 口を開くが、呂律が回らない。やばい、と思った次の瞬間一気に頭痛と眼痛がひどくなる。自然に体に力が入らなくなり、隆臣たちが慌てて呼びかけてくる声が遠くから聞こえてきた。

 ぼんやりと開いた視界に映るのは、不安げな、慌てた表情を浮かべる友人たち。

 

 それが、若太の見た最後の揃った′i色。

 


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